「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

石垣イチゴと静岡への入り方5 

2008年03月04日 00時05分08秒 | 妄想
 安倍川橋を渡ると右手に安倍川餅のお店が見えます。弥勒という場所ですね。弥勒というのはやっぱり弥勒菩薩の事なんだろうなって思いますよね。56億7千万年後に人類を救済するために今は天上世界で修行に励んでいるという方です。光瀬龍原作、萩尾望都絵の「百億の昼と千億の夜」という作品の中で、阿修羅王が「あやつは人類の滅びる理由を知っているのだ、でなければ救えるはずがない!」と扱きおろしていますね。確かに56億7千万年後だと人類はかなりの確率で滅びていますでしょうし、仏教もへったくれもないような気がします。神も仏も人間あっての存在でしょうからね。
 で、そうするとこの静岡の弥勒ってなんだろうと想像したくなりますね。ぼくの職場の同僚で、静岡出身の方がいるんですが、その人のおじいさんが弥勒の辺りで風水師をしてたんだそうです。そのおじいさんに言わせれば静岡の街がイマイチぱっとしないのは安倍川の流れを河川改修で今の位置に固定してしまったからだそうで、本来は駿府城を囲むように一旦、東進して流れていたんだそうです。確かに大きな川っていうのは今よりずっと水量が多く、気ままに流れを変えていたみたいですね。大井川流域の地名には、そういうのを想像させるものが多くあって、島田自体が、川の中の「島」でしょうし、藤枝市に残る「前島」「大洲」「高洲」等も河川流域が変化しても水害の影響を受けない高燥の地を示しているように思えます。
 静岡にも「中島」という地名がありますから、今の駅南地域はかなりの割合で河川敷が拡がり、登呂遺跡を含めて氾濫地域にあったのだろうと想像できます。そういう意味では駿府のお城は、安倍川が懐に抱くようにしていた土地にあったわけで、龍が守る街の姿を想像すれば風水的にも良いんだろうなと思います。