雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 11月21日(月) 冬が近く、すごく寒くなりました・・

2011年11月22日 06時04分21秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月21日(月) 冬が近く、すごく寒くなりました・・

 今日、則子さんは、次女のIさんと2人で、天浜線の旅へ行きました。いいなあ。

 2人ともいない午後に、一人寂しく起きて、車で所用と仕事に行きました。「本が来ました」という電話があったので、三方原の谷島屋書店に車を走らせました。

 9点の本で、1万3千円ちょっとでした。この値段は、則子さんには、うかつには言えませんね。

 職場に戻って車を止めてから、すぐそばの上島郵便局に、「静岡県の前方後円墳」の5100円の支払いにいきました。

 そのあと職場で、仕事の雑誌の仕分けをして、夕方5時過ぎに、家に帰りました。台所に行くと、則子さんと娘がいたので「おかえり」といったら、娘が顔をあげて、あれ?長女のTさんでした。

 結婚前はもっと細い感じで、すこしふっくらしている次女とは似ても似つかない感じでしたが、このごろ、Tさんがふっくらして、Iさんと似てきました。

 ① 結婚して幸せでふっくらしてきたのか
 ② 10月できつい歯医者の職場をやめてホッとしたのか
 ③ もしかして…

 

遠州古代史 「伊場遺跡」の三重環濠は防御遺跡というけど…

2011年11月22日 05時30分22秒 | 遠州古代史
遠州古代史 「伊場遺跡」の三重環濠は防御遺跡というけど…

 「遠州の遺跡・寺社36 中区の弥生時代・伊場遺跡の三重環濠」(2010年10月18日 05時38分07秒 | 遠州古代史)ですこしだけ書いた伊場遺跡の三重環濠ですが、果たしてこれは、ほんとうに軍事的な防御遺跡なのでしょうか。

 JR国鉄線の北側にこの三重環濠の一番北側が、見学できるように保存されていますので、車をその駐車場に止めて、歩いて見学できます。

 この前、行って見た感想は「こんなに水堀が狭くて、防御に役立つの?」ということです。

 もちろん、この環濠だけではなく、塀などの材木で防御をしていると考古学の本には書いてありますが。

 中世の奈良県の環濠集落の水堀や、古墳時代の関東の環濠では、もっとかなり広いです。三重ではなくて、一重です。

 そういう実質的な水堀の例を見ると、伊場遺跡のような狭い環濠は、単純に軍事防御ではなくて、すこし別の意味があるのではないかという提唱が可能ではないでしょうか。

 「三重の輪」というイメージで連想するのは、ヤマトの聖なる山・三輪山です。名前に「三つの輪」とありますが、円を象徴するのは女性ですから(棒を象徴するのは男性です)、三輪山という名前は聖なる女性の山です。

 三輪山という名前の山は、ヤマトだけではなく、飛鳥にもあり、九州の福岡県にもあります。

 つまり聖なる山を,それぞれの土地で「三輪山」と呼んだのではないでしょうか。

 そして伊場遺跡のような三重環濠とは、女性を象徴する「三つの輪」という共通点があります。もしくは「三三九度」という命名で呼ばれるように、女性ー男性ー子ども、という三点セットでしょうか。
 
 別の観点で言うと、ヤマト国家の「三種の神器」である、鏡ー剣ー曲玉、という三点セットになります。丸い鏡は女性のシンボルで、長い剣は男性のシンボルで、曲玉は胎児のシンボルです。

 しかも水は、浜松の古代史では女性の「龍」「蛇」がシャーマンとして管理しているので、それは坂上田村丸伝説でも明らかです。

 伊場遺跡をめぐる三重の水の堀は、たんなる軍事的防御腕はなくて、古代人の心では、伊場の村を守る「霊的な防御」として考えられていたのではないでしょうか。

 そういう「霊的な防御」のいい例として、島根県の田和山遺跡では、三重環濠内に住居はなくて、神殿だけが建っていたようです。

 今日は、かなりはしょって書きました。これから、具体例で、いろいろ展開していきたいと思います。