里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

四七(よな)抜きの曲

2009年11月30日 | 日々のつぶやき
11月28日(土)の朝日新聞beに、“うたの旅人”にピンキーとキラーズの「恋の季節」が載っていました。

この「恋の季節」が、「四七抜き」の曲であるという説明がありました。

「四七抜き」とは、ドの音から数えて、四番目の音・「ファ」と七番目の音「シ」が使われていない曲のこと。



「恋の季節」の曲の構造が、古くからあるわらべ歌や、「江差追分」「木曽節」のような民謡、さらにさかのぼれば、平安時代の「風俗歌」が、その源流と言えるそうです。

「恋の季節」が「四七抜き」の構造になっているという記事を読んで、以前私が、このブログで書いた「仰げば尊し」の曲が、「四七抜き」の曲に何か関係があったような気がしました。

それで、以前に書いた記事を探してみました。



この「仰げば尊し」は、明治17年に、「小学唱歌集」に収録された、日本で最初の音楽の教科書だそうです。

当時の音楽は、「四七抜き」で、ド・レ・ミ・ソ・ラの五つの音を中心に作られたものが多かった。

しかし、「仰げば尊し」は、明治の歌にしては珍しく、「四七抜き」ではなく、「ファ」と「シ」の音が、ふんだんに使われていますと言う事でした。

鐘馗(しょうき)さん

2009年11月29日 | 日々のつぶやき
娘が、「お母さん、鐘馗さんって知ってる?」と聞きました。

私:「誰?、それ」

娘:「人と違うよ、前から、あれなんやろうと、思っていたものが、テレビで解ったんや」

私:「何?、それ」

娘:「この辺では見かけないけど、屋根にのっているものや」

娘が、テレビで知ったという説明では、神社や、お寺で、厄払いされた、その邪気が、近くの家に入りこむのを避けるために、それを追い払うように鐘馗さんが京町屋の屋根にのっているのだそうです。

又、近くに鬼瓦がのっている家があると、その鬼瓦が、その家の邪気を追い払うので、その隣や向かいの家は、その邪気を受けずに追い払うために、鐘馗さんが向かい合うように据え付けられるとのこと。

鐘馗さんは、瓦職人さんによって作られ、新築の家には、贈り物として据え付けられる場合もあり、又向かいどうしで、にらみ合いをしないように、少しずらした位置や、目線を避けてのせられているそうです。

又、鐘馗さんのにらみを、笑いかわすという意味で、お多福さんが据えられているところもあり、それぞれのいえで、鐘馗さんの形も表情もいろいろ違うそうです。

    

    

私は、まだ、これらの鐘馗さんと言うものを気がついていません。

京都へ来てから、未だに知りませんでした。

これから気をつけて見るようにしようと思います。


エコポイント

2009年11月27日 | 日々のつぶやき
夏に、地デジ対応のテレビを買ったすぐ後で、扇風機、電子レンジ、オーブントースター、ジューサーミキサーが、一度にダメになってしまって、あわてて買い、思わぬ出費に、ショックを受けました。

その時のエコポイントが、忘れた頃に届きました。

商品券で注文を出していましたので、一週間ほど前に届いた、その商品券を使って、今日、近くの近鉄から、「12月に入ってから発送して下さい」と言う事で、舞鶴へのお歳暮3軒分を注文してきました。

商品代、消費税、送料を入れて、商品券からは、おつりが出ませんので、端数の332円だけの支払いで済みました。

京都の方々へのお歳暮は、舞鶴へ行って、そちらから送ることにしています。

夏に、一度に大きな出費をしましたが、その分、エコポイントで、お歳暮代が助かりました。 




我が家の紅葉

2009年11月26日 | 日々のつぶやき
3,4年前に、公園の近くの家の人から、「公園の紅葉が飛んで来て、庭に目を出したので、植えて見られますか」と言って、本当に小さな、2,3センチくらいの紅葉の苗のようなものを頂きました。

ベランダで最初は、小さな鉢に植えていましたが、何回か少しずつ大きい鉢に植え替えて、こんなに大きくなりました。



紅葉した葉が、全部散らないうちに写真を撮りました。

そのうちに、実家へ持って行って、地面に植え替えようかなと考えています。

大和(はやと)うり

2009年11月25日 | 日々のつぶやき
畑を借りて、野菜を作っておられる方から、“はたとうり”を頂きました。

大和と書いて“はやと”と読むそうです。



このうりを3個頂きました。

「生のままでサラダや、ごまダレか何かであえて食べるか、豚肉などと炒めて食べて下さい」と教えて下さったので、今日は、とりあえず1個を豚肉と炒めて頂きました。

初めて食べる、この“うり”、美味しかったです。 

個人のお宅でのパソコン教室

2009年11月24日 | 日々のつぶやき
今日は、第4火曜日で、家を建て替えられたお宅での6人のパソコン教室の日でした。

先日の第2火曜日に、もしかして、今日が、このお宅の初孫の誕生予定日なので、この日のまじかに生まれたら、今日はお休みにして下さいと言われていましたが、12日に生まれましたと言う事で、今日は、予定通りに6人集まりました。

誰が先生と言う訳ではなく、みんなが先生であり、みんなが受講生です。

聞きたいことがある人が、聞いて、解っている人が答えるという集まりです。

9時半から12時まで、お勉強タイムで、12時になれば、このお宅で、みんな楽しいおしゃべりをしながらお昼を頂きます。

今日のお昼は、生協が、3人、又は6人集まってパーティーをされるところに、生協の商品を提供しますというキャンペーンに応募して、6人のパーティー用の食材を頂き、それでみんな頂きました。




