福岡髭爺の今日も絶好調!!

労働法、神社、郷土史、グルメ、他
※記載事項について、一切責任を負いません。

明日は初午

2010-01-31 19:18:00 | 神社

明日、2月1日は初午だ。
稲荷神社では、初午祭がとり行われる。

稲荷神社の総本山は、京都の伏見稲荷神社だ。
九州では佐賀県の祐徳稲荷神社が有名だと思う。

小職は、昨年の初午の日は大宮の宇賀神社と住吉の荒熊白髭神社に参拝。
荒熊白髭神社では祭祀に参列した。
ちなみに、荒熊白髭神社は、あの筑前国一宮住吉神社の境内社だ。

福岡市内の有名神社といえば、概ね次の神社だろう。
<中央区>
・警固神社(天神)
・水鏡天満宮(天神)
・光雲神社(西公園)
・鳥飼八幡宮(今川)
・福岡県護国神社(六本松)
<博多区>
・櫛田神社(冷泉町)
・十日恵比須神社(東公園)
・若八幡宮(博多駅前)
<東区>
・香椎宮(香椎)
・筥崎八幡宮(箱崎)
・志賀海神社(志賀島)
<早良区・城南区・西区・南区>
・紅葉八幡宮(早良区高取)
・鷲尾愛宕神社(西区愛宕)
・姪浜住吉神社(西区姪浜)
・菊池神社(城南区七隈)
・飯盛神社(西区飯盛)
・高宮八幡宮(南区高宮)

皆さんお気づきの通り、福岡市内の稲荷神社には、有名な神社がない。
しかし、大きな神社には、その境内に多くの境内摂社、末社がある。
摂社末社に稲荷神社がある例は多く、そのため初午祭は多くの神社で行われる。
小職が昨年祭祀に参列した住吉神社もその一つだし、筥崎八幡宮、福岡県護国神社などでも初午祭は行われる。

福岡市中央区では、大宮の宇賀神社がお稲荷様だ。
宇賀神社は、別称として「一本木神社」、「黒田稲荷」とも呼ばれる神社で、地元の方々が集まって初午祭をされている。
また、小職が昨日お邪魔した唐人町の八橋稲荷神社もその名称の通りお稲荷様だ。
西公園には、中司孫太郎稲荷神社が鎮座。
西公園の海側の黒瀬神社もお稲荷様を祀る。
福岡県護国神社には、境内社として掘出稲荷神社が鎮座する。

ということで、もし少しでもお時間がある方は、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)を祀る稲荷神社にぜひご参拝いただきたい。

※西中洲の福徳稲荷神社の初午祭は、旧正月以後の初午の日に行われるらしく、明日は祭祀の予定はない。


唐人町商店街周辺、福岡地域史講座

2010-01-30 20:24:54 | 郷土史

午前中、自転車で唐人町商店街の周辺をぶらついた。

まず最初にお伺いしたのが、小春姫大明神。
小春姫大明神は、江戸時代に田代家で粗相のあった女中で、主人に成敗されたがその後怨霊として祟りがあったため祀られた神様。
江戸時代の田代家...この場所は、何と現在弊所があるシャンボール大名なのだ。
小春姫大明神は、以前は大名で祀られていたが、お世話されている方の転居に伴い南大橋へ。
そして15年ほど前に現在地の荒戸に遷った、という経緯がある。
今日は、お世話をされている井上様にいろいろとお話しを聞くことができた。
井上様、有難うございました。

次に唐人町商店街付近の八橋稲荷神社に。
江戸時代の福岡藩には、修猷館と甘棠館の2つの藩校があったことで有名だが、この甘棠館(西学問所)跡とされる場所の隣が八橋稲荷神社だ。
稲荷神社といえば初午。
今年の初午は2月1日だから、八橋神社世話人の唐人町中年会の皆様が祭祀の準備をされていた。
日頃は由来記等も倉庫にしまっているようだが、今日は中年会の皆様のおかげで見せてもらうことができた。
中年会の皆様、有難うございました。

それから黒門飴に。
明治末期から続く手作りの飴。
以前から気になっていたが、今日初めて購入した。
黒門飴には普通の飴と、黒糖入りの飴との2種類がある。
とても気さくな女性が店を守っており、いろいろとお話しをお聞きすることができた。
板谷さん、有難うございました。

