左側の大野寺の門前の石標に、「大石仏」という文字が刻まれている。
私が初めてこの川の岸辺をドライブしたのは、20歳代の頃で、夫が初めてオートバイから車に買い換えた頃だった。
車に乗るのが好きな彼は、日曜日ごとにお寺参りを兼ねてドライブをしていた。
室生寺の帰り宇陀川の切り立った崖に刻まれた仏様を見て、言葉に表せない感動を受けた。
それ以来室生寺にお参りしたときには、大野寺へのお参りをするようになった。
でも今年は、時間的なこともあって大野寺だけ、お参るすることに決めていた。
右の仏像の印刷物は、お寺の境内の礼拝所から拝することのできる、弥勒菩薩の磨崖佛である。
私が初めてこの川の岸辺をドライブしたのは、20歳代の頃で、夫が初めてオートバイから車に買い換えた頃だった。
車に乗るのが好きな彼は、日曜日ごとにお寺参りを兼ねてドライブをしていた。
室生寺の帰り宇陀川の切り立った崖に刻まれた仏様を見て、言葉に表せない感動を受けた。
それ以来室生寺にお参りしたときには、大野寺へのお参りをするようになった。
でも今年は、時間的なこともあって大野寺だけ、お参るすることに決めていた。
右の仏像の印刷物は、お寺の境内の礼拝所から拝することのできる、弥勒菩薩の磨崖佛である。
史跡 大野寺石仏の説明板
宇陀川岸の自然岩に刻まれた弥勒磨崖仏
仏様は宇陀川の対岸に位置する高さ約30mの大岩壁に刻まれている。
岩壁を高さ13.8mにわたって光背形に掘り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5メートルの弥勒仏立像を線刻している。
興福寺の僧・雅縁の発願により、1207年から制作が開始され、完成後に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものであることが資料に記されている。(クリックで拡大)
岩壁を高さ13.8mにわたって光背形に掘り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5メートルの弥勒仏立像を線刻している。
興福寺の僧・雅縁の発願により、1207年から制作が開始され、完成後に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものであることが資料に記されている。(クリックで拡大)
大野寺の塀のすぐ下は道路になっていて、その道路の下が、宇陀川の静かな流れがあって左の方が大きく回って淵になっている。
その川を隔てた所の崖に弥勒菩薩様がいらっしゃる。
そこに線刻された当時、向こう岸は、対岸でなく彼岸という仏教上の考えがあったのだろう。
彼岸では、優しい弥勒菩薩様が迎えてくださるとか、見守ってくださるというような、信仰思想が対岸を枝垂れ越しに見ていると理解できるような心境になる。
★ 境内からズームいっぱいに引き寄せたが、私のカメラではこれが精一杯である。
その川を隔てた所の崖に弥勒菩薩様がいらっしゃる。
そこに線刻された当時、向こう岸は、対岸でなく彼岸という仏教上の考えがあったのだろう。
彼岸では、優しい弥勒菩薩様が迎えてくださるとか、見守ってくださるというような、信仰思想が対岸を枝垂れ越しに見ていると理解できるような心境になる。
★ 境内からズームいっぱいに引き寄せたが、私のカメラではこれが精一杯である。
境内に咲いていた花(クリックで拡大)
スホウ シキビ トサミズキ レンギョウ
こんなに美しいお花も咲いているのですね、
対岸にあるのに、これだけ大きい写真にしたらめっけものです、
パソコンがおかしくて、会社のもので、
書いているので、夜でないと出来ませんので、
失礼しました。
夜親戚での集まりがありましたので、お返事が遅くなってしまいました。
PCの不調の時の不便な中記事をご覧下さってのコメント、本当にありがとうございます。
私はいつも車で行くので、近鉄の「室生口大野」で降りたことがないのですが、道路から駅が見えていました。
お寺まで近いのですね。
室生寺まではかなりありますけど・・・
PCの回復早くなると良いですのにね。
ありがとうございました。
そそり立つ岩に磨崖仏を見たときは驚きました
昔の人の信仰心の厚さには驚くことが多いですね~
電車だと大野寺までは近いですが、室生寺まではずいぶんありますね。
バスが出ているのでしょうかしら。
マオママさんは健脚だから、大丈夫ですよね。