25.10.25
加藤司書公並びに勤皇等諸烈士追悼会に参列。
初めて参列した頃は、参列者のほとんどが高齢者の方だった。
このまま時が経てば、いずれは参列者も極めて少数になるのではないかと危惧したことを覚えている。
しかし、現実には年々参列者が少しずつ増加しているように感じる。
今年も、初参加の知人の顔があった。
一方で、この追悼会に参列するきっかけとなったのは、筑豊の郷土史家である福田康生さんによる。
福田康生さんが執筆された加藤司書に関する書籍を注文したところ、追悼会のお誘いをいただいたのだ。
たしか平成19年。
これ以来、毎年欠かさず参列しているが、毎年この日だけ福田康生さんとお会いできる。
お会いするたびに「一年ぶりですね!」だ。
今回帰りがけに「また来年お会いしましょう。」というと、「生きてればね」と冗談っぽく言われた。
はっきりとおいくつか知らないが、初めてお会いしてから既に6年、当時の年齢に6歳加算しなければならない年月が経過したのだ。
感慨深いものがある。
さて、追悼会は例年通りの運び。
読経、祭文、焼香の後に、次の流れとなる。
・筑前琵琶
・献笛
・献吟
・卓話
筑前琵琶は、例年中村旭園さんが来られていたが、確か昨年は筑前琵琶演奏がなかった。
今年は、他の方が演奏された。
お名前に旭がついていたので、同門の方だろう。
献笛は、例年4人の高齢の男性が吹いていた。
今年は2名だった。
献吟は、大勢で吟じる。
見覚えのある男性を中心に、加藤司書公の「皇御国の武士はいかなることをか勤むべき ただ身にもてる赤心を君と親とに尽くすまで」を吟じる。
卓話は、毎年力武豊隆先生が担当。
幕末の志士の心の中や当時の人々の認識等について、具体的な比較等を用いて説明される。
非常に楽しい講義だ。
乙丑の獄は、慶応元年(1865年)だから、148年が経過したこととなる。
もちろん既に当時を知る人はいない。
しかし、当時を生きた人が80歳以上生きて直接話しを聞いたという人は、かなり高齢者になるだろうが、まだいるかもしれない。
仮に全くいなくなっても、来年も再来年も、そして10年後も100年後も追悼会は続くだろう。
日本人のよい慣習だ。