昨日の朝焼けです。ほかは青空になりつつあったのですが、日の出前の東の方面だけが朱色に染まっています。昇陽はこの日にはっきりと姿を見せた高見山のやや北寄りのところのようです。最大の望遠にして高見山を我が家に近づけました。いい冬日和の期待にわくわくする朝焼けでした。
信貴山朝護孫子寺のシリーズは4日目になりました。1度出かけますと沢山撮ってきた写真の整理をしながら、いくつかに組み立てて記事作りをするのが、いつもの私のやり方というか、のんびり、ゆっくりの発信がそのようになってしまいました。
一人の呟きの楽しみながらのカフェテラスなのです。
この日、もと来た道を戻るのではなく、境内を上り下りしながら、初めてのお堂への道を辿りました。右肩が山の土手のようになっている山道です。敷石も舗装もなく山そのものの地道なのが魅力でした。
ほどなく、今までのきらびやかなお堂とは異質の、素朴な小さいお堂に着きました。お堂の裏にも扁額があったのですが、撮り忘れたらそこの書かれたお堂の名前さえ忘れてしまいました。
弘法大師様をお祀りしている、正面に回って今日の無事に感謝する手を合わせてお祈りをしました。そこへ多分堂守の女性だと思うのですが
「よう・おまいり。裏参道を下りて行かれるのですか?」と声をかけてくれました。「ここ。裏参道なのですか。何度もお詣りしているのですが、初めての所にお大師さんのお導きなのでしょうかしら。」
遠く向こうの本堂が見えるでしょうと言われたので、望遠で見ますと視覚に入ったのはいつも寅のいる所から見上げるお堂でなく、初めて目に入る本堂の景観でした。大体この位置と同じか少し高い位置にお堂はありました。
裏参道は急勾配なので、石段の一段一段が高いのですよ。(@_@) 💓
お堂の前の三段の石段を数えて、これから下りる石段を合わせると百八段になることを話してくれました。この百八段は人間の煩悩の数で、除夜に打つ鐘の数と同じなので、急な石段をゆっくり無心に下りて行くといいのだと、そのおばさんが話してくれました。
そのお話を聴いたご利益かもしれませんが、一段の高さを手すりを持ちながら、膝の痛みを感じることなく、ゆっくり降りることができました。明日足に来るかも…と思いましたが、今日が佳ければ明日もきっと佳いに違いないと、友人は励ましてくれました。
駐車場に行く前にこの橋を渡ってきました。
この日が私の開運の日になりそうに思えた信貴山朝護孫子寺へのお詣りの日でした。