「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

BLOG上の人格 マスクが剥がされる時2

2005年02月16日 22時55分54秒 | BLOG論
サラ・ブライトマン イン・コンサート ~「オペラ座の怪人」ほか

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BLOGはプライベートの匙加減がきく自己表現であるという前提で話をしている。ブログ上でで「赤裸々」という言葉をよく目にする。自分を中心にして構成している社会においては言えない事もブログ上ではいえる(書ける、画像を載せられるも含む)。実は僕はもう一つブログを持っている。そこは僕の職業に関連するブログであるが、なかなか更新できないでいる。他人のプライベートを知りうる立場だからだ。
 僕としてはこちらのブログのほうがのびのびしていて良い。そこには自分を特定できる人間がいないという想定がされている。だけどこれは、どれほど信頼度があるのかというと、はなはだ心もとない。ブログを書いている人の中には全面公開して、友人達と共同でブログを構成している人もいるし、家族や知人の画像を公開している人もいる。
 これらの人は基本的にブログを読むだろう人を信頼しているし、ごく限られた人しか読まないと信じているのではないか。それはそれでいい。
 逆に自らが世間的に偏っているという自覚を持っている人も顔写真や、メルアドを公開しているケースがあり、これも読者を信用しており、尚且つ自分に近しい人物もしくは自分に直接コンタクトを取れる人物はみていないという非常に手前味噌的発想で運営しているとしか思えない。
 ブログを閉じた人の中には自分の身元がバレたと言うか、自由さを失ってしまった人もいるのではないかと思う。
 以前僕はブロガーに悪い人はいないのではないかということを書いた。お互いの痛みがわかる同士で殴り合いはしないだろうという読みだったが、観測は甘かった。「なおのホムペ」はアクセスランキング2位に入っているブログ。京都の女の子のであるが、アクセス900ぐらいがいきなり1万を超えてトップに躍り出た。2チャンネラーなる人たちが大いに荒らしたそうで誹謗中傷の雨あられの状態だった。その結果彼女はブログ掲載を中断、しかしその後もアクセス6000を越えている。
 なんつうか、イナゴの襲来みたいなもんで対策の打ちようがない。ストレスから来るんだろうけど、誹謗中傷が自分の心に何を満たしてくれるのか、何も満たしてくれないことに気づきべきで、何か味がするとしたら、それはきっと自分の心を絞ったときに出た血の味なんだということに気づくべきだ。
 話がそれたが、マスクをしているつもりでも「オペラ座の怪人」のマスク程度のものであって、油断してるとヒョイと取られて、心の翼を失うことになりかねないのでご用心。