NHKBS2でやっていた
「ユンカース・カム・ヒア」
というアニメを見ました。偶然見つけたんですけどね(阪神が負けてたせい)、家族3人で最後まで見てしまいました。しかもお父さんは涙ぐんでいました。アホです。
人間の言葉を話せる犬と、できが良くて、何でも我慢してしまう女の子が、誰でもが遭遇する可能性のある出来事を通して、悩み、苦しみ、自分の本当の気持ちを口にすることで家族に奇跡をもたらす物語です。
お話は極めて日常的、ホテルで働くバリバリのキャリアウーマンの母と、CM制作の第1線で働く父を両親にもってるところは、ちょっと贅沢な設定だけど、そこで起こっている出来事は、年上の男性への恋いに似た感情や、両親の離婚の危機と日常において極めてありふれている。
最初のうちは「これ、わざわざアニメにしなくてもいいんじゃないか」と思っていました。
充分実写でもいける内容でしょとか、カミさんに言ってました。
まあ最後は犬と一緒に空飛びますから実写じゃ嘘っぽくなりますけどね。
カミさんが、「こういうアニメは日本じゃないと成立しないよね。」とか言ったので
僕が「『耳を澄ませば』『おもひでぽろぽろ』とか、日常だけを描いて映画に出来るって日本だけかも知れないね。アメリカはエンターテイメントにしないと気が済まないし、なにせこのくらいの非現実(犬がしゃべる、空を飛ぶ)だったら実写とCGでなんとかしようとするだろうね。(超知ったかぶり)」
と答えた。そしたら
小4の娘が「アニメで現実と空想をつなげちゃうのがいいんでしょ」とのたまわった。
アンタが一番えらい!
娘の言葉につなげて書けば
今の実写映画はバーチャル(仮想現実)CGの発展とともにバーチャルの一線を超えて、映画を見る我々を必要以上に刺激する方向にあるのではないかと思う。
昨今のアメリカ映画がバーチャルを駆使しながら舞台を非現実においているのは9・11以降が生み出した国家的トラウマが原因かと思われる。
その点アニメはある意味で安心できる。どんなに精巧に書かれていて、どんなにCGを駆使しようともアニメはデフォルトされた現実である。
本物とは一線を画している。
世の中には「エロゲー」なる世界が存在し、億を超える市場だという。
アニメの美少女がエロチックな世界を展開しているようだが、僕が最近学習した「秋葉系」なる現実的な美少女達の基本コンセプトもアニメに登場するキャラクターが具現化したものになるのだろうか。
ひょっとしておじさんが立ち入る領域じゃないかもしれないと、やや逃げ腰になり始めているが…。
要するに理解できなかった。なんでこんな市場が成立するのか分からなかった。
バーチャルはバーチャルで五感のうちの視覚と聴覚しか満足させられないよ。
そんなバランスの悪いことしてたらおかしくならないかい?
って思ってました。
でも何となく分かり始めたことはバーチャルで満足してるんじゃなくて、満足させているのではないかってことで、
つまりそこには自分をバーチャル化させて、自分をデフォルメして高いレベルを持とうといてるのではないかと疑い始めてる。
現実世界に自信の持てない人たち。持つ努力をした人もいるだろうし、そうでない人も
どこで何があったか知らないが、現実を諦めかけている人たち。
敵を多く作りそうな発言だなあ。
僕もアニメ世代だ。
だからデフォルメされた世界に浸るのも悪くないと思っている。
ブログだっていわばデフォルメされた日常だ。
寸秒も書き逃さない記録など資料にしかならない。
デフォルメされてこそ人間のドラマになる。
描写されるのは「動き」でも伝えられるのは「人間の真理」なのだと思うからだ。
おとなになってからの日常は数珠玉のように変わらない。自覚されるのは老いて行く自分と、唐突に気付かされる子供の成長のみということになりかねない。
だから自分をデフォルメしてネットの世界やアニメの世界にひととき自分を投げ出してもいいが、そこに逃げ込んじゃ駄目じゃないかい?
ブログに登場する自分もデフォルメされた自分。半ばアニメチックに自分を演出している人もいる。
でもまだ前向きかもね。何てったって情報を発信してるんですから。
受身じゃ無いですから、追っかけてないですから。
気構えだけは世間相手に一人で立ち向かってますから少々のデフォルメは許されるべきでしょう。
でだ!
結論は、明日も朝が早いんだ。寝るぞ!家庭を持つ社会人はってことだよ。
なんだってこんなに長く書いちゃったんだ!