「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

石垣イチゴと静岡への入り方2

2008年02月24日 22時55分32秒 | 妄想
 松の並木に気を付けながら手越に向かいます。バス停があってバスが停まっているとなかなか追い越せませんね、この道路はそれでも酒蔵とか古い感じのお店がありますから、悪い感じではありません。そうやってみていくと右手に高林寺って書いてある掃除の行き届いたお寺が見えてきますね。鉄橋の手前の信号が長いのでこのあたりで停まっていることが多いのでのぞき見してしまいます。そんなに大きなお寺じゃないんですが、こぢんまりとしててすきな感じです。臨済宗のお寺ですから曹洞宗の大学出身者の僕が共感するのでしょうか。
 手越河原というと太平記に出てくる手越河原の戦いで歴史に登場する場所ですから関係あるのかなと思って調べてみたんですが、関連はなさそうですね。だいたい手越ってどういう地名なんだろうって思いますね。他にもある地名なんですね。「越す」っていう動作が入っていますから川を越すのかなって思いますが、そういう場所に限ったわけではなさそうな感じです。手越には万葉集の歌碑があって、『あずまじの てこのよびさか こえていなば あれはこひむな のちはあひぬとも』となっていますね。この「てこのよびさか」というのが「手児の呼坂」と書くそうですから、もしもこの歌の「手」と「越」をつなげてつくったとしたら、焼津、草薙と並ぶ、随分古い地名と言うことになりますね。
 さきほども言ったようにこの手越は古戦場でありまして、それもかなりの激戦地だったらしい。南朝方の新田義貞と、足利尊氏の弟、直義・高師泰連合軍が17回にわたって激突した場所なんだそうです。太平記ってドラマになりにくいから、戦中戦前の方々とは認識度合いが全く違うんです。NHKの大河ドラマでも一度だけでしょ、今のところ。室町時代という日本人の様式美の原型ができた時代なのにそれほど面白く感じないのはなぜなんでしょうかね。信長や秀吉や家康においてさえ格好いいのにどうして尊氏は人気ないんでしょうか。楠木正成にいたっては戦前は神様だったはずなのに今ではそれほど注目されない存在ですよね。時代そのものが私利私欲のぶつかり合いと言った印象が強く、貴族と武士という存在がそれぞれの既得権益を守るために殺し合っていた時代のような感じがして、いわば保守勢力同士の争いみたいで現代と同じく、痛快さが無いんでしょうな。