25.2.23
リスク法務実務研究会ジョギング部。
今回の目的地は、福岡市早良区藤崎の猿田彦神社。
走り組と歩き組、小職は歩き組で目的地を目指す。
庚申の日に販売される福笹と猿面。
多くの方が、この福笹や猿面を買って帰る。
昔から福岡の家の玄関先でよく見かける猿面だ。
猿田彦神は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の天孫降臨に際し、道案内をした神。
そのため、みちびきの神とされる。
小職も猿面を買った。
1つ1000円。
以前求めた猿面があるので、事務所の猿面が増えた。
こちらは初めてだが、なかなか良い感じの面だ。
猿田彦神面の裏面には、小さな御朱印が貼り付けてある。
『奉拝 初庚申大祭 猿田彦神社 癸巳 平成廿五年二月廿三日』
1袋200円。
値段のせいか、よく売れているようだ。
大濠公園集合から約4キロ、約1時間の徒歩は苦にもならず心地よい範囲だ。
終了後、西新の「レストランむらた」にて食事。
学生時代にたまに訪れた店。
昭和な感じがとても良い。
25.2.21
以前大変お世話になった方がお亡くなりになった。
通夜に参列させていただいた。
小職は、大学卒業後3年間勤務した会社を退職し、保険代理店研修生となったのが平成5年。
当時25歳、ちょうど20年前の話しだ。
その年に、ご縁があってお付き合いいただいた経営者の方だが、小職にとってはまさしく雲の上のお方。
約40歳の年齢差があったが、何かと面倒をみていただいた。
手続等で、会社だけでなくご自宅にもお伺いしたが、いつも親切にしていただいた。
社会保険労務士開業後は、顧問契約をしていただいた。
当初は手続代行はなく、相談業務の顧問契約で、就業規則作成がきっかけだった。
それから数年、ご病気で倒れられた。
その後、ご子息に以前にも増してお世話になり続けて今日に至っている。
ご病気後、10年以上お合いしないままだったことだけが心残りだ。
御霊前では、ご冥福を祈るだけでなく、今までの深い感謝の気持ちも伝えさせていただいた。
25.2.10-11
旧正月に神社参拝。
今回は、熊本東部の白川流域を調査。
最初に訪問したのが、片彦瀬菅原神社。
大正6年の「飽託北部における史跡並びに天然記念物報告書」によると、「白川の右岸藪の中に囲まれて社殿を見る辺坂にして里人にあらずんばこれを知らず」とある。
今でも探すのに苦労するような場所に鎮座。
もともと藪の鎮守堂だったのもんが、寛政の頃に太宰府天満宮から勧請されて天満宮となった。
次に、芭蕉菅原神社。
鳥居の横に「芭蕉学舎跡」の碑が立つ。
近くに芭蕉公民館もあるが、松尾芭蕉との関係については未調査。
直接的な関係はないと思われる。
鳥居の先の参道は、右に大きくカーブして小さな社殿に到着する。
この神社は、民家の裏にあり、周囲は木々に囲まれ、探し当てるのは容易でない。
次に、乙姫神社。
上南部乙姫神社は、玉依姫命を御祭神とする奈我神社に、跡から若比咩命を合祀したと伝えられる。
正面鳥居の扁額は、奈我神社とある(横の県道沿いの鳥居の扁額は乙姫宮)。
玉依姫は伊弉諾尊と伊弉冉尊の末娘っであるため、乙姫宮という。
創建は天智天皇が称制のときの天智2年(663)と伝えられる。
古い歴史を持つ神社だ。
次に、弓削法皇社。
重祚後は称徳天皇となられた方で、弓削道鏡を重用したことで有名だ。
弓削法皇社は、まさしくこの関係であり、白川対岸の弓削神宮とともに性器奉納で有名な神社だ。
弓削法皇社の社殿、向かって右に性器の像が奉納されている。
次に、弓削神宮。
御祭神は孝謙天皇。
こちらも弓削道鏡との関係で、性器奉納の伝統をもつ。
社殿前にも立派な木製の性器が。
陰陽形物奉納で願をかけるが、ちょっとこわい・・・
ちょうど総代さんがおられ、話しを聞いたところ、昨年7月の水害で裏の白川が氾濫し、社殿も水害に遭遇してしまったとのこと。
しかし、すぐに修復し、今年の初詣参拝者は多かったという。
夫婦円満、浮気封じ等、弓削神宮への参拝をおすすめしたい。
次に、佐岐神社。
社殿横に石祠があり、「田中さん(地神)」と「藪さん(大明神)」が合祀されている。
田中さんとは、中山の田んぼの中にあった、という意味らしい。
最後に、神園神社。
正面鳥居扁額は、上宮社。
正面鳥居には、安永八年(1779)と彫られている。
ナポレオンのフランス革命よりちょっと古い。
三百年記念碑、三百五十年記念碑などがたち、氏子に大切にされている感がある。
確か高校生の時に参拝したときは、太鼓があったと記憶している。
友人が太鼓をドンドンと鳴らしたことを思い出した。
約30年ぶりの参拝で、風景的な記憶はない。
年数がかかりそうだが、福岡市に限らず、熊本市の神社研究もしていきたい。