提供された、ミニがんもと、このお宅の屋敷内の畑で作られている人参と、茎ブロッコリーの炊き合わせ。

それに提供されたわかめスープです。

ご飯はこのお宅で炊いて下さり、参加者の一人が家でつけられたお漬物を持ってきて下さいました。



これも生協から提供された、たこ焼き、豚まん、白いタイ焼きです。



このお宅で、懐かしい光景を目にしました。

このお宅にある渋柿をむいて、干し柿にされていました。

田舎にいるときは、よく柿の皮むきをさせられて、干し柿にしました。









全部このお宅の庭です。畑もあります。



このお宅の飼い犬のシロちゃんです。

急に顔をあげて、泣き出しましたので、どうしたのと聞けば、この泣き声は、歌をうたっているとのこと。

人間にはまだ聞こえないが、犬には、音楽が聞こえているそうです。

その音楽に合わせて、犬なりに、歌っているのだそうです。

しばらくすると、言われた通りに、廃品回収車が、音楽をならして近くまで来ました。

なるほど、この音楽に合わせて泣いて(歌って)いたのでした。

屋根に洗濯物がたまる家

2009年11月23日 | 日々のつぶやき
娘が、通勤の電車の窓から見える家で、屋根に、何処からか風で飛んで来たような洗濯物が、乗っている家があると言っています。

毎日その屋根を見ているのだけど、屋根に乗ったままの洗濯物は、いつまでもそのままで、そのうちに、数が増え、今は3点乗っていると言います。

そして、なぜ、この屋根に乗った洗濯物は、又、風が吹けば、どこかへ飛んで行きそうに思うのですが、ずっとそのまま、この屋根に乗っているそうです。

あの屋根は、いったん乗ったら、少々の風では飛ばないような屋根になっているのだろうかと、不思議そうに話しています。

そのうちに、その屋根に乗った洗濯物が、次第に汚れて、色が雑巾のように見える色になっているという。

この家の人は、たぶん自分の家の屋根に、よその洗濯物が乗っているとは気が付いておられないのだろう。

誰かが教えてあげればいいのになぁと。

おりこうさんね

2009年11月22日 | 日々のつぶやき
スーパーで、とてもおりこうな小さな女の子を見かけました。

この女の子は、買い物を終えて、駐車場のカートやかごを返すところで、お母さんが、かごやカートを所定の位置に返すのを見ていました。

その小さな女の子は、カート置き場に、かごを乗せたままの状態で、無造作に2台のカートが置いてあるのを見つけました。  

すると、お母さんがしたように、無造作に置かれていた2台のカートから、かごを取り出し、所定のかご置き場に戻しました。

そこへ私が、かごとカートを返すために行きましたら、私のかごも受け取ってくれて、かご置き場に置いてくれました。 

思わず私は、「ありがとう、おりこうさんねぇ」と言いました。

幼稚園に行っているか、いないか解らないくらいの、小さな女の子でした。  

この子を見て、とても爽やかな、そして温かいいい気持になりました。

帰り道での光景

2009年11月21日 | 日々のつぶやき
今日5時に教室を終わって、帰る時、 が、停留所に頭の部分だけ入れて、長い車体の殆どは、斜めになり、左側の車線をふさいだ状態で止まっていました。

その状態で、 を利用する人は、乗ったり降りたりされていた。

この は、何という止まり方をしているのだろうと思いました。

よく見ると、バス停に車が止められていて、丁度停留所に を止めることが出来なかったようでした。

止めてはならないバス停に車を止めていた人が、勿論悪いです。

しかし、なぜ は、止めてある車の後ろに、まっすぐ止めなかったのでしょうかと思いました。

止めてはならないところに止めていた車への抗議なのでしょうか?

この光景を見たとき、数日前に聞いた話を思い出しました。

私の知っているご夫婦が、商売をされていましたが、ご主人が、数年前に、目の病気になられ、人生の途中で全盲になってしまわれた。

商売はやめて、奥さんは働きに出られ、ご主人は、ヘルパーさんに付き添って貰って、ライトハウスへ、日常の生活に必要な訓練を受けるために通われました。

そのうち、訓練もだいぶ進んで、ヘルパーさんなしで、 に乗ってライトハウスへ一人で通えるようになり、今では、もう月に一回程度の訓練になったそうです。

その訓練を受けに行った帰りに、ライトハウスのすぐ近くのバス停から、 に乗って帰ってこられるのです。

ところが、ある日、奥さんが仕事から家に帰ると、もう帰ってきているはずのご主人が、まだ帰ってきておられなく、あわてて、ライトハウスや、 会社に電話をされていたら、その時、ご主人が、無事に帰って来られたそうです。

ご主人に、遅かった訳を聞かれると、ちゃんとバス停で を待っておられたそうなんですが、バス停に車が止まっていたため、 が、バス停から離れたところに止まって、ご主人は目が見えないため、 が来たことが解らず、乗りそこなったそうで、道行く人に教えてもらって、次の で帰って来られたとのことです。

このご主人だけでなく、 が、上手にバス停に止まってくれれば、バス停で待っている人は、車道よりバス停のある歩道が高いので、 に乗る時、一段目のステップの高さが楽になり、乗りやすくていいそうですが、足腰の不自由な人や、お年を召した人が、バス停から離れると乗れなくなる人がおられ、困られるとの話も聞きます。

何もハンディがない人は、何も考えずに、ほんの少しの間だからと安易な気持ちで止めてはならないバス停に車を止めるのは、やめて頂きたいと思います。