福岡髭爺の今日も絶好調!!

労働法、神社、郷土史、グルメ、他
※記載事項について、一切責任を負いません。

さむらい西南の会

2010-01-25 22:30:54 | 日記

明日1/26は、本年初回の「さむらい西南の会」だ。

さむらい西南の会とは、西南学院大学OBOGで、現在福岡で士業(弁護士、公認会計士、税理士、弁理士、不動産鑑定士、土地家屋調査士、司法書士、行政書士、社会保険労務士)の業務に就いている者で集まる懇親会。
昨年5月から始まり、第3回目の7月に初めて弁護士OBからお声かけいただいて初参加。
毎月開催されているが、8月は欠席し、9月に2回目参加、10月は欠席し、11月に3回目参加。

11月には、小職の知人の社会保険労務士4名、司法書士1名の初参加の方を紹介した。
その結果、「次回幹事」を仰せつかり、1月は幹事を務める(幹事は毎回交代制、12月は休会)。

知らないだけで、かなりの数の西南OBOGが福岡で活躍中と思われる。
現在、社会保険労務士と司法書士の数は多いが、税理士、公認会計士あたりが少数だ。
土地家屋調査士、弁理士に至ってはゼロ。
もしこれを見られた西南学院大学OBOGの税理士さん、公認会計士さん、土地家屋調査士産、弁理士さん、ぜひぜひご連絡頂きたい。
もちろん、この他の専門職(弁護士、不動産鑑定士、司法書士、行政書士、社会保険労務士)も歓迎する。

大学OBOGだから、何と言っても「卒業年次」が重要だ。
社会保険労務士は、比較的30代や40代以降で初めて開業する方が多いため、30歳で開業した小職よりも社会保険労務士業界では後輩、しかし大学では先輩、というパターンは多い。
逆に、弁護士、司法書士あたりで、20代から登録している方であれば、同世代でも専門職としては大先輩、というパターンもある。
この微妙な関係がそれなりに面白い。
ただ、大学OBOG会だから、卒業年次が最優先だ。

明日は、現時点で15名のご参加が予定されている。
無事に役目を果たせるよう頑張りたい。


近代貨幣(古銭)

2010-01-24 20:00:10 | 歴史

今日は、福岡県護国神社で「蚤の市」が行われていた。
多くの露天が出ており、お客さんでにぎわっていた。
蚤の市というと、実は苦い思い出がある...

実は小職は、古銭コレクターだ。
この趣味、実に歴史は長く、中学1年生から始めた趣味だ。
ただ、本格的なコレクターではないため、常に狙った古銭を追い求める、というタイプではない。
気が向いたときに気に入ったものを入手する、という程度だ。
根本には「歴史好き」がある。
古銭は歴史を物語るから好きなのだろう。

中学生の頃(昭和50年代)、小職は新聞少年として熊日新聞(熊本日日新聞)を配達していた。
従って、普通の中学生と比較すると、ややお金持ち(ともいえないが)。
当時の中学生の小遣いの相場は月額3,000円くらいだったと思うが、小職は多いときは月に25,000円くらい稼いでいたのだ。

ここで、蚤の市の話になるのだが、明治初期に貿易専用の貨幣として「貿易銀」というものが発行されたのだが、確かこれが1枚2,000円くらいで売られていた。
当時、コインショップで買えば確か5万円以上する代物だ。
中学生の小職は迷わず購入したが、ここが中学生、甘かった。
そう、偽物だ。
これ以来、蚤の市では骨董品のような物には手を出さず、ただ実用性と代金との比較で安ければ検討する、ということになった。
いい社会勉強になった。

ところで、小職の古銭収集の対象は、基本的には明治~昭和初期(戦前)の近代貨幣と呼ばれる範囲だ。
もちろん、江戸時代以前の貨幣や明治以降の紙幣にも興味はある。
しかし、難しかったり、高額で手が出なかったりで、中学生の趣味らしく価値のない安価な物を「歴史遺産」のように感じることが楽しかった。

それから既に30年近いときが流れた。
今は、その気になれば当時欲しかった古銭はかなり気軽に購入できる。
ただ、わかってきたのだが、近代貨幣で本当に価値がある古銭は極めて一部だ、ということだ。
つまり、高いお金を出してまで購入しようとするほどのコレクターではないのだ。

