福岡髭爺の今日も絶好調!!

労働法、神社、郷土史、グルメ、他
※記載事項について、一切責任を負いません。

美の国日本

2015-11-29 00:51:53 | 歴史

27.11.28

土曜日だが、朝8時過ぎに出勤。

14時30分過ぎくらいまで、途中30分程度の食事時間を除き、仕事に打ち込んだ。

14時30分過ぎから、妻と太宰府へ。

どうしても、福岡藩第4代藩主黒田綱政が建立した鳥居の写真をとってしまう…

15時過ぎだったが、まだまだ人通りが多い。

久しぶりに定遠館を覗いてみる。

小職の知人で先輩の浦辺登氏が『太宰府天満宮の定遠館』で広く紹介した「史跡」だ。

太宰府天満宮参拝。

先日、ウソか本当かわからないが、後藤禰宜から私の『香椎宮と勅祭~古代の勅祭、現代の勅祭~』を読みたいと言われていたので立ち寄ってみた。

残念ながらご不在。

冊子は預かっていただき、渡してもらうよう依頼した。

ついでに、社殿を裏から撮影してみた。

檜皮葺屋根が美しい。

九州国立博物館へ。

今日の目的は、「美の国日本」観覧だ。

本当はもう少し早く行きたかったが、ギリギリになってしまった(11/29まで)。

ギリギリの土曜日だから、人が多いはずなので、夕方狙い。

入り口は人が少なかったが、中に入ると結構多かった。

九州国立博物館ご提供の写真を並べてみた。

どれも、教科書に載っていたような土偶、縄文土器、銅鐸、埴輪だ。

特に仏教関係の像、書、画等が充実。

個人的には神道関係の展示も欲しかった。

なんといっても、九州国立博物館は、太宰府天満宮に隣接するのだし。

他にも多くの展示があり、最後にはアイヌや琉球のものもあった。

特別展観覧後は、必ず図録を購入する。

今回、10周年だからだろうか、なんと図録がハードカバー!

豪華だ。

参道、松屋で梅ヶ枝餅を食べる。

作り置きを渡され、そのまま受け取ってしまった…失敗。

梅ヶ枝餅は、その場で食べるなら焼きたてに限る。

帰り道、久しぶりに水城らあ麺に。

創業昭和63年と記載された幟が立っていた。

ギリギリ昭和、既に30年近い老舗といってよさそうな年数だ。

午後3時以降は,替え玉すると抽選で当たれば替え玉が無料になるらしい。

替え玉したが、見事に外した。

当たる確率は半々くらいあるとのこと、わざわざ教えなくてよろしい(笑)。

 

 


近衛家の国宝 京都・陽明文庫展

2014-04-28 15:16:44 | 歴史

26.4.26

太宰府へ。

以前から気になっていた、大宰府政庁跡のすぐ近くにある「あじ和」で日替わりランチ。

良い感じの店だった。

車を駐め、太宰府天満宮参道に。

久しぶりに松屋でゆっくりと梅ヶ枝餅。

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松屋は、幕末に清水寺の勤皇僧月照を匿った場所。

月照及び月照を薩摩まで送り届け、西郷隆盛と月照が入水自殺を図った際にも同じ場所にいた平野国臣らの書も残されている。

参道には、 福岡藩四代藩主黒田綱政が建立した鳥居が立つ。

筑前名所図会に「下の鳥居」と紹介されている鳥居だ。

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綱政には、兄がいた。

綱之である。

兄弟の父は三代藩主光之。

綱之の「綱」は、幕府四代将軍徳川家綱から偏諱を賜ったもの。

即ち、跡継ぎは綱之が予定されていたのだ。

しかし、光之は突然綱之を廃嫡し、東蓮寺藩を継いでいた三男の綱政を跡継ぎとした。

黒田忠之と栗山大膳とのお家騒動(黒田騒動)の後の騒動であることから、第二黒田騒動とも呼ばれる。

綱政は、糸島市の高祖神社にも鳥居を奉納している。

この鳥居は、初代藩主黒田長政が日光東照宮に奉納した筑前大鳥居と同じ可也山の花崗岩が使われている。

今回は、久しぶりに定遠館も見によった。

門扉は明治28年の日清戦争・威海衛海鮮で沈没した清国北洋艦隊・定遠の艦材を用いたもの。

定遠館は、浦辺登氏の著書に詳しい。

そして、松屋に立ち寄ったせいか、延寿王院をのぞき込む。

五卿遺蹟と刻まれた碑がたつが、多くの観光客は誰も目に留めない。

二代藩主忠之が奉納した燈籠十基の間を通り抜け、楼門をくぐる。

実は忠之奉納の燈籠は、五十年後には損壊し、三代藩主光之が改建して忠之の名を彫ったものだ。

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楼門をくぐってすぐ、左右には初代藩主長政が奉納した石燈籠がたつ。

