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福岡県護国神社

2010-01-16 17:01:26 | 神社

今日は、福岡県護国神社で正式参拝させていただいた。
福岡県護国神社は、靖国神社の福岡県版のような存在だ。
主に明治維新から大東亜戦争までに国のために命を落とした方が御祭神だ。

明治維新といっても、幕末期も対象だ。
有名人では、平野国臣、真木保臣(真木和泉)、加藤司書、月形洗蔵あたりの「明治維新前」に亡くなった方も御祭神だ。
護国神社の前進は「招魂社」だが、福岡では明治元年に妙見招魂社と馬出招魂社が創建されたことに始まる。
今も、扁額に「招魂社」、柱に「明治三年」と刻まれた当時の鳥居が福岡県護国神社境内に残る。
のち二つの招魂社は合祀され妙見馬出招魂者に(明治39年)。
昭和13年には名称が福岡招魂社に変更され、その翌年に福岡県護国神社となる。

昭和14年当時、福岡県内には、山川護国神社、柳河護国神社、田川護国神社、八景山護国神社があったが、すべて福岡県護国神社に合祀された。
この中で、柳河護国神社は、今も柳川市の三柱神社の境内に残る(他の3社は未確認)。
ちなみに、東区志賀島の志賀海神社のすぐ近くには、志賀護国神社が鎮座する。

戦後はGHQ指令もあって正中宮の名で継続されたが、のち福岡県護国神社に復する。

福岡県護国神社は、全国の護国神社の中でも特にその境内面積が広大なことで知られる。
他県の護国神社で小職が参拝経験がある神社には、熊本県護国神社、大分県護国神社、佐賀県護国神社がある。
大分県護国神社はかなり広いが、熊本県護国神社、佐賀県護国神社はそこまで広くはない。
福岡県護国神社は、ここが中央区とは思えないほど多くの木々に囲まれた非常に気持ちの良い境内だ。
境内摂社として、掘出稲荷神社が鎮座する。

今の私たちが平和に生活しているのは、先人達の犠牲の上に成り立っていることを忘れないためにも、護国神社への参拝を奨励する。
ちなみに、