「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

「劇団四季コーラスライン」を見たことについて

2006年07月13日 23時54分39秒 | 人々
いやあ慌ただしかったねえ。

 4時45分に無理矢理職場を放棄して、車に乗り自宅に着いたのが5時25分で、35分には娘を連れて家を出発。

 掛川駅の市営駐車場がラッキーにも空いていて、車を滑り込ませて切符を買って改札をくぐってホームに出てお腹が空いたという娘のために、おばちゃんとのやりとりが長いお姉さんを押しのけるようにして天津甘栗をかって放り出すように150円を払って、5時55分の電車に文字通り飛び乗り、ホッとしたのもつかの間、浜松駅には6時24分に到着、開演時間の6時30分までは後6分。浜松駅2階の改札をとおり、浜松駅ショッピングモール「メイワン」からアクトシティ専用通路を走り抜け一度地下1階まで螺旋階段を走り降りた時点で46歳のふくらはぎは脱力感に襲われます。

 最後の力を振り絞るようにレッドカーペットに金色の手すりの付いたこれもまた螺旋階段を一息に登ってチケットを手渡して3分前、娘をトイレに行かせて「今日の女子トイレはみんな異様に早いよ。」という妙な感想を述べながら出てきた娘を捕まえるように会場に入り、「それはそうだよ。30秒前だもの。」と独り言のようなセリフを言って指定された座席に座ったのでした。

 いやあ劇団四季でしたねえ。

 これは豊かな人生を送りたかったら定番の一つとして見ておいた方がいいんじゃないでしょうか。

 しかし劇団四季でしたねえ。

 S席で9000円は高いけど、見ればその位しても当然だと思うでしょうね。それくらいの完成度でしたよ。

 唄も踊りも、最後の大団円の場面で鏡に引っ掛かってこけた人がいましたけど、なんのなんのでございまして、良かったですよ。

 やはり劇団四季でしたねえ。

 あれだけのキャパとあれだけの装置を使って尚かつ劇団四季であるのは、僕が演劇部だったせいでしょうか、それともミュージカルそのものに何らかの批判精神が働くからでしょうか。

 マイクを使っていますね。当然のことなんですね。

 声がスピーカーから出てくるんですね。そうするとですね、これは僕の極めて私的な意見なので不快な方は余所に行ってくださいよ。

 なんかね、変な感じなんです。

 舞台でしょ、生でしょ。すぐそこにね生身の人間がいるんですよ。でもね、映画みたいに感じるんですよ。

 舞台と客席の間に何らかのフィルターを感じてしまうのです。

 劇団四季は二度目なんです。「オペラ座の怪人」の時も感じたのです。

 これは演劇ではない…。

 僕が変なんでしょうと思うのですが、そう感じてしまうのです。

 みなさん声質も声量もプロ中のプロなんです。

 ほれぼれするほどの声なんです。

 でも肉声じゃないんですよ。

 僕も声には執着を持ってお仕事してますからね。

 演劇部でしたから。

 劇団にいたことがありますから。

 どうにも変にこだわっているんだと思います。


 で、内容は良かったですよ、人間的で。

 でも11歳の娘を横に座らせて「パパとママのしてる現場見ちゃった」とかホモセクシャルとか、ゲイトか思春期、美容整形、7歳で親戚に犯されたとか、横の父親がヒヤヒヤする内容が盛りだくさんで、終わった後に「どこが一番良かった?」と聞いて「とにかく綺麗で豪華で格好良かった、内容はあまり分からなかったけど」という言葉を聞くまで安心できませんでした。

 カーテンコールは5回か6回やるのが劇団四季の常識なのですか?

 万雷の拍手とか鳴りやまない拍手というやつを久しぶりに聞きました。




 最後にウチの娘さんはとても一生懸命に拍手をする人だと発見しました。惜しみない拍手の出来る娘さんは羨ましいし、僕に似なくて良かったなと思いました。