大寅の位置から見上げると随分高いところにある本堂に、膝を痛めるまでは苦も無く登ってきているのが今では、見上げながら「よう登らんわ」と弱音を吐いてしまいました。
でも昨日までUPした途中のお詣りするところが沢山あるので、急な石段や膝を気にする坂などなくて、いつの間にやら本堂へのやや登りの参道を歩んでいます。まるで毘沙門天王様のお導きのようです。
さてこの本堂への最後の石段を見上げて泣きたくなってしまいました。トントントンと上った以前の思い出の感覚があるだけに。
それでも弱音は吐きません。手袋をはめた手でしっかりと手すりを握りしめて、足を気にせず体を引き上げるつもりで一段一段足元を見ながら登りました。上を見ると「まだまだ・あるなぁ」と思うので、足元だけをひたすら見つめていました。
登り切って回廊に出た時、不思議に膝の痛さがなくなっているのに気が付きました。友人は、「今まで痛みはしないかと怖がって避けてばかりいたから、だんだんよう登らんようになってしもたのや。やっぱり歩いたり登ったり、動かな、なにもできんようになるで。」ここで言ってもらったことは、本当に説得力がありました。本堂にお詣りして感謝のお祈りをしっかりしました。
眼下に広がる大和平野が、今まで見た時より広く美しく見えました。
冬なのに、日差しは春のようでした。光の春とでもいうのでしょうか。病後だからそのせいで歩かなかったのが、この日差しの下で山の空気をいっぱいに吸ったから、きっと元気をもらえたのだと思いました。もちろんお詣りした仏様も応援してくださったことでしょう。
本堂から境内を見下ろしました。登ってきた分下りなければならないのです。登より下りる方が膝に力が入るのですが、気にしていたよりは痛くなくて手すりは持っていましたが、それに縋ってはいませんでした。
本堂の回廊から王蔵院の三重の塔を、望遠で引き寄せました。
日本一の大地蔵様が自愛溢れる眼で見つめていらっしゃるようでした。