「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

gooは多すぎるかも

2005年04月11日 23時11分46秒 | 日記
 午後10時前からずーっとアクセス過多の状態が断続的に続いていて、ブログが見れない。見れてもコメント出来ない。
 自分のブログもなかなかアップできない状態がある。

 何か対策取らないとみんな離れていってしまうのではないかと思う。

BLOG表現の困難さ5  likeとloveとじゃ大違い(泣)

2005年04月10日 18時27分59秒 | BLOG論
 太宰は2人称で文章を書くことで、読むものの心を引きつけた。

 ブログにおいても2人称で書かれている場合が多い。

 簡単に言うとパソコンや携帯でのメールの文体と同じですね。

 相手を想定し、何事かの情報を伝えようとするときに使われるものです。

 基本的には会話体で行われるものですね。

 でも電話で話をするのとちょっと違うような気がしている。

 うまく言えないんだけれど、会話って直に文章化するのがとても難しいものです。

 特に会話体での感情表現は難しいものがあると思います。

 例えば

 

 好きです。


 て言葉は、そのときのシュチエーションで大きく意味が変わりますね。


 声の大きさ、どのくらい上ずっているのか、興奮度ですね。

 顔の表情、目の動き、握った手の体温から、息づかいまで含めて

 「好きです。」の意味が決まる。


 文字だけじゃ本気なのか冗談なのかも分からない。

 好意を持ってくれているのは確認できたとしてもlikeなのかloveなのかは判別できない。

 僕なんかそれで随分失敗している。

 もてない男ほどそのようですな。



 やさしく されると すぐ惚れる! あるある探検隊! あるある探検隊!

 などとふざけている場合ではありませんね。
 



 文字は意味を伝えるが感情は、それ以上に複雑のようです。

 まるっきり逆の意味を持つことさえありますね。

 
 そこで登場するのが絵文字という奴ですね。


 更に続く…。

 

BLOG表現の困難さ4 太宰治 甘えの構造

2005年04月10日 00時29分59秒 | BLOG論
 BLOGの人称については以前述べた。

 太宰治が2人称を多用し、語りかける口調で読者(主に女性)の心をつかみ絶賛されていることも述べた。
 
 太宰の文体にはもう一つの秘密があると僕は考えている。

 それは津軽弁だ。

 太宰治は青森県の津軽の出身だ。

 大学に行くため、東京に出てくるまで、彼は青森を出ていない。

 ということは彼の思考言語は津軽弁であったはずである。

 津軽の人のはなす方言を聞いたことがあるだろうか。

 僕はNHKから出ている、全国の方言のテープを聴いたことがある。(最近CD化されたらいい)。

 収録は昭和23年頃で、対象者はいずれも高齢者である。

 標準語教育制度がまだ十分に整っていない時代に言語を覚えているはずだから、純粋な方言を話す方々と考えていい。


 聞いてみればわかる、ちょっとした公共の図書館なら、おいてあるはずである。

 ぜんっぜん分からない。はっきり言って同じ日本語とも思えない。何度聞いても部分的にしかわからないし、添付の解説書を見ながらでも最初は何処を読んでいるか分からないくらいである。

使用する単語の意味が違う。口の中でニョゴニョゴいってるようで、早いし聞き取れない。

 他にもあるが僕が注目しているのは助詞を省くという特徴である。


 僕は 君が 好きです。


 おやじが血迷った訳ではない。


 助詞について話そうとしている。


 僕(は) 君(が) 好き(です)

 ( )が付属語である。

 日本語でも英語でもそうだが、単語だけ並べて話してもだいたい通じることはある。

 ( )を抜いて言ってみる。

 ちなみにあなたは幼稚園の園児である。

 好きな女の子の前に立って、

 ぼく、きみ、すき

 と言えばあなたの気持ちは理解されるはずである。


 これに 文末を「~でえーす」とすれば「ぼくう、きみい、好きでえーす」となって立派に外国人の物まねになるし、「~あるよ」とすれば「わたし、きみ、すきあるよ」となって昔、芸人さんがしていた中国人のマネに近いものになる。