午後からは、福岡地域史講座に出席(赤坂の中央市民センター)。
今日のテーマは『幕末維新 黒田長溥と徳川慶勝~近代化に果たした役割~』。
講師は、岩下哲典先生(明海大学ホスピタリティ・ツーリズム学部教授、歴史学博士)。

福岡地方史の講師に関東から先生が招かれるのは珍しい。
幕末の黒船来航(ペリー来航)あたりの研究をされていて、黒田長溥がクローズアップされたようだ。
黒田長溥は、幕末の福岡藩主。
開明的で聡明な性質で、蘭僻大名とも呼ばれた。
徳川慶勝は尾張藩主。
第一次征長軍の総督を務めた大名だ。
小職は、この2人がイメージとして結びつかなかったが、もともとの性質的なところが似ていたようだ。

黒田長溥というと、地元の郷土史研究家としてはどうしても乙丑の獄を連想してしまう。
ということで、そのまま自転車で加藤司書の下屋敷跡まで漕いでみた。
ついでといったら失礼だが、隣といってもいいような場所に鎮座する桜ヶ峯神社に久しぶりに参拝。
このあたりは、近くに月形洗蔵居宅跡、野村望東尼生誕地、喜多岡雄平居宅など、乙丑の獄で罪を問われた関係のある場所が多い。
今は何も標識すらないが、福岡城堀前の加藤司書屋敷跡の場所を自転車で通過。
途中、赤坂稲荷神社が鎮座するマンションの管理人さんがいないか覗いみたがいなかった。

これで1日は終わらない。
17時には事務所に出勤。
それから現在に至っている。


採用と性別、年齢条件等(実は求人中)

2010-01-29 21:11:56 | 労働法

自民党が山崎拓氏らに対し、参院選の公認をしないことを伝えた。
70歳定年制のためだ。
片山虎之助氏は「高齢者排除」として反対しているという。
法律上は70歳を過ぎても被選挙権はあるのだから、党の看板に頼らずに立候補することは可能だ。
どうしても出馬したければ、無所属ですればいい。

ところで、民間企業では、求人に際して性別による差別、年齢による差別等が禁止されている。

以前は「20代男性募集」は合法だったが、20年くらい前だったか、「女性差別」が禁止されることになった。
この時点では、「20代男性募集」は違法で、「20代女性募集」は合法だったことが今では奇妙に思える。
その後、やっと「男女平等」に修正された。

弊所では、将来はわからないが、現在は求人においては女性職員を求めている。
求人広告等に「女性職員募集」と記載できない。
だから、無駄な書類選考や面接が生じることにつながる。
お互い本当に無駄な時間と労力だ。
だから、ハローワーク等から求職申込の連絡があっても、「男性を採用する可能性はほぼゼロである。どうしても面接を、というならそうせざるを得ないが、本人はそれで良いのか?」と尋ねてみることにしている。

次に年齢差別。
これはかなり最近だ。
しかし、抜け道も多い。
若年者トライアル雇用に限定して求人票を出せば、事実上40歳未満のみを狙うことも可能だ(39歳でも「若年者」らしい。ちなみに、45歳以上で「中高齢者」の対象となる。なんかおかしくないか。)。

ただ、トライアル雇用(試行就業)は、3カ月間の契約雇用であり、応募する側からすれば正社員等を望むのは当然で、応募者の質が保てない面もあるという。
確かに、中高齢者と比較すれば、若年者の方が正社員として雇用される可能性も高いのが実態だ。
いい人材から先に正社員に流れるのは頷ける。

弊所では、新規雇用の対象として、年齢的には30代くらいがベストと考えている。
新卒を教育するほどゆとりはないし、所長より年上もいかがなものか、という理由だ。
求人を年齢条件不問としなければならないことはネックとなる。

採用面接の理想は、できるだけ少ない面接で採用を決めることだ。
面接は疲れる。
また、不合格者を量産しても、何もいいことはない。
そのためには、求人における性差別、年齢差別の禁止は、何とも不合理な存在だ。

