雨宮日記 3月17日(木) 「地震・津波・原発」危機は更に深まって
いま3月18日(金)の午前5時56分です。
いま深夜勤務から帰って来たところです。
かなり眠くて、車の運転に困りました。
ただし、かなり冷え込んで寒いので、眠り込んでしまうことなく、助かりました。
先週の金曜日の午後の、地震・津波・原発大震災から、6日目。
通常の地震や津波、あるいは
以前のチェルノブイリやスリーマイル原発危機は、
天変地異や、原発事故が一瞬で起こって
あとは、救援、あるいは減衰していくということでしょうか。
ところが、今回の、東日本危機は、
原発の放射能が、じわじわと上昇している、
しかも、どこで止まるのか、上昇し続けるのかも、わからない、というのが特質でしょうか。
17日は、自衛隊のヘリが空から放水、警察か自衛隊(かな?)の放水車から放水
ということがおこなわれました。
やらないより、いいですが、効果はわかりません。
破局的な、放射能汚染にならなければいいのですが、
東北・関東で「避難指示地帯」ができないという保証はありません。
もし東京が、放射能地獄になったら?
いろいろ頭の中で検討してみて、浜松で自分たちも、
もしもの対応を考えておかないと、という結論になりました。
ぼくたち夫婦、則子さんとぼくは、もう60代前後ですから
何があっても、ここを最後に離れるつもりですが、
まだ20代の娘たち2人は、そういうわけにはいきません。
これから結婚して,子どもを産む可能性があるのですから。
なにかあったら、長女のTさんと、次女のIさんをまっさきに
浜松から西へ逃げてもらう策を考えます。
場合によっては、ぼくの父(88才)をつれて。
① そのために緊急用のお金を下ろしておくこと。
② 歩いても逃げるように、リュックサックを買い、荷物を準備しておくこと
避難の方法は、娘2人とも運転免許はあるので、
ぼくの軽自動車アルトで逃げてもらうか、鉄道か。
避難先は、名古屋にいるぼくの兄の家か
奈良にいる則子さんの弟の家か
あるいは、福岡にいる則子さんの妹の家か…。
いま3月18日(金)の午前5時56分です。
いま深夜勤務から帰って来たところです。
かなり眠くて、車の運転に困りました。
ただし、かなり冷え込んで寒いので、眠り込んでしまうことなく、助かりました。
先週の金曜日の午後の、地震・津波・原発大震災から、6日目。
通常の地震や津波、あるいは
以前のチェルノブイリやスリーマイル原発危機は、
天変地異や、原発事故が一瞬で起こって
あとは、救援、あるいは減衰していくということでしょうか。
ところが、今回の、東日本危機は、
原発の放射能が、じわじわと上昇している、
しかも、どこで止まるのか、上昇し続けるのかも、わからない、というのが特質でしょうか。
17日は、自衛隊のヘリが空から放水、警察か自衛隊(かな?)の放水車から放水
ということがおこなわれました。
やらないより、いいですが、効果はわかりません。
破局的な、放射能汚染にならなければいいのですが、
東北・関東で「避難指示地帯」ができないという保証はありません。
もし東京が、放射能地獄になったら?
いろいろ頭の中で検討してみて、浜松で自分たちも、
もしもの対応を考えておかないと、という結論になりました。
ぼくたち夫婦、則子さんとぼくは、もう60代前後ですから
何があっても、ここを最後に離れるつもりですが、
まだ20代の娘たち2人は、そういうわけにはいきません。
これから結婚して,子どもを産む可能性があるのですから。
なにかあったら、長女のTさんと、次女のIさんをまっさきに
浜松から西へ逃げてもらう策を考えます。
場合によっては、ぼくの父(88才)をつれて。
① そのために緊急用のお金を下ろしておくこと。
② 歩いても逃げるように、リュックサックを買い、荷物を準備しておくこと
避難の方法は、娘2人とも運転免許はあるので、
ぼくの軽自動車アルトで逃げてもらうか、鉄道か。
避難先は、名古屋にいるぼくの兄の家か
奈良にいる則子さんの弟の家か
あるいは、福岡にいる則子さんの妹の家か…。