高円寺の明石スタジオが、今年で閉館になるそうです。
どんな劇場か、ネットで検索してみると・・・、
オープンは1980年。
松井須磨子の弟子として「芸術座」で活躍した明石澄子により創設。
という、驚愕の情報が現れました。
松井須磨子!!!
もう完全に歴史の教科書の人物ではないですか!
女優さんが作ったという話は知っていましたが、
まさか松井須磨子のお弟子さんだとは!!
築38年か・・・。
仕方ないかなぁ・・・。
楽屋も広いし、いろんな意味でとても良い小屋で、
大好きだったんですが、
私が出た12年前でさえ、かなり痛んでましたから。
実は明石スタジオは、
霊感ゼロの私が、怖い思いをした唯一の場所でして・・・。
それだけに、この話は鉄板ネタで、
いろんな人にしゃべったし、こちらにもしっかり書いています。
これまではもちろん、名前を伏せて書いていましたが、
もう別に伏せる必要はないので、
これを機に、もう一度、
この話を書きたいと思います。
あ~、このネタね、
とわかっちゃった方は、スルーしてくださいね
12年前のことです。
私が明石スタジオにお世話になったのは、
後にも先にも、その公演だけでした。
なぜ、12年前なんて断言できたかというと、
これを書くために、久しぶりに、
その時のチラシを引っ張り出してきたから。
うわぁ~、なつかしい~~。
この時はとにかく、
チラシのモデルさんが超大物で、
演劇関係者に見せると「おおっ!」と驚かれたっけ。
こちらの方です。
私の大好きな作品『見よ飛行機の高く飛べるを』の作者。
といっても、このネタは、この方とは一切関係ございません。
単に、自分が思い出に浸っただけです
失礼!
さて、本題・・・。
この小屋を作ったのが、
ずっと前に亡くなった、1人の女優さんだった、
ということは、最初から知っていました。
だからなのでしょう。
劇場全体の規模に較べて、珍しいほど楽屋が広くて、
さすが女優さんが作っただけあるね~、
とみんなで感心していました。
楽屋は、手前に、かなり広い部屋がひとつと、
その奥に小さな部屋がもうひとつ。
で、まあ、年の功とでも言いましょうか、
私と、もう1人のベテラン女優さんと2人で、
その小さい部屋を使わせてもらうことになりました。
といっても、入り口はほとんど開けっ放しなので、
個室というより、奥のコーナーといった感じで、
みんなで楽しく、公演がスタートしました。
そのあたりからです
「・・・ここ・・・、いるね」
といった話題がチラホラと、
一部の人間から出始めました。
・・・と、ちょっと長くなったので、
<つづく>
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