8月15日、65年前の今日、大東亜戦争は終戦ということになった。
(実際には、8月17日から旧ソ連軍は千島列島の占領を開始し、9月2日までに択捉、国後、色丹、歯舞の北方領土まで侵攻したように、8月15日後の犠牲者も少なくない)
今日は、福岡縣護国神社の戦没者等慰霊祭に参列した。
参列者には、日本会議関係者、小菅亥三郎先生等面識のある方も数名いらっしゃった。
慰霊祭は、11時から始まり、田村宮司の祝詞、巫女の舞奉納の後、昭和天皇の玉音放送をお聞きし、それから全国戦没者追悼式の中継を見ながらこれにあわせて黙祷をささげた。
全国戦没者追悼式の今上天皇陛下のお言葉は、次の通り。
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に65年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
わずかこれだけの文章に、極めて奥深く、厳かな慰霊と祈念が込められている。
これに対し、菅直人首相は、「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲となられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します」と述べている。
「全国戦没者追悼式」において、英霊の前で英霊の行為を「深く反省する」とし、追悼になっていないどころか冒涜であり、失礼千万である。
このような言葉は、その式典の目的等をよく考えて発しなければ、その知性や人間性の程度を露呈することになる。
このような者がわが国の総理大臣であることが恥ずかしい。
少なくとも国家のために命を懸けて戦った英霊たちに対し、後世の我々が議論するなど失礼極まりないものだと考える。
「靖国で会おう」という合い言葉で散っていった先人たちは、靖国神社で祀ることは当然であり、次の世代の我々は、ただただ先人の慰霊を「英霊にとって最善の方法」で尽くすだけである。
少なくとも、後世の人間がその時代における思想等で歪めてはならないものである。
歴史は、その時代背景をよく勘案して考えなければならない。
現代において、我々が平和と安全を享受できるのは、ひとえに先人が築いた礎の上にあるものである。
日本人として、感謝と慰霊の念を忘れてはならない。
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