福岡髭爺の今日も絶好調!!

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※記載事項について、一切責任を負いません。

ブラックなラーメン屋

2015-11-28 09:07:44 | リスク法務実務研究会

27.11.25

リスク法務劇団による演劇『ブラックなラーメン屋』。

ぽんプラザホールにて、公演した。

本番直前の会場の様子。

お陰様で、立ち見者の方もあって、キャパ108席に対し満席となった。

今年春頃から脚本を制作。

昨年のリスク法務大忘年会で演じた劇をベースとしたため、さほど時間は要さなかった。

半年前に、11月24日(前日準備・リハーサル)、25日(当日メイク、リハーサル・本番)の会場予約を行った。

役者による練習会を開始したのが8月。

皆さんお忙しい中、8月から11月まで一所懸命に台詞や動きを覚えていただいた。

小職は、脚本監督。

脚本ができても、練習会には監督として全回出席。

演技指導は松尾拓也演出が中心となるが、横から口出しする邪魔な奴の役割だ。

本番のちょうど1週間前、社会保険労務士会の研修会があった。

しかも、あっせん研修で、講師は小職。

この日、劇の一部だけあっせん研修として披露した。

予想以上に良いできだった。

そして11月19日の最終練習会を経て、前日リハーサル。

やはり役者は全員素晴らしかった。

素人劇団であるが、十分に人前で演じることが可能だと確信できた。

そして当日を迎えた。

本番直前に撮影した、全役者7名の撮影。

ラーメン大将役の小川剛弁護士、奥さん役の手嶋清子行政書士、従業員役の徳永明日香社会保険労務士、小川剛代理人役の箭川亜紀子社会保険労務士、徳永明日香代理人役の柴田雄祥社会保険労務士、労働局紛争調整委員会あっせん委員役の田上隆一社会保険労務士、労働局総務部企画室記録係役の仲家淳彦弁護士。

さらに裏方4名を加えて撮影。

舞台監督の深町義浩会社役員、福舞台監督の福田憲太郎土地家屋調査士、演出小道具の松尾拓也公認会計士税理士、脚本監督の小職。

写真がないが、受付や裏方をご担当いただいた、和田好史行政書士、陣内和富会社役員、宮原民恵会社役員、田島美穂行政書士、堀江玲子社会保険労務士。

メイクをご担当いただいた重松愛子専門学校教師、7人の専門学校生徒。

ぽんプラザホールの庄野職員、照明担当の方。

とにかく多くの方のご協力の賜である。

心から感謝である。

舞台が始まる。

小職は、最初の挨拶、幕間の小解説,最後の挨拶を担当。

1回だけ、開演中に少し状況説明をする場面の写真(労働新聞社様撮影)。

ラストシーン近い写真(労働新聞社様撮影)。

最後の挨拶。

ご来場いただいた観客のご感想は、予想以上に良かった。

ご来場者の中には、大分から駆けつけてくれた方や、他の劇団の主宰者の方も。

一人ではできないことでも、複数の力が結集すると、本当に予想外のことを為しえるものだと痛感した。

久しぶりに大きな充実感を味わった。

 


福岡城クリーンアップ作戦、聖照権現社水鏡権現社

2014-06-08 17:15:24 | リスク法務実務研究会

26.6.8

福岡城内クリーンアップ作戦に初参加。

今回が第8回目らしい(主催:福岡城・鴻臚館の将来を市民と考える実行委員会)。

リスク法務おもてなし団に声かけし、手嶋清子行政書士と深町義浩HP委員長にもご参加いただいた。

わが家は家族全員で参加。

朝9時ギリギリに集合場所の福岡城むかし探訪館に到着。

受付をし、コース毎にならんで説明。

黒田官兵衛効果で、福岡城昔探訪館に訪れる人の数が、前年の2~3倍だそうだ。

2割増、3割増でもかなり増加だが、2倍、3倍は大激増といえる(または、前年が少なすぎたか)。

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5コースに別れ、おもてなし団一行は3コースに。

上の橋門から出て、お堀端に沿って中央市民センター手前までいき、裏から戻ってくるコース。

起伏が少なく、子供連れには最適だったかと思われる。

意外とごみは少ない。

日曜朝の軽い散歩のような感覚だった。

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終了後、聖照権現社、水鏡権現社の碑(プレート)を探しに。