 要は、助詞助動詞の使い分けが難しいので、省略して通じるならそうしてしまおう、ということだろう。

 それどころか、今の外国人は最初に「どうぞ」と「どうも」を覚えてやり過ごすことを身につけるのだそうだ。

 これさえ覚えておけば、日本人の方が良いように納得してくれるのだそうである。


 
 太宰の文体の話である。

 助詞や助動詞を分から抜くと拙さや幼さが顔を出してくる。

 太宰の文体には助詞の省略が目立つ。

 そして二人称で語りかけてくる。

 太宰の文体、甘えかかる文章力を育んだのは津軽の風土で無かったかと疑っている。

 次は、2人称ブログ、レターについて考えます。

 今回の文もまた、文章表現の難しさについて考察が及ぶ前に力尽きました。

 あしからず      

 

無限の住人

2005年04月09日 00時03分04秒 | 書評
無限の住人 (17)

講談社

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 月刊のマンガ雑誌「アフタヌーン」に連載中のマンガです。

 「ネオ時代劇」というジャンルなんだそうで、エロティックな部分がほとんど無いにも関わらず、実に大人っぽい雰囲気を醸し出しております。

 登場人物全てが何らかの哀しみを背負っており、それらが錯綜しながら、人が死んでゆく。

 主人公は死にませんよ。冒頭部分でピストルの弾が額をぶち抜いても平気で起きて来ますから、無敵モードです。

 何でも古代中国に伝わる秘法とかいう奴で、体に虫を植えつけられていて、そいつが傷ついた箇所を直しちゃうんだそうです。

 ストーリーを話し出すと複雑になりすぎるのでやめますが、親を殺された少女が敵討ちをするのに無限の住人(不死身の人)が手助けをするという話から色々発展して収集が付かなくなっているような気がするんですけど、面白いことは面白い。

 で、何がいいかっていうと、出てくる悪役が皆かっこ良いことです。

BLOG表現の困難さ3 鏡の中の自画像 左右非対称の現実

2005年04月07日 23時30分26秒 | BLOG論
 日記は鏡のごとく自分の姿を映し出すもの。そしてブログは映した姿を大勢の人が行き交うスクランブル交差点の真ん中に立てかけて置くのに似ている感覚がある。

 最初はかなりの勇気が必要で、密かな期待と不安が交錯し、日々記事を書き足しながら、アクセスの数に一喜一憂し、コメントをもらえないうちは、宛名のない手紙を出し続けるがごとく、虚しさに襲われたりもし、自分に言い訳したり、自分を責めたり、慰めたりもする。

 そしてその日は必ずやってきて、一人でもコメントしてくれる人がいると、それは恋人に出会ったように、百年の知己を得たように、命を共にする同志を得たように、前世からの因縁を感じたりもし、ブログ上の孤独から天から日が差すがごとくあなたの心をを解放してくれるのです。



 そしていくらか時が経ち、あなたの周りには、にぎやかな、あるいは暖かな人の輪が出来てきます。



 でもそのころになってあなたは一つの違和感を持ち始めます。それは書けば書くほど、人の輪が大きくなればなるほど強くなります。


 愛されているのは、暖かさに包まれているのは、誰?

 
 そしてあなたは気付くのです。


 愛されているのは、輪の中にいるのは鏡に映った自分!
 

 本当の私じゃない…。



 鏡というものを知っていますか。

 鏡に映った自分の姿は真実じゃ無いんです。

 時計を映してみれば分かります。

 左右が逆になっているでしょ。

 とっても不自然でしょ。

 鏡に映った姿は本当は不自然なんです。

 でも私たちは鏡の中の自分しか知らない。

 写真や画像で知ってるよ、そういうかも知れません。

 でも、写真写りが良いの悪いって、あなた信用してないじゃないですか。

 本当はそっちの方が真実だったとしたらどうですか。

 2,3年前に真実を映す鏡がファンシーショップで売り出されたことがありました。

 今もあるのかな?

 その鏡に時計を映すと左右は逆になりません。



 つまり他の人が見てる自分を見ることが出来ます。



 鏡に映った自分の姿の感想は一様に「あり得ない!」だそうですよ。

 ブログも同じだと思いませんか?

 自分の全てをさらけ出していますか?

