今日は、久留米の水天宮の楠公祭に参列した。
幕末の志士・真木和泉守保臣は、水天宮の宮司。
この真木和泉が楠木正成公を崇拝して始めた祭祀だ。
楠木正成公は、最後まで天皇方について戦った武将で、戦前はとびきりの英雄扱いされていた人物だ。
大東亜戦争中には紙幣の肖像にも起用された。
反対に、後醍醐天皇に弓を引いた足利尊氏は、戦前は逆賊として極悪人扱いされていた。
時代背景で過去の歴史上の人物の評価が変わることには賛成できないが、個人的には楠木正成公は大好きな人物であることには変わりない。
真木和泉守、こちらは知らない人も多いように思う。
現在の福岡県における幕末の志士として、筑前福岡藩の平野国臣、筑後久留米藩の真木保臣は、その先がけだ。
不幸にも、いずれも大政奉還を迎える前に命を落としたが、多くの人に大きな影響を与えた人物だ。
楠公祭は、水天宮の境内にある山梔窩(くちなしのや)で執り行われた。
山梔窩は、かつて真木和泉が幽閉された建物で、今も筑後市の水田天満宮の近くに残っている。
水天宮には、同じ建物が祈念として建てられたものであろう。
この隣には、真木和泉守の銅像がりりしく建っている。
志半ばで倒れた真木和泉守だが、100年以上経過しても大切に祀られている。
日本では、無念な最期を遂げた者は、怨霊となって災いをもたらす、という考え方がある。
天神様の菅原道真が代表例だ。
残された者は、きちんと祀らなければならない、ということだ。
反対に、別に無念な最期でなくても、ご先祖様はきちんとお祀りする必要がある。
今日があるのは、すべてご先祖様のおかげだ。
同様に、今日の日本があるのは、すべて今までの先人達のおかげだ。