里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

怖かったエレベーター

2007年08月31日 | 日々のつぶやき
昨日近くの大型スーパーへ買い物に行きました。4Fの駐車場に車を止め、4Fのエレベーターからまずは2Fへ買い物に行こうとエレベーターに乗りました。乗った時、屋上か5Fから乗って来られた人が2人おられ、そこへ私が乗りました。

その直後今まで見えていなかった人たちが何処からか駆け込んで乗られました。3