雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

あるはま2 旧「峰之沢鉱山」の銅鉱石積み出し施設 <天竜区龍山町下平山>

2010年11月01日 14時15分55秒 | あるはま(歩く浜松)
あるはま(歩く浜松)2 旧「峰之沢鉱山」の銅鉱石積み出し施設 <天竜区龍山町下平山>

 最初、車で行きに通り過ぎたときには説明もしてくれたのですが、こんなに巨大な施設とは気づきませんでした。
 やはり、車から降りて、歩かないとだめですね。
 
 それと、大勢で行ったので、たくさんの目と口で「ここは何だろ?」「ここに金属の輪がまだ残っているよ」「あの林の奥もそうですね」など、いろいろ発見があり、検討ができておもしろいです。

 これは、「雨宮日記」で紹介した「銅鉱石を貯めてトラックに積み替えたコンクリの巨大な施設」です。
 写真の両側にも同じようなコンクリと石の施設が広がっています。

 いまは製材所の一部で使っているので、破壊や埋没を免れているようです。

 最近は「産業史跡」「産業遺跡」という考え方が広がってきたので、ぼくは、この巨大史跡や山の上のアパートなど、峰之沢鉱山の全体を「産業史跡」として保存したいなと思います。
 
 「保存しろ」とか「保存すべきだ」とか、自分の主体が見えない他人事のような言い方はしません。一人ひとりの個人や、考えを同じくする団体や、自治体が、対等の立場で、史跡保存に協力して行けたらと思います。

 

雨宮日記 10月31日(日) 天竜区の秋葉ダムの北、旧「峰之沢銅山」跡へ

2010年11月01日 13時41分41秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月31日(日) 天竜区の秋葉ダムの北、旧「峰之沢銅山」跡へ

 天竜川をさかのぼって、秋葉ダムの付近まで行ってきました。
 目標は、戦前から1969年(昭和44年)まで銅鉱山として栄えた「峰之沢銅山」です。
 依然かなり前に、N子さんと船明(ふなぎら)ダムの付近まで行ったことはありますが、それより北へはさかのぼったことはありません。

 場所は、現在の住所で言うと、天竜区龍山町下平山で、合併前は磐田郡龍山村でした。ところが、普通の地図を見ても、旧「峰之沢銅山」跡という印さえありません。
 何か、宣伝しないという「負の遺産」という地元の皆さんの、あるいは自治体の位置づけなのでしょうか?

 なにしろ位置もわからないので、天竜区の知り合いにお願いをして、現地ガイドをしていただきました。午前9時半に天竜区役所の駐車場に集合して、車に2台に乗り換えて天竜川をさかのぼりました。

 台風が通り過ぎたのに曇り空、最初は雨がポツポツしていましたが、だんだんと上流に行くと、山の上は白い霧でおおわれていますが、だんだんと霧が晴れてきました。

 船明ダム、秋葉ダムを過ぎてから東岸へ橋を渡り、細い山道(舗装されてます)をどんどん車で上っていきます。
 ガイドのAさん、yさんに、山の上の旧「下平山小学校」跡地(公園)や、鉱山入り口(閉鎖されている)や、山の上の廃墟「アパート」2軒、上から川の付近まで人を運んだ「インクライン」の跡、銅鉱石を貯めてトラックに積み替えたコンクリの巨大な施設、中国人強制連行の「慰霊碑」など、貴重な物をいっぱい見せて頂きました。
 ありがとうございました。

 いちばん感じたのは、巨大な「産業遺跡」ともいうべき「銅鉱石を貯めてトラックに積み替えたコンクリの巨大な施設」など、産業史跡として保存をして、後世にきちんと伝えるべきではないかということです。

 それと山の上の方を秋葉街道が通っていて、山の上から見る景色は素晴らしかったです。秋葉街道に接して建てられたお寺「妙蓮寺」は、昔は秋葉街道を歩く人たちのために宿泊施設だったそうです。

 いろいろ学ぶことの多かった旅でした。

雨宮日記 10月30日(土) 台風の日、古楽器(フォルテピアノ)によるベートーベンソナタ演奏会

2010年11月01日 07時51分58秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月30日(土) 台風の日、古楽器(フォルテピアノ)によるベートーベンソナタ演奏会

 浜松市楽器博物館の第105回レクチャーコンサートで、会場はアクトシティ浜松・音楽工房ホールです。
 台風が近づき、雨がひどかったので、N子さんと2人で、珍しくタクシーで行きました。

 古楽器の1795年頃のフォルテピアノをモデルに作成した現代製の古楽器です。
 古楽器は、1日以上かけてピアニストに調整してもらわないと演奏は無理なのだと、レクチャーで教えてもらいました。

 ピアニストは、オランダ人のホッホランドさんで、初老のたくましい紳士でした。
 奥さまと思われる女性が前の席にいらっしゃいました。

 曲目は8番「悲愴」・15番「田園」・22番、最後になんと{テンペスト(嵐)」です。
 台風(嵐)の来ている日に、「テンペスト」とは、なんて偶然の怖さ。
 
 古楽器の音色の優しさ、柔らかさに感動しました。
 とくに「悲愴」の第2楽章や、{テンペスト」の第3楽章は最高でした。

 録音・録画していたので、CDやDVDで発売してくれるでしょうか。

 ただ、ホッホランドさんの弾いている手指はもちろん見えないし、顔も人の頭と頭のあいだに見えるだけ、生演奏を「見る」楽しみがほとんどないのは、残念です。

 終了が午後5時半なので、夕食を「とろろ定食」を食べて、おいしいコーヒーを遠鉄2階の「モーツアルト」で飲んで、1日を終えました。
 とっても充実した最高の時間でした。
 こういうのは、そうたびたびはないですね。