ちなみに、現行コインの最初の発行年は次の通り。
500円白銅貨:昭和57年
100円白銅貨:昭和42年
50円白銅貨:昭和42年
10円青銅貨:昭和26年(昭和34年から「ギザ無し」)
5円黄銅貨:昭和24年(昭和34年から「ゴシック体」)
1円アルミ貨:昭和30年

これより前の発行であれば、小職にとっては古銭となる。
単純に戦後だけに焦点を当てても、結構ある。
ただ、価値はほとんどないが。

・鳳凰100円銀貨(昭和32年~33年)
・稲100円銀貨(昭和34年~41年)
・無孔50円ニッケル貨(昭和30年~33年)
・有孔50円ニッケル貨(昭和34~41年)
・無孔5円黄銅貨(昭和23年~24年)
・1円黄銅貨(昭和23年~25年)
・大型50銭黄銅貨(昭和21年~22年)
・小型50銭黄銅か(昭和22年~24年)

ここ5年くらいは全く新たに入手していないが、5年前くらいに入手したときの狙い方は次のとような感じだ。

①「明治六年」シリーズ
 明治時代になって、それまでの「両、分、朱」から「円、銭、厘」の制度となったが、竜1円銀貨、竜50銭銀貨、竜20銭銀貨、竜10銭銀貨、竜5銭銀貨、竜2銭銅貨、竜1銭銅貨、半銭銅貨、1厘銅貨の硬貨がすべて発行されるようになったのが明治6年からだ。
 そこで、明治6年だけを狙って入手しようとした。
 ただ、1円銀貨と1厘銅貨だけは高価で手が出ないままだが...

②「特年」狙い
 同じ硬貨でも、年号によって価値が異なる。
 基本的に「希少性」で決まる。
 そこで、特年で、しかも比較的安いもの(価値は低いが)を狙って購入。
 昭和13年発行の50銭銀貨を入手した。

ちょっとマニアックなので、またの機会にしよう。


邪馬台国、妙心寺、太宰府、龍馬

2010-01-23 23:11:49 | 郷土史

今日は、電車で太宰府に行った。
目的は2箇所。
九州歴史資料館と九州国立博物館だ。

九州歴史資料館館長講座(西谷正先生)

「九州歴史資料館」をご存じだろうか。
意外と知名度が低い存在だが、その名の通り歴史資料館で、主に福岡県を中心とする北部九州の古代遺跡関係の展示が中心の施設だ。
場所は、九州国立博物館のすぐ近くで、博物館の一般有料駐車場のところだ。

この九州歴史資料館の館長は、邪馬台国はじめ古代史研究の第一人者の西谷正先生(九州大学名誉教授)。
今日は、西谷先生の邪馬台国に関する館長講座に参加した。
毎月一回、昨年4月から今年3月まで全12回連続シリーズで開講されているが、なかなか毎回の出席は難しい。
それでも何とか2回に1回は参加している。

今日のテーマは、投馬国。
館長講座は、魏志倭人伝(正確には『「三国志」魏書東夷伝倭人条』)に沿って楽浪郡、帯方郡から始まった。
そして、初めて海を渡って対馬国(対馬市)、さらに渡って一大国(壱岐市)、さらに渡って末廬国(松浦市)、東南へ伊都国(糸島市)、東南へ奴国(福岡市・春日市)、東へ不弥国(宇美説、飯塚説)までは、前回までに終わっている。
福岡人として、やはり伊都国、奴国、不弥国あたりが一番親しみやすい地域だったが、今日の投馬国。
投馬国の推定地は諸説あり、邪馬台国論争の結論が九州説か畿内説かでも大きく異なってくる。
西谷館長は畿内説であるため、投馬国は不弥国(福岡県)と邪馬台国(畿内)の間に無ければならないことになり、岡山県倉敷市と比定している。

邪馬台国論争は、両説とも学者先生のお話を聞いてきたが、いずれも説得力がある。
小職は古代史は得意ではないが、やはり九州生まれ九州育ちのせいか、九州説だ。
ただ、本心は、魏志倭人伝を執筆した本人は当時の日本に自ら渡ったこともなく、「魏書」は「偽書」でないかと思っている。
即ち、「邪馬台国」とされる国は存在したであろうが、その行程はいい加減な内容で、魏志倭人伝に記載される距離・方向等はほとんど参考にならない。
実際、そのまま記述に従えば、邪馬台国は日本を突き抜けて太平洋の海の中になってしまう。