楼門や回廊は、元は大河ドラマ軍師官兵衛で注目される藩祖如水が造営したもの。

本殿前で、二礼二拍手一礼。

ここから国立博物館に向かう。

楓社から曲がり、如水の井戸・如水社を抜け、国博エスカレーターに。

博物館、土曜日だが特別展の会期始期から日が浅く、人が少ない。

観覧者にとって、こんなに嬉しいことはない。

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近衛家は、中臣鎌足からつながる藤原家の嫡流。

たくさんの古文書、芸術品等が伝わっている。

中でも、藤原道長の御堂関白記は有名。

ユネスコ世界記憶遺産にも登録されており、九州初公開だ。

この御堂関白記、その名称は知っていたが、内容は知らなかった。

単純な日記ではなく、もともと日にちとその日の占いが書き込まれているものの余白のような場所に、日々日記として書き込まれたものだ。

中には、書き込むスペースが足りず、裏面まで書き込まれている日もある。

逆に、何も書き込んでいない日もある。

現代における手帳のようなものに、その日の予定ではなく結果を書き込んだものと思えば近いのではないだろうか。

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展示品には掛け軸、屏風、古文書等が非常に多かったが、約1000年前のものとは思えない保存状態だ。

長い年月にわたり、大切に保管して次世代に伝えてきた行為そのものが、日本が世界に誇る文化遺産といえるのではないだろうか。

特別展は、途中で10分程度の説明ビデオが放映される。

その中で、陽明文庫を50年管理されている方が、「50年と言っても1000年の20分の1」と言っていたことが記憶に強く残った。

さて、御堂関白記に加え、九州国立博物館様からご提供いただいた写真を何点か紹介する。

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いつも思うが、このような刀が欲しい・・・

ただ、本当に手に入れると,実際に巻わらや竹を斬ってしまって美術品としての価値を損ねてしまうことになるが。

帰り道、参道でソフトクリーム。

春の桜ソフトと、コーヒーソフト。

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厳島神社、錦帯橋

2014-04-27 21:00:58 | 歴史

26.4.14

良いことだが、早起き癖が。

朝から宮島を目指す。

あなごめしで有名な、創業明治34年のうえのに行くも、朝10時からの営業とのこと。

30分以上あったが、ぶらぶらして待つことに。

この日の最初の客になった。

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白焼きとあなごめしを注文。

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フェリーで宮島に渡航。

乗船時間は短く、宮島の眺めと厳島神社の鳥居などに目を奪われ、本当に一瞬で到着してしまう。

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宮島上陸後、目立つのは外国人観光客と鹿。

島のおじさんと思うが、鹿を水鉄砲で追っ払っていた。

水鉄砲なら被害を与えず追えるということらしく、写真撮影のためもう一回水鉄砲を撃ってもらうよう依頼したところ、快くやってくれた。感謝。

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参道のお土産屋さん密集地帯を抜け、厳島神社へ。

子供達が砂浜で遊びはじめたが、ゆったりと心地よい時間が流れた。

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巖島神社参拝。

そしておきまりの場所で,観光客らしい写真撮影。

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満潮の方が絵になるが、これは仕方がない。

一応、シンボルの鳥居をアップで。

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帰り道、最近はやっているという揚げもみじ饅頭をいただく。