といことで、実は弊所は求人中。
弊所のポリシーとして、『知人や紹介はNG』だ。
何故なら、労働法の専門家として、懲戒解雇するときはする、からだ(笑)。

http://www6.ocn.ne.jp/~sr-ando/8448.html


社会保険新規適用届

2010-01-28 21:25:47 | 社会保険労務士

社会保険事務所がなくなり、そのまま年金機構事務所になった。
見た感じとしては名称が変わっただけのように思われそうだが、社会保険手続においては激変だ。

先月まではまだ窓口があったため、通常の社会保険取得届や喪失届等を提出することができた。
しかし、年金機構事務所はこれらを取り扱わないので、原則としてすべて年金機構福岡事務センターへの郵送による届出だけとなった。
ただ、従来から電子申請が可能なので、極力電子申請を活用するようにしている。
やはり郵便事故もこわいし、届いても紛失される可能性もないとはいえない。
電子申請なら、確実に記録を残すことができる。

適用関係の手続で、従来との比較で最も変わったことを実感させる手続が、社会保険新規適用届の手続だ。
社会保険労務士業界では「新適」と略すこの手続き、かなり以前は「新適調査」とも呼ばれる「調査」だったのだ。

振り返ると、新適調査は大変だった。
まず、毎月1日から5日までしか受付がなかった。
この期間を経過すると、翌月にまわされてしまうのだ。
そして、原則として事前予約が必要だった。
書類一式をもっていくと、「社会保険調査官」と面談しながら調査を受けるカタチでの手続進行だった。
無事終了すれば、その月の1日付けで晴れて社会保険制度加入が認められる。

これが数年前激変し、いつでも受け付けられるようになった。
そして、適用課の担当者が「手続」として書類をチェックするようなカタチになった。
添付書類も減った。

そして今月から、すべて郵送となった。

これらは、わずか10年くらいの間での変遷だ。
記憶が不確かだが、5年くらい前まで「新適調査」だったような気もする。
今になって思えば、かなり無駄な時間を強いられたように感じる。


労働基準監督署臨検調査、是正勧告

2010-01-27 21:37:18 | 労働法

昨日、今日と2日続けて労働基準監督署へ。
昨日は、関与先様が受けた是正勧告に関し、既に是正報告は終わっているが継続報告のための報告書提出。
今日は、用件が2つあって、関与先様の業態変更に関する調査と、労働保険の新規適用届。

労働基準監督署へ行く理由は、主に次のようなものだ。
<就業規則、協定>
・就業規則作成届(又は変更届)
・時間外休日労働労使協定(三六協定)届
・1年単位変形労働時間制、裁量労働制等労使協定届
<労働保険手続>
・労働保険新規適用届
・労働保険概算確定申告(年度更新)
・名称所在地変更届
・保険料還付請求
<労災保険手続>
・労災保険休業補償給付申請
・死傷病報告
・労災保険障害補償給付申請
・葬祭料申請
<臨検監督等>
・是正勧告にかかる是正報告
・臨検調査のうち、労働基準監督署にて行われる場合

労働基準監督署は、以上の通り一つの行政機関としては結構多岐にわたる事項を管掌しているように感じる。
法律でいえば、労働基準法、労働安全衛生法、労働保険料徴収法がカバー範囲だ。

社会保険労務士として、気を遣う仕事はやはり臨検調査だろう。
法違反があれば「是正勧告」を受けるが、お決まりのように行政指導である「指導票」もセットで交付されるのが一般的だ。

是正勧告は、法違反の指摘を受けると同時にこれを改善して報告することを勧告されるもの。
労働基準法、労働安全衛生法は特別刑法であり、監督官はこれら法律の特別司法警察官なのだ。
是正勧告を受け、違法な状態を改善して合法化し、そしてきちんと報告すれば、それ以上の追求を受けないのが基本。
しかし、是正勧告を受けながらこれを放置して改善しない場合は、当然検察庁へ書類送検されることになる。
そして、労働基準法違反として懲役刑又は罰金刑となるのが原則だ(実際には、不起訴となるケースも多い)。

指導票は、行政指導だ。
行政指導は、法的な拘束力はない。
従って、これを無視しても、そのことですぐに逮捕されたり書類送検されたりすることはない。
しかし、指導票を無視することは、当然監督官の心証を悪くする。
小職が監督官でも、指導票を無視されたら徹底的な臨検調査に入るだろう。
その結果、改善するのか、書類送検となるのか、ということになる。

実は先週末、また別の関与先様が臨検調査で是正勧告を受けている。
早急に合法化し、是正報告しなければならない。