以前探しに行ったときは、結局見つけきれなかった。

今回は、事前に福岡城むかし探訪館の方に場所をよく聞いてから向かった。

ちなみに、指定された場所は、前回もそのあたりに行ったはずだが・・・という場所。

結論からいうと、完全な見落としで、簡単に見つかった。

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碑には、『水鏡権現聖照権現相御殿跡』と刻まれている。

水鏡権現社が黒田如水、聖照権現社が黒田長政を御祭神とする社。

明和5年(1768年)の創建時は長政を祀る聖照権現社だけだった。

創建したのは六代藩主黒田継高。

最後の「黒田の血」となった藩主だ。

筑前直方藩主黒田長清の長男として誕生、黒田宗家宣政の養嗣子となり、六代藩主となる。

このとき筑前分藩の直方藩は、元の筑前藩に編入された。

長好という名だったが、七代将軍家継にお目見えし、偏諱を賜って継高と名乗る。

「高」も黒田孝高(如水)からとったもので、如水と同じ黒田官兵衛を通称とした。

大河ドラマ「軍師官兵衛」が注目されているが、「官兵衛」は実は一人ではない。

継高は、男子を相次いで亡くし、黒田の血の跡取りを失った。

長男で世継ぎの重政を失ったのが、継高60歳のとき(宝暦12年・1762年)。

重政はまだ26歳だった。

次に三男長経を失ったのが、その翌年で、長経22歳(宝暦13年・1763年)。

親として、その気持ちはいかばかりだっただろうか。

また、黒田武士団の落胆も相当なものだっただろう。

10代将軍徳川家治の従兄弟・隼之助を養嗣子として迎えることになった。

長男重正の娘屋世を養女に迎え、隼之助と婚約させて母系血統維持をはかるも、屋世は11歳で亡くなってしまう・・・

明和6年(1769年)、継高は隼之助に家督を譲る(7代治之)。

聖照権現社が創建された翌年のことである。

継高は、黒田の血が自分の代で途絶えることに関して、せめて初代黒田藩主を祀る社を創建しようと考えたものと思われる。

長政の神号、武威圓聖照権現を、そのまま社の名称とした。

それから5年後の安永2年(1773年)、藩主は治之であったが、継高71歳のときに水鏡権現を祀った。

『黒田家譜』は、「聖照権現と同社に祭り給ふ。」とされていることから、当初は聖照権現社に合祀されたとみてよいと思われる。

のち、聖照権現社と水鏡権現社は、それぞれの社で祀られることになったようだ。

残念ながら、いつからそうなったのか、わからない。

どなたかご存知の方には、ご教示いただけると幸甚だ。

しかし、碑には「相御殿跡」とあり、相殿のように感じさせられる。


法務経営部研修会

2014-06-04 21:44:16 | リスク法務実務研究会

26.6.4

福岡県行政書士会法務経営部研修会。

講師はリスク法務実務研究会の堀繁造弁護士、園田弁護士に依頼。

リスク法務実務研究会のメンバーは、安藤が撮影した写真については肖像権はない、というルール。

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本日の司会は法務経営部の上田健太郎行政書士。

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前半『事例で学ぶ離婚の相談と実務の留意点』、堀繁造弁護士。

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超満席。

定員オーバーで、申込んでも40名くらいは受講できなかった・・・

この満席を前にして、堀先生は離婚相談事例の変態メールの具体的な内容(「旦那とのエッチよりYとのエッチが断然気持ちいいし・・・」など多数)を読み上げた。

おそらく参加者が最も印象に残った事項だろう。

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堀先生講義中、余裕をかます後半講師・園田真紀弁護士。

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堀先生、カメラ目線。

堀先生は、終了後県外出張のため退席。

有り難うございました。

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後半『離婚の相談事例と実務~事例で学ぶ離婚とお金、親権~』園田真紀弁護士。

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2~3人前半だけで帰ったが、引き続きほぼ満席状態。

園田先生には、行政書士会からの要望のハーグ条約にも触れていただいた。

有り難うございました。

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最後にスタッフ紹介。

法務経営部部長の吉田順子行政書士。

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法務経営部の松井史子行政書士。

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司会も務めた上田健太郎行政書士。

一度撮ろうとしたら隠れたので、こちらを振り向いた瞬間を狙って撮影。

お疲れさまでした。


晴好夜市

2014-05-11 22:49:51 | リスク法務実務研究会

26.5.11

毎年恒例の晴好夜市。

実行委員長は、リスク法務の仲間でもある和田好史行政書士だ。

今年はステージにて、リスク法務バンドが演奏。

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 演奏前の控え室にて。

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 演奏直前、和田委員長を囲んで。

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 長谷川忠行政書士(ちゅうさん)熱唱。

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自分の世界に入った田上隆一特定社会保険労務士(たのリーダー)。

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 小職、リスク法務主宰ということで曲の途中で一言。

 外した・・・

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 松尾拓也公認会計士(まつたく)のサザン。
 歌はわからないが、表情は桑田に似ている。

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 終了直後、安堵感・達成感の表情。

 フッカー、ふくちゃん、たの、まつたく、そしてちゅうさん、非常に良い感じ。
 これからも、機会がある毎にガンガン出演して欲しいと願う。