多分、「邪馬台国」という国があったのだろう。
しかし、それが当時の日本最大の勢力だったかどうかはわからない。
魏書に書かれた内容は、あくまでも日本にきたことが無い者が、人づてに聞いた話を書いてそれが三国志に採用されたにすぎないからだ。
その時代に畿内にも当然有力な国家があったことは遺跡からも証明されるが、「邪馬台国」がどこであったかは永遠に証明されることはなく、古代史ファンのロマンをかきたてる存在であり続けるだろうと推測する。

ということで、今日は投馬国の講義だったが、小職は古代史の遺跡発掘等に対しては広い意味での歴史として関心を持つが、やはり郷土史思考が強く、岡山県にはさほど関心がない。
次回は「邪馬台国九州説」について西谷先生が語られるから絶対に参加したいのだが知人の結婚披露宴出席のため既に参加できないことが確定している...

九州国立博物館妙心寺展、聖福寺

九州歴史資料館の館長講座を終えて、九州国立博物館へ。
特別展の「妙心寺展」を見学に。
京都の禅宗大本山である妙心寺と、妙心寺系の九州・沖縄の寺院関係の展示で、非常に興味深いものが多かった。
特に、博多・御供所町の聖福寺の「扶桑最初禅窟」の扁額は、普段は鳩防止のための柵のためよく見えないが、今日は展示されていたので初めて間近でまじまじと見ることができて嬉しかった。
聖福寺は後鳥羽上皇から賜った通り「扶桑最初禅窟」(扶桑=日本、最初禅窟=最初の禅寺)なのに、その後京都妙心寺が中心になってしまったことが福岡人としてちょっと悔しい。
聖福寺は、その後仙厓和尚を輩出したことでも有名だ。

話が飛ぶが、九州国立博物館の特別展をよく見に行かれる方には、同博物館のパスポートがおすすめだ。
年間3,000円で、最大6回の特別展見学が可能だ(同一展示は1回限り)。
九州国立博物館ではだいたい年間4回の特別展が企画されるから、3回行けば元をとる、という計算になる。
さらには、他の国立博物館(東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館)の特別展も年間2回までは使えるので、東京や京都等に行くことがあればさらにお得、といえる。
あと、一般展示(平常展)はいつでもフリーパスになるので、特別展に出かけたときについでに少しだけ覗いてみるとよい。
小職は、昨年パスポートを購入し、チベット展、阿修羅展、古代九州の秘宝展に続いて4回目で、既に元をとってプラスに転じた気分だ。

太宰府天満宮宝物館、七卿落ち

太宰府に行って絶対に無視できないのが、太宰府天満宮だ。
平成22年になってからは、太宰府天満宮は初参拝だ。
だいたい年間6~7回くらい参拝するが、今日は少し時間もあったので久しぶりに宝物館に入場してみた。
宝物館に入場したのは、ちょうど「太宰府幕末展」と「太宰府の面影~過去・現在・未来~展」があっていたからだ。

学校の歴史では教えられないが、幕末の舞台は京都や「薩長」ばかりでなく、太宰府も重要な舞台だった。
八月十八日の政変により長州に逃れた七卿は、その後の幕府の長州征討にあたり筑前藩の月形洗蔵を中心とする筑前藩士、西郷隆盛等の尽力により筑前にうつることになった。
結果的に2人欠けて五卿となるが、そのとき落ち着いた場所が太宰府であり、天満宮境内の延寿王院なのだ。
従って、五卿を頼って各地から勤王志士が訪れた。
西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬、中岡慎太郎、伊藤博文、木戸孝允らも太宰府に訪れているのだ。
「明治維新は、太宰府から始まった」というと過言かもしれないが、嘘ともいえない。

龍馬ブームと史実

話のついでだが、現在「龍馬ブーム」となっている。
坂本龍馬の最大の功績は、『薩長同盟』を提案し、締結させたこととされる。
しかし、これは司馬遼太郎の文学小説の影響が大きすぎ、史実とはいえない。

