「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

村主章枝さんが現役続行だそうです

2006年02月26日 22時32分15秒 | 人々
 フィギュアの村主選手帰国 4位入賞に「複雑な心境」
 2006年2月26日(日) 19時10分 共同通信

 トリノ五輪フィギュアスケート女子で4位入賞した村主章枝選手(25)が26日夕、ミラノからの日航機で成田空港に帰国した。
 到着ロビーに居合わせた人たちから拍手がわき、村主選手は笑顔で応じたが「複雑な心境。悔しい気持ちもあるし、やることをやった結果という気もする」と語った。
 村主選手は「調整がスムーズにでき、普段と同じように試合に臨めたという点では、とてもいい大会だったと思う」としながらも「ジャンプのレベルを上げていく。このまま終わりたくないし、次(の五輪)まで必ず続けなさいという結果だと考えたい」と4年後に向けた決意を語った。

 だそうです。根性あるなあ村主さんて、長野五輪の時はとてもそんなには長くやれるような人ではないって感じの華奢さだったのに芯の強い人なんですね。

 というより女性が女性としての人生を全うするのに道は色々あるっていうことをトップアスリート達が実践し始めているわけで、荒川さんも、ゴルフの藍ちゃんも、卓球の愛ちゃんも今までの女性のイメージとは違った感覚をもっているように感じる。そしてそれはそれで共感を得る部分もあるわけで、自分の心を世間という枠にはめない姿勢もこれからどんどん出てくるのだろうなと思います。

 僕の知り合いの女性(12歳ぐらい年下)は、今昔物語にはまり奈良女子大学を出て、その研究のため医療秘書の傍ら、奈良市内のお寺にこもり凡字で書かれた文献を読みあさっている人がいる。世間一般の価値観からは大きくずれているけれど彼女は目一杯幸せであると思える。
 彼女の研究は社会に何ら貢献しないかもしれない。塾講師か大学の助教授をすればそれなりに貢献するだろうけど、それでも眩しいほどの人生だと思っている。

 先日、有森裕子さんの講演を聴く機会があった。

 40歳になろうとしてるのにまだ現役を続け、今年の9月に照準を合わせて自分の自己ベスト2時間24分かな、の記録を更新して引退するそうだ。

 頭が下がる想いだ。

 何処にも衰えがない。

 全く自分を甘やかしていない。

 そういう人だからこそ、オリンピックに出てメダルを取れたんだと思う。

 そう思ったら村主さんもメダルを取れるかもしれないと思う。

 村主さんにそのことを伝えたくて彼女の公式HPに行こうとしたけど、全くつながらない、荒川さんのHPも同様である。

 やっと繋がったと思ったら、いくら書き込んでも彼女には伝わらないんだそうだ。
 がっかりだけどいつか伝えることもあるかと思っている。

 

東横イン的発想について考える4

2006年02月26日 00時46分02秒 | 文化論
 古来より日本人の大半は農家でした。というより農業従事者で占められていました。
 鎌倉幕府はそういった農業従事者の中で成功を収め、ある程度以上の地主となった人々が自分の土地から生み出される経済力や軍事力を背景に、源頼朝という貴種を部族間の接着剤として利用して自分たちの土地所有や租税徴収権を公認させようとした動きから生まれた革命です。

 で、そういった人々は「武士」と呼ばれたわけですね。

 江戸時代は武士の時代です。でも人口は日本の人口の1割もいませんでした。しかも持っている権利は農民を奴隷として使役する権利はなく、持っているのは租税徴収権が主たるもので無闇に命を奪ったりすることは許されませんでした。

 そのかわり武士達は領民のライフスタイルが改善されるような努力はほとんどしませんでした。
 つまり武士は公の意識で土地支配を行っていたのではなく、既得権益を確保するために汲々としていたことになります。

 明治維新は欧米諸国が先進技術を持って、中国やインドのように日本を植民地化するのではないかという教養人の、身に迫るような恐怖感から遂行されたクーデターです。珍しいのは、後に、勝利したはずの下級ではあるが武士という身分の人間が自らのステイタスをぶち壊してしまったことですが、それよりも面白いのは、この革命が武士という同じ身分の中で生じたことであるのです。

 「革命」とは天の声が改まることで、百姓(ひゃくせい)が、それを痛感してこそ可能な政権交代であると言えます。

 で、僕らの革命に百姓が出てこないんですね。


 自分たちにも人間としての権利を与えよ!

 王様なんていらない。

 僕らが僕らのために政治をしよう。

 国という意識を持とう。

 そういう風に起こったのがフランス革命でしょ。

 そういう風になると

 自分に切実な責任感が生じるようになるんですね。

 そうやって出来るのが「市民」なのだと思います。

 でも僕らにはそんな経験はない。

 一揆はしましたよ。どんなに切実でも何もしてくれないってのが分かるからだと思います。

 国全体が流民になって放浪したり、それをまとめて喰わせるだけの器量をもった人間もでませんでした。

 僕ら農民は農民のまま過ごしてきました。

 貴族にしても武士にしても自分の「家」が守られればそれで良かったのです。安定した収入があればそれでよかった。

 つまり日本国の大半を占める農民のために政治を行った国家規模の政治家は誰もいなかった。

 だから農民は自主防衛するしかないわけですね。

 年貢を納めなくても良いように収支報告を偽造する。

 開発した田は申告しない。

 戦に備えて備蓄する

 政治にしても税金にしても僕らが嫌悪感を抱くのは