雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月14日(火)の2 変なリンゴ売りも発生

2010年09月15日 05時27分50秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月14日(火)の2 変なリンゴ売りも発生

 そうめったに、夕方、2人とも家にいるという事態は、なかなか発生しないのですが、珍しく、N子さんもぼくもいたので、安心して、夕食のあと、2階の自分の部屋へ行って寝っ転がっていました。

 なんだか、はるか遠くでN子さんの声が呼んだような気がして、ふらっと起きて、1階へ降りて行きました。

 N子さんが「変な人がいて、帰らないの」というので
 「え?なにがへん?」
 「リンゴを買えというの」というので。

 玄関の、涼しくするために少し開けてある向こうにいたその「リンゴ売り」さんと対面しました。
 細身の日焼けした30代?くらいの男性。
 一目見て、うわ、なんか目が据わっている、正常じゃない感じ。やばい!
 
 「なんですか?」とぼくがおそるおそる言うと
 「そんなことに答える義務はないと言うなら、帰りますけど」と言うので
 「そんなことに答える義務はないです」と言ったら、あっさり、西へ歩いていきました。
 ああ、よかった。

 たぶん、気の弱そうな女性だけだったら、どこまでも居座るのではと思いました。
 「買うまで帰らない」と。

 西へ行ったので、心配になって、外へ出てみたら、ちょうど2軒先のご主人が外に出ていたので、N子さんが聞きにいったら「ああ、来たよ。買うお金はないよ、と言ったら帰った。変なやつだったね」と。

 異常気象で変なオコゼやチャドクが発生するように、人間社会でも、かなりやばい人間がいっぱい発生するんでしょうね。
 ああ、やだ、やだ。
 
 うれしかったのは、N子さんの一言「智彦くんが(珍しく)いてくれて、よかった」ですね。
 金も力もないぼくでも、その存在が、愛するN子さんの役に立てば、ちょー嬉しいです。

 
 

雨宮日記 9月14日(火) 楠の木の葉っぱにイラガの幼虫が

2010年09月15日 05時18分29秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月14日(火) 楠の木の葉っぱにイラガの幼虫が

 雨宮家の、ネコのひたいのような狭い、狭い土地にただ1本植えた楠の木。

 今年も、その楠の木の葉に、イラガの幼虫の通称「おこぜ」がとりついて、雨宮家の管理人さんのN子さんの悩みの種です。
 (最初「雨宮家の庭の管理人さん」と書いたけど、訂正します)
  
 増えるだけなら、「気持ち悪い」ですむのですが、毒があって、刺されると何日も痛むのです。

 おこぜに同情するわけではないですが(へたに同情したりしたら、ぼくが駆除されますので)、やはり何か、暑さもありますが、生態系の異変ではないでしょうか。

 何日か前に「ごみかん」の会員の方から電話があって「ちゃどくがの幼虫が大発生して困っている」という話でした。

 N子さんは、おこぜをみるたびに、必死でたたき落として退治しています。

 N子さんに、ぼくが撮った写真を見せたら「智彦くん!このオコゼ、つぶしてくれたんでしょうね!」というので、「うん…それは…まあ…」とごまかしておきました。



本と映像の森81 青山透子さん『天空の星たちへ』マガジンランド

2010年09月15日 04時35分53秒 | 本と映像の森
本と映像の森81 青山透子さん『天空の星たちへ ー日航123便 あの日の記憶ー』マガジンランド、2010年5月10日初版、447ページ、定価1429円+消費税

 著者の青山透子さんは、1985年当時、日航の客室乗務員でした。日航123便に乗っていた客室乗務員は、みんな青山さんの先輩たちでした。

 「愛情と怒りが交錯する衝撃のノンフィクション」。

 そう、読んでわかりましたが、単なる後輩シュチュワーデスの追憶記ではありません。

 まるで、ダンテの「神曲」のような、地獄めぐりの記録でした。
 こんな勇気のある人が、中世フィレンチェではなく、21世紀の現代日本にいるのかと、感激しました。
 
 非常に衝撃的なのは、まず第1に、巻頭カラーグラビアの4ページに掲載された乗客が、窓の席から外を写した写真です。
 何が写っているかは、みなさんの自分の目で確認してください。
 著者は写真に解説をつけていません(わざと、一人一人の目で確認してもらい、先入観を与えないように開設していないんだと思います。)
 ぼく、雨宮は、これが何かは、はっきりしていると思います。
 (その後、追跡記事が週刊現代で出たそうです。いま、手に入れる作業をしています)

 2番目は、青山さんがインタビューした、あの事故当時に死体を検分したお医者さんの話です。
 「二度焼かれたような状態」「骨の奧まで炭化」。

 青山さんの本の402ページに、散乱した機体と遺体の見取り図が掲載されています。私は、こういう図を初めて見ましたが、実は、4人の生存者は、みな機体の後部にいて、主な炎上箇所である南斜面と北西斜面とは異なる、北斜面に、機体が分解してすげの沢をずりおちて、かなり離れた場所だったのですね。
 
 つまり、最初の夜間の空からの捜索者にとっては、すげの沢の機体後部は目にとまらず、炎が見える南斜面と北西斜面だけが見えたという可能性が高いわけです。

 もし、それが実は、生存者と死者の境を決定したのだとすれば?
 ものすごく怖い想像ですが。
 
 広島・長崎に原爆を投下するために、原爆投下を間に合わせるために、必死で天皇制容認を日本政府に伝えず、日本の降伏を引き延ばしたような戦争犯罪の起きる20世紀です。
 妄想と、笑うことはできないでしょう。

 証拠がでてくるか、わかりませんが、もう少し事実を調査して、可能性は調べていきたいと思います。
 
 それにしても「愛と怒り」です。

 「本と映像の森80 米田憲司さん『御巣鷹の謎を追う』宝島社」を紹介しましたが、1冊だけではなく、何冊かを比較して読むと、自分にとってのほんとうの真実が浮かび上がってきます。
 ほんとうは、浮かび上がってきたものと対面したくありません。
 吐き気がします。
 人間のおぞましさに。

 でも、やっぱり、1985年8月12日のあの時、何も知らずに亡くなった人たち、1945年8月6日と8月9日に、何も知らずに苦しんで亡くなった人たちに成り代わって、ぼくたちが発言していかないといけないんだろうなと、思います。

 ぼく「N子さん、そうだよね?」
 N子さん「そうだよ!いつも真実だけを求めてきたんだからね」

 書ききれませんね。
 わかりにくい点は、浜松の仲間の方でしたら、詳しくお話ししますので、ご連絡ください。