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宮島を後にし、岩国を目指す。

目的地は、錦帯橋だ。

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錦帯橋を渡ると、ソフトクリーム100種類なる店が・・・

さらに進むと、神社が二社。

吉香神社(岩国藩主吉川氏歴代の神霊を祀る)は、社殿や鳥居等が重要文化財に指定されている。

白山比咩神社(菊理媛命、大国主命を祀る)は、古社の雰囲気を醸し出すが、創建年代が不明。ご由緒には、九世紀の建立とある。

岩国といえば、白蛇だ。

国指定の天然記念物で、岩国にだけ生息する珍しい蛇だ。

歴史的にも白蛇は神様、貴重な存在だ。

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錦帯橋付近までもどり、槍倒しの松を発見。

大名が他藩の城下を通るときは、槍を倒すのが礼儀とされたが、大藩が小藩の岩国藩城下を通るときは槍を立てたまま通ったという。

これを悔しく思った岩国武士が、横枝のはった松をわざと橋の頭に植え、槍を倒さなければ通れないようにしたもの。

当時の松は枯れ、その松の実から自生した松を移して植えいてる。

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さて、錦帯橋を後にし、高速道路へ。

関門橋を越え、福岡到着。

久しぶりに長く福岡を不在にした。


屋島、善通寺

2014-04-27 18:56:06 | 歴史

26.4.11

最初に屋島神社に。

屋島とは、源平の戦いで有名な屋島だ。

屋島神社は高台にあり、社殿からの眺望が素晴らしい。

御祭神は源平と関係なく、徳川家康。

讃岐東照宮だ。

福岡も眺望の良い荒戸山に東照宮があったが、明治になって廃社となり、跡地には光雲神社が遷座した。

香川は、今も徳川家康公を祀っている。

屋島神社からすぐ屋島ドライブウエイという有料道路になる。

そして比較的すぐに、源平屋島古戦場に到着。

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説明では、「源平檀ノ浦古戦場のご案内」とある。

壇ノ浦は下関だろうと思いつつも、 よく見ると「檀」が木偏で少し字が違う。

偶然同じ音の地名ということらしい。

小学生の頃から、平家物語の那須与一の扇の的等の舞台となった屋島の戦いは知っていて、ちょっと感慨深いものがあった。

屋島ドライブウエイは、頂上駐車場まで続く。

頂上には、84番屋島寺がある。

巡礼者も多い。

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少し歩くと、瀬戸内海の眺望が素晴らしい場所に出る。

遠く瀬戸大橋も臨む。

ここで、「瓦投げ」。

源平の戦いに勝った源氏軍の将兵が陣笠を海に向かって投げたことが由来とか。

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次に、 八栗ケーブルに乗って85番八栗寺に。

四国霊場の巡礼で特に目立つのが、鳥居だ。

神仏習合の時代を感じさせる。

八栗寺も、ロープウエイ乗り場にも鳥居があり、さらに降りて最初に目に入るのも鳥居だった。

写真の奧の山が、五剣山。

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昼食は、道の駅源平の里むれにあらう、海鮮食堂じゃこやにて。

はまちのづけ丼。

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次に、86番志度寺。

かなり立派な寺。

すぐ近くに、平賀源内の墓や関係施設がある。

次に87番長尾寺。

静御前が、源義経と別れた後ここに至り、得度を受けたと伝わる。

次に、88番大窪寺に行こうかと思ったが、四国八十八カ所の最後の寺でもあるし、後の楽しみとすることとし、83番一宮寺に。

実は昨年、一宮寺に隣接する讃岐国一ノ宮田村神社に参拝した。

一宮寺は、田村神社の神宮寺だ。

さて、ここから高速道路に乗り、善通寺市に。

まず、76番金倉寺に。

傍らに、忠魂社があった。

次に、72番曼荼羅寺。

そしてすぐ近くの73番出釈迦寺。

出釈迦寺では、四国霊場1200年記念に秘仏を初公開していた。

さらに山を登ると、捨身ケ嶽という場所がある。

ここは空海が7歳の時に身を投げたところ、天女が現れてこれを救ったという聖地だ。

非常に興味があったが、車で上ることが困難なため、近くまで行って断念。

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次に、74番甲山寺。

そして75番善通寺。

善通寺到着が、ギリギリ17時10分前くらい。

駐車場管理人さんから、駐車料金は免除され、とにかく最初に納経所に行くようにと教えていただいた。

さすが有名な善通寺、境内は広く、実に見事。

最初に大師堂を参拝、若いお坊さんが我々家族の参拝を待っていただき、終わった時点で戸締まりされた。

本堂は既に閉じられていたが、本日の巡礼も最後だし、ゆっくりと境内を散策した。

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鳥居の向こうに五重塔、ありそうでないかもと思い、撮影してみた。

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福岡に戻る日

2012-12-16 00:23:07 | 歴史

24.12.11

福岡に戻る日。

ゆっくり首里城を散策。

なんと、守礼門が工事中だった。

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もう20年以上前の話であるが、小職の親友の「不幸の江口」の話しを紹介したい。

大学卒業前に旅行する計画をしていたが、江口はどうしても「トレビの泉」が見たいということで、ヨーロッパ方面に行くことになった。

江口は性格は良く、まじめで勤勉で、絶対に悪いことはしないやつ。

しかし、何故か細々とした不幸が彼にふりかかるという星の下に生まれてしまった。

ヨーロッパから帰ってきた彼の話によると、トレビの泉は100年に一度の大改修工事のため、見ることが出来なかったという・・・

守礼門工事中と知り、ふとこのことを思い出した次第だ。

守礼門とは、当時の明(漢民族)、清(満州民族)等中国に対する「守礼」であり、当時の琉球王国が冊封体制による中国の属国であることを示すようなものである。

少なくとも、ありがたがるようなものでない。

きっと神様は、小職には見せる必要が無いと考えたのだろう。

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首里城は、思ったより広大な敷地だった。

琉球王国時代の首都だから、当然かもしれないが。

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やはり日本の城とは全く違う感じだった。

昼食は、沖縄県会の社会保険労務士からおすすめいただいた、ジャッキーステーキハウス。

既に50年以上の歴史を持つ老舗だ。

メニューはステーキだけでなく、定食のようなものもある。

若干不思議なメニューとして、焼きそば、すき焼き等があった。

さらに、何故か、単品で「味噌汁」というメニューがあった。

しかも、カレーライスが500円なのに、味噌汁は400円もする。

きっと普通に味噌汁が一杯でるだけではないのだろうが、注文する勇気は無かった。

13時過ぎくらいだったが、お客さんは多かった。

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昼食後、少しゆっくりして、空港へ。

今回は初めての沖縄だったが、絶対にまた訪れたい。