福岡髭爺の今日も絶好調!!

労働法、神社、郷土史、グルメ、他
※記載事項について、一切責任を負いません。

学問のすすめ

2009-07-28 20:07:49 | 日記

日本の最高額紙幣は長らく聖徳太子だったが、昭和の終わり頃から福沢諭吉が一万円札の顔となった。
数カ月前、福沢諭吉の「福翁自伝」を読んだ。
そして、いま、「学問のすすめ」を読んでいる(岬龍一郎氏訳)。
まだ全17編のうち4編までしか読んでないが、とても素晴らしい内容だ。

「これらは誰もが学ぶべき実学であり、身分上下の区別なく、すべての人間がたしなむべき学問である。こうした心得を持っていれば、それぞれがそれぞれの職業で、その務めを果たし、生計を立てることができる。そうなれば一身も独立し、一家も独立し、ひいては国家の独立につながるのである。」

「(無法者)自分自身は国家の法律で守られ、それを頼りながら、不利益なことに対してだけは平気で法を破るからである。」

「国民の一人ひとりが自分の行動を正しく保ち、学問に志し、広く知識を取得し、おのおのの立場に応じた才能と人徳を磨くことである。同時に政府は、政治をわかりやすく国民に伝え、その政策が国民に平安をもたらすように努めるべきである。そして国民と政府が一つとなって、わが国の繁栄と平和を築くことこそ、私のすすめる学問であり、その目的はこの一点にある。」

「人間、独立心をなくして他人に頼る者ばかりが多くなると、国民全体が依頼心の強い者ばかりとなって、個人的な援助をする人はいなくなる。たとえていえば、目の不自由な人に、誰も手を引いてくれる人がいないのと同じことだ。」

「一国の危機存亡に関わるとき、国民の立場だからといって、政府のみに国家の安全を任せ、ただ傍観してよいという理屈はどこにもない。日本人としての名前を持っているということは、すでにわれわれは日本人であり、この国で生活する権利を持っているということだ。権利があるということは、当然、それに伴う義務と責任があるということに他ならないのである。」

「もし役人のほうが民間より利益が多いというのなら、それは税金の無駄遣いというべきである。多すぎる利益をむさぼるのは紳士のやることではない。無芸無能の人間がたまたま幸運で役人となり、高い給料を取って贅沢をしている者がいるとしたら、それはわれわれの友ではない。」

学問のすすめ、という著作の存在は、日本人なら誰でも知っているだろう。
小職も、おそらく小学生のときから知っている。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」という誰でも知っているフレーズから始まるこの書、40歳をすぎて初めて内容を読むことになった。

時代背景は明治初期(明治4年~9年)だが、それから約140年後の今日でも十分通用する内容だ。
小職は、温故知新という言葉が好きで、「有限会社温故知新」という会社まで設立したところであるが(設立以来休眠中)、ますます「温故知新」を確信したところだ。


九州の経済誌フォーNET

2009-07-20 20:15:14 | 日記

小職の高校の先輩が経営するフォーネット社は、定期刊行誌「フォーNET」を発行している。
先日お話ししていたところ、来月発行分から、小職が新連載を担当することとなった。

小職は、関与事業所様に対し、毎月①労務マネジメント通信、②社会保険労務士の独り言、③最新記事☆言いたい放題、の3種類を情報提供として送付させていただいている。

「社会保険労務士の独り言」は、1つのテーマについて8頁~10頁程度の分量で検討する内容。
テーマはほとんど労働法から選択することが多い。
配信先が関与先様に限られているため、法律上のグレーゾーンもおそれず執筆している(笑)。

「最新記事☆言いたい放題」は、直近1カ月以内の新聞記事等からテーマを選出し、1テーマ1頁で執筆。
毎月小職が5頁~6頁、職員がそれぞれ1頁~2頁を執筆している。
タイトルの通り、「言いたい放題」なので、必ずしも労働法や労働社会保険法の内容とは限らない。

フォーNETに連載されるのは、最新記事☆言いたい放題の小職執筆分から1テーマが選ばれて掲載、とういことになるようだ。
小職としても毎月原稿はあるし、特段の労力が増えるわけではないため、喜んで賛同した。
ただ、内容が言いたい放題で、実際に印刷する前に校正だけはさせていただく(笑)。

ということで、ご興味のある殊勝な方は、是非とも購読していただきたい。
月刊誌で、年間5000円という値段は魅力だと思う。
↓↓

http://ameblo.jp/blog-fornet/


政界迷走

2009-07-17 21:59:35 | 日記

今度の選挙では、民主党が過半数を占める可能性が高そうだ。
しかし、もしそうなったとしても、本来最も票を集めるであろうものは「支持政党無し」や「どの政党がやっても変わらない」という無関心や諦めであることを、民主党は念頭に置いておくべきだ。