 ブログに表現された自分というのは鏡に描いた自画像なんです。

 
 どこか自分を偽っている。よく見られようと思っている。真実の自分とはかけ離れた自画像…。


 そう思っていたり、そう思う時期があったらこの記事を思い出してください。



  
 
 それでもあなたは愛されています。


 たとえ鏡に映った自画像でも、あなたの真実は伝わります。

 だってあなたが描いた自画像ですから


 そしてこの自画像はどんどん書き足すことが出来るんです。

 これで終わりというものがない。 


 クロッキーがやがて精密なイコンになるように


 人はあなたのことを時間をかけてゆっくりとゆっくりと理解して行くでしょう。


 だからあなたは自分を偽っているのではなく、あなたという像を描き上げてる途中なんだと思ってください。

 そう思えばブログを書き続けることができます。





 

 そんなこと心配してる人いないか…。
 


 
 

ご来賓の皆様には

2005年04月06日 20時37分59秒 | 日記
 中学校の入学式に来賓として行ってきました。ウチの自治会は軒数が少なくて毎年色々な役目が若いウチから強制的にまわって来ます。

 で、僕もその役の一つになっていて間が悪いことに、もうひとつ大きな地区の責任者にされてしまいました。
 そういうわけで今日は来賓席(パイプ椅子)に座りました。

 周りを見ると60過ぎの方ばかり市議会議員で一人若い人がいました。

 不思議だったのは誰も礼服を着用していないこと。僕だけ礼服、白ネクタイで来賓席ではかなり目立っていました。
 ネクタイすら締めていない人がいる。

 田舎だから?

 でも先生方はおおかた締めていましたけど…。

 不思議な感じがします。

 それに座席がいっぱい余っていました。

 連絡もナシに欠席した人が大勢いたようで、おおらかなのかいい加減なのかよく分からない。

 とにかく生徒さん達は誰もが初々しく、お母様方もここ一番の勝負服でのお出ましでした。

 隔世の感を持つのはお母様方の服装で、実に色とりどり。

 昭和40年代の入学式や卒業式での母親達の格好は、和服に黒い羽織におばさんパーマと相場が決まっていたのに、いつの頃からか変わってしまった。

 僕の母は、20歳で僕を産んでいるから、中学の入学式では33歳でしかなく、パーマのおばさま方を尻目に黒のワンピースにポニーテールとい出で立ちでいた。

 親父の給料が少ないのと、和服がめんどくさかったせいだと思うが、一人で浮いていた。

 でも僕はそんな母の方が母らしく友達に「オマエの母さん姉ちゃんみたいだな。」と言われても平気な顔をしていた。

 ギターを持つと不良と言われ、パンタロンをはくと小学校中の噂になった時代の話である。

BLOG表現の困難さ2 鏡の中のアリス

2005年04月05日 22時34分36秒 | BLOG論
 鏡を見て自分の髪型を整え、化粧ののりを確認し、自分に気合いを入れて鏡の前を去る。
 鏡に映っているのは間違い無く自分でありながらその自分をもう一人の自分が見つめ矯正しようとする。
 
 では、もっと大きな大きな鏡、自分だけでなく複数の友達と一緒に映ることの出来る鏡の前に立ったときあなたは一体誰を意識し、そして見ますか。

 自分だけを見つめ続けますか?

 まず自分を見て、ポーズを決めてから友達を見ますか?

 それともまず友達を見て、それから自分を見て比較して優劣を決めますか?

 友達だけを見ますか?

 鏡の中の友達と目を合わせることが出来ますか?

 なんだか質の悪い質問になっているような気がします。

 

 今度はその鏡のある場所を考えましょう。

 あなたの前にはやはり大きな大きな鏡があります。

 そしてその場所は新宿駅の地下通路だったとしたらどうでしょう。

 鏡を見ているのは今の所あなた一人、だけど鏡に映るあなたの後ろを大勢の人が川の流れのように過ぎていきます。

 そして、時々何をしているんだろうと興味を持って立ち止まってあなたと一緒に鏡をのぞき込んでいく人がいます。

 そしてさらに何事か(鏡のあなたに)声を掛けたりする人もいます。

 あなたはそんな場所で鏡を見ています。

 そして声を掛けられるのを少なからず望んでいます。

 あなたは鏡の前でどんなパフォーマンスをしていますか?