最初に薩長連合を模索し、提案し、行動を起こしたのは、他ならぬ福岡藩士・月形洗蔵が最初だ。
「個人的に薩長連合を考えた」という水準なら、もっと遡って平野国臣(福岡藩)、真木和泉(久留米藩)あたりが最初になるかもしれない。
いずれにしても、「誰も考えなかった犬猿の仲である薩長の手を結ばせることを考えた」のは坂本龍馬の功績ではない。
七卿落ちにより三条実美公以下七卿が長州に入り、その後幕府による長州征討軍が進軍することになるが、このときに長州側の立場に立って、国内で争う非をとき、薩長の連合を想定して西郷隆盛を動かしたのが、福岡藩だったのだ。
実際に、七卿の一人である東久世通禧は、明治後期に「薩長連衡北筑功」(=薩長の連合は、筑前藩の功績)とする書簡を福岡藩士に贈っている。

もし「歴史は面白ければいい」と考える人がいるとすれば、それは誤りだ。
私たちには、歴史については、史実、真実を基礎として後世に伝える義務がある。
過去は変えられない、未来は変えられる。
未来は面白い方がいいが、過去は変えられないし、これを見つめて将来に生かす材料としなければならないのだ。
従って、現在の龍馬ブームとそれに乗っかる史実を無視した商法等について深く心配している。
坂本龍馬の正しい功績は、薩長連合の機運が盛り上がりながらも最後の一押しができない状況を打開したことだ。
もちろん、これだけで大きな功績であることは変わらない。
薩長連合の方向性にもっていくための尽力、という点でいえば、今は単に相棒又は部下のように扱われている中岡慎太郎の功績の方がはるかに大きい。
正しくその功績を伝えたい。

うーん、長くなった。


研究会、研修会と解雇法制

2010-01-22 21:16:46 | 社会保険労務士

昨日今日は、2日連続で研究会、研修会だった。

昨日21日は、第38回労働判例研究会。
毎月1回開催しているが、本年は初回だ。
平成19年から毎月欠かすことなく足かけ4年目に突入した。

テーマは、①産前産後休業、育児介護休業と賞与との関係等、②年次有給休暇の時季指定、時季変更権、時効・繰り越し等について、の2つ。
それぞれメンバーの堀繁造弁護士、林田太郎弁護士が担当。
次回2月も2テーマだが、小川剛弁護士とともに安藤も1テーマ担当予定だ。
メンバー6人の輪番制で、毎回2人が担当するため、3回に1回は担当となるしくみだ。

第38回研究会では、今年の行事の検討も行った。
昨年は出版(「労働判例に学ぶ中小企業の労務管理」)の執筆のため、他の行事としては出版記念懇親会を開催したが、今年は現時点で研究会による出版予定がない。
そこで、今年は「合宿」を計画することになった。
1泊2日で労働判例・労働法務の研究を行うものだが、懇親会的要素の方が強くなることが想像される(笑)。
2泊~3泊の親睦旅行も考えられないわけではないが、全員のスケジュールが合う日を設定するのが困難。
1泊2日、温泉地でゆっくりと、というくらいでちょうどいいだろう。

本日22日は、福岡県社会保険労務士会の研修会に参加した。
講師は、労働法で有名な安西愈弁護士の安西法律事務所所属の弁護士・渡邊岳先生に東京からお越しいただいた。
ちなみに、日本の労働法専門弁護士として、安西愈先生、高井伸夫先生は全国的に有名人だ。

テーマは「解雇ルール」について。
当然ながら労働裁判を前提とした法理論だが、社会保険労務士が押さえておかなければならない基本でもある。
社会保険労務士が直面する労働紛争等の多くは、「裁判外労働紛争」で、訴訟に至らないものが圧倒的に多い。
しかし、裁判外であっても過去の労働判例を意識して検討することは当然だ。

小職がいつも感じていることは、わが国の労働法制は「ゴネ得」的な実態がある、ということだ。

一般に「解雇は難しい」といわれるが、実は簡単だ。
一方的に解雇することを通知すればいいだけだからだ。
しかし、解雇された労働者が不当解雇として訴訟を提起すれば話は変わる。
客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められないときは、解雇は無効とされる。
そして、客観的合理性や社会通念上相当性を判断するのは裁判官であって、一般社会人の認識とは大きく異なる。
結論として、解雇が有効と認められるためには、かなりハードルが高いといわざるをえないのだ。