また、国民の人気を得るため、安易に「減税」や「生活の安定」を語らないことだ。

今の日本は天下の借金国家であり、その収入源である税収を減らすことは、さらなる借金に頼るか、又は支出を大幅に抑えるか、しかないのである。
事実上、支出を大幅に抑えるとなると、子育て支援や雇用確保のための費用がどこから出てくるのか、という話になる。
つまるところ、また国家の借金が増加するだけで、国民がツケを払わせられるだけのことだ。
個人的には、とにかく行政の支出を可能な限り減らして欲しい。

生活の安定は、原則として勤労による収入によって成立する。
高齢者については安定した年金収入(=かつての勤労の結果)、未成年者については扶養する親の収入である。
つまり、雇用の確保と、安定である。
しかし、現行労働法制では、労働者と使用者との関係が、あまりにも一方的な労働者保護に偏っている。
悪質な経営者への対抗手段としての労働法は必要であるが、一般的な経営者の事業継続を阻害する水準の労働法は、むしろ事業所の体力を弱め、ひいては雇用の場の減少につながるものと考える。
最低賃金を時給1000円以上に、とか言う政治家がいる。
時給1000円とは、週40時間労働の場合で月給17万円以上となる。
嘘か冗談か知らないが、もし本気なら、地方の中小企業、特に低賃金者を多数雇用している事業所の息の根を止めることにつながりかねない。
当然、また雇用の場が失われる。

昨年の金融危機以来、一部の優良企業等を除き、非常に厳しい経営環境を背景としながらも、地場企業は何とか事業を継続し、さらには発展させようと頑張っている。
この努力に対し、応援する必要はないが、決して邪魔だけはしてはならない。

耳当たりの良い言葉は要らない。
政治家が天下国家を語るときは、100年後の日本を見据え、そして今どうすべきかを語らなければならない。
場当たり的な政策を繰り返すことは、過去の膿にふたをして先送りにするだけであり、将来の不安は払拭されない。
国民は、今の幸せだけでなく、未来の幸せをも願うものだ。


「学習会シリーズ」

2009-07-13 21:53:29 | 労働法

親しくしている弁護士さんから、その弁護士さんを含む3人の弁護士さんの「学習会シリーズ」の講師をご依頼いただいた。
「学習会シリーズ」とは、各専門家に直接学ぶことを目的としたシリーズ、というもので、既に公認会計士さんに数回学習会を実施してもらい、今回から社会保険労務士に直接学ぶ、ということだ。
これから数回講師を担当させていただく予定となった。

弁護士のカバー範囲は、少なくとも国内においてはすべての法律だ。
そこで、少しでも多くのことについて深く学びたいと考えて始めたようだ。
実に、頭が下がる。

今日の内容は、主に社会保険の適用について。
話があちこちに飛びながらすすめたので、本当は労働保険までしたかったが途中までとなった。
正直なところ、弁護士さんがこのような細かい話を知る必要性があるかどうかは疑問だが、その姿勢には感動する。
実際、学習姿勢は実に誠実なものだった。

ふと気付いたが、小職は行政書士も登録している。
行政書士の業務も、弁護士に劣らずカバー範囲が極めて広い。
しかし、小職は労働法を中心とする社会保険労務士業専業に近い状態で、行政書士としての業務は契約書作成の他はほとんど行っていない。

問題は、勉強しようとする姿勢が低いことだ。
人並み以上勉強している自信はあるが、すべて労働法に集中投下しているのが実態だ。
この姿勢に何ら疑問を感じたことはなかったが、本当にこれで良いのか考えさせられた。

単純に「裁判」であれば、すべて弁護士の分野であるが、その内容は極めて多岐にわたる。
小職の場合、労働保険、社会保険の手続等を行うが、依頼者から見れば「行政手続」の一部に過ぎない。
「行政手続」として依頼者の視線でとらえれば、労働社会保険の他にも、税務、許認可、行政届出・申請等幅広い。
税理士、司法書士等でなければ法律上できない分野があるが、可能な分野については「行政手続」の依頼を直接引き受けることができるよう学習する必要があるだろう。

「プロ」は、浅く広くであってはならない。
しかし、「広い」ことは重要であり、その中でいくつかの「深い」分野が必要といえるだろう。

今日は小職が講師であったが、その「受講生」の姿勢に大いに学ばせていただいた。


元治元年

2009-07-02 23:05:53 | インポート

ブログは、意外な人が見ていることがある。
何と、小職の親父だ。

親父からメールが届き、6月6日の記事に「祖父が明治38年生まれ」と記載したがこれが誤りと知らせてくれた。
祖父は、明治32年生まれだった。

明治32年というと、日清戦争(明治27年~28年)より後で、日露戦争(明治37年~38年より前だ。
西暦では、1899年。
何と1800年代、19世紀だ。

ちなみに、曾祖父は元治元年生まれとのこと。
元治元年は江戸時代末期で、西暦1864年だ。
先日勤王志士の真木和泉の楠公祭に臨席したが、真木和泉が禁門の変で切腹したのが元治元年だ。

やはり幕末は、それほど昔ではない。
元治元年は145年前だが、この145年の間の世界と日本の変動はすさまじいものがある。
逆に145年後の西暦2154年は、全く想像がつかない世の中になっているのだろう。

とりあえず、親父、有り難う。