 ブログは鏡の中で日々繰り返されるアリス(あなた)を主人公とする物語です。

 でもあなたが表情を作るとき、鏡の中を覗いているのはあなただけと思っています。

 生(ライブ)のあなたのココロと鏡の中のあなたの表情にはタイムラグがあると思っています。

 さきほど覗き込む人の反応は鏡の中のあなたに向けられると言いました。

 でもなぜか影響は鏡に映ったあなたではなくココロをもったあなたにダイレクトに届きます。

 不思議ですが仕方ありません。

 あなたの言葉は鏡のあなたに一度当たって跳ね返ってきます。

 でも他人の言葉はあなたの背後から直接あなたを喜ばせたり傷付けたりします。

 振り向いても良いですよ。

 足跡を残してくれる人もいます。

 でも大勢の人が横目でちらっと見るだけで通り過ぎていくだけです。

 鏡の中の自分を見ながら、後ろを通り過ぎる人を意識しすぎると目線が落ち着かなくて良い表情が出来ませんからご注意を、アリスさん

韓国の女性と付き合う方法

2005年04月04日 23時51分24秒 | 書評
スカートの風―日本永住をめざす韓国の女たち

角川書店

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 なぜ韓国女性は日本を目指すのかが書かれていいる本。
 美に対する壮絶な執念はどこから来るのか。両班(リャオパン)と言われる貴族階級とは何なのか、なぜ日本人の愛人になりたがるのか、所領としてはすでに古いものもあるが、韓国人の女性と話をする機会に少しだけでも書いてあることに触れてあげると、とてつもない盛り上がりを見せる。
 ネタ本としては有効すぎる一冊。

韓流にのめり込む人たちに読んで欲しい本

2005年04月04日 23時43分35秒 | 妄想
新・スカートの風―日韓=合わせ鏡の世界

角川書店

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 韓国のスターさん達が次々に日本にやってきて空港はいつも大混乱。日本人の韓流スターの扱い方は韓国の人にとっては意外な面がたくさんあるそうです。
 また、韓国の男性に憧れてるのはいいけれど、マジによく調べもしないで結婚しちゃうと大変なことになることを教えてくれる本。

 日本に来て日本が大好きな人が書いた本だから、スタンスがとてもニュートラルな位置を取られていてしかも日本人に対する愛情を失っていない。

 読んで韓国の人たちの考え方が分かるようになると、いっそう付き合いやすくなると思うし、とても大切なことなんだと認識を新たにする書です。

知らないと末永く損する話

2005年04月04日 18時36分24秒 | 病気
 僕は少年の頃から血圧がやや高く、就職の健康診断に行ったときに、「これじゃ就職できないからも一回測ってそっちを書いておくよ。」といわれた人です。

 前から肩こりがひどく、頭痛持ちで、40歳を過ぎた辺りから、健康診断ごとに心臓に異常だとか、精密検査しろとか言われてまして、かかりつけのお医者さんと相談して、全ての原因は高血圧で、心が平穏なときは良い値なんだけど、どのみちストレスの多い仕事なんだから、この先も低くなることはない、この際、クスリで安定させた方がいいんじゃないの。てなことになりまして、以来ずっと弱めですけど血圧のクスリを毎日1錠飲んでます。

ブログをやるようになって、調子に乗って夜遅くまで起きてるようになりまして、テンションが上がって寝られないことが多くなりました。

 これが血圧にとって良いはずが無く、クスリ飲んでも高めの結果が出て結局お医者さんに怒られたりしています。

 そういうわけで、3週間に一度は通院し、クスリをもらわなきゃいけないんです。(妙に老けた男のイメージなってきたぞ。)

 で、クスリをもらうには処方箋が必要で、これは医者が発行するもんですね。
 
 症状が変わろうが変わるまいが診察されて、いくらか取られる。

 ここはどうしようもない。紙1枚と面接代で800円位?

 で、処方箋をもらって薬局に行くと、毎回同じクスリなのに、そのたび説明されるんです。

 これって何故だか知ってます?

 親切でやってるんじゃありませんよ。

 説明して、クスリの飲み方のカードを渡すと100円料金が加算できるんです。

 だから、無理矢理にでも説明します。

 保険の点数で1点かな?。3点かな?

 断れないか?

 断れます!

 処方箋を受付の人に渡すときに「同じクスリですから説明とカードはいりません」としっかり言いましょう。
 最初は色々と言うかも知れませんが料金が加算されること、義務的なものではないということを伝えればそれ以上突っ込まれることは無いはずです。

 たかが100円で薬局の方と悪い関係にはなりたくないという方はそれでも良いと思います。

ただそれならいっそもっとフレンドリーに色々相談してみると良いともいます。薬剤師の方も型どおりの説明だけで飽き飽きしているはずですから、ちょっと相談に乗ってもらおうとすると結構積極的に話してくれますから。

 いい人間関係をつくることが出来ると思います。(皮肉じゃありません)

 100円でも僕のように生涯付き合って生きなくちゃいけない人間にとって3週間に100円は大きい金額になるのですよ。


まあ、健康な方には毒にも薬にもならない話でした。