以上の通り、解雇された労働者は、そのまま黙っていれば解雇されたままで終わるが、提訴すれば解雇が無効とされる可能性が高いのだ。

裁判外労働紛争を考えると、単純に判例一点張りのアドバイスでは相談者を納得させられない理由がよくわかる。
解雇された者が訴訟を提起する正確な確率は知らないが、感覚的には1割あるかないかだろう。
即ち、解雇しようとする経営者は、過去の経験、周囲で起こったこと等を総合的に判断した結果、「裁判になれば負けるとしても、解雇する」という選択肢があるのだ。
そして、その結果として、多くのケースにおいてそのまま問題が解決してしまうのだ。

小職は、このような実態に極めて不公平を感じる。
しかし、これが現実だ。
このような背景があるため、労働紛争に関しては、通常裁判の他にも労働関係調整法による労働委員会の斡旋・調停、労働審判、裁判外紛争解決促進法・個別労働紛争解決法によるあっせん手続等が準備されている。
ちなみに、社会保険労務士会で設立した「社労士会労働紛争解決センター福岡」は、あっせん手続による紛争解決機関だ。

話が逸れるが、先日、社労士会労働紛争解決センター福岡におけるあっせん手続で、あっせん成立した事案があった。
センター福岡は昨年11月に開所したばかりだが、全国の他の社労士会センターにさきがけた実績となった。

ということで、研修会で法律論と実態との乖離について思いをはせた小職だった。
ちなみに、社会保険労務士会の研修会等は定期的に行われているが、小職はここ数年出席率が低い。
いつの間にか、参加者(社会保険労務士)の大多数が「知らない人」になってしまった。


行政書士会研修会

2010-01-20 18:55:27 | 行政書士

18日は、行政書士会福岡中央支部の研修会が行われた。
小職は研修会を担当しており、研修のテーマや講師、会場予約、終了後の懇親会の会場予約等をしている。
年間3回の研修会、今回は今年初めての研修会で、年度でいえば平成21年度最後の研修会だった。

通常は、福岡中央支部の会員及び会員が声をかけた者(事務所の職員、知人等)のみが参加する。
だいたいいつも25人~30人くらいが研修に参加する。
しかし今回は、事前に行政書士会の会報に「オープン研修会」ということで周知してしまったため、予定以上に申込があり、10人以上お断りしなければならない事態になってしまった。
(満席の45人参加)

単に中央支部関係者でない他支部の方に声をかけたことだけが理由ではない。
中央支部関係者だけでの研修では、既述の通り通常は25人~30人の参加だが、今回は34人参加している(別途キャンセル待ちとなった方も数人)。
従って、「企画」が良かったのだ(笑)。
きちんと言い直しておく必要がある。
「講師」「テーマ」が良かったのだ。

研修は二本立て。
前半は弁護士の先生をお招きし、「離婚の法律問題」についてご講義いただいた。
弁護士の先生本人が多くの離婚事件を扱ってきた経験があるため、また、行政書士を相手に話すことから一般向けよりも少し突っ込んだお話しをいただいたことから、非常に有意義な講義だった。
ちなみに弁護士の先生は、労働判例研究会、リスク法務実務研究会でいつもお世話になっている堀繁造先生だ。

後半は、中央支部会員の池松伸一先生に「交通事故と行政書士の関わり方」についてご講義いただいた。
池松先生も既に行政書士歴20年以上のベテランの先生で、多くの交通事故事件を取り扱ってこられたご経験に裏打ちされた素晴らしいご講義をしていただいた。

「離婚」、「交通事故」、いずれも極めて身近な法律問題だ。
従って、これらに関して、行政書士の知人等があれば相談するケースが多いことは容易に想像できる。
このあたりが、今回の研修会の参加希望者が多かった理由だろう。
そして、実際の講義の内容が非常に良かったため、おそらく出席者にもご満足いただけたものと考える。

ただ、研修会の講師謝金(ほとんどボランティアのような金額だが)、資料コピー代等は、すべて中央支部の会員が支払う会費からまかなわれている。
従って、支部の研修会は支部の会員優先参加のしくみを準備する必要があると強く感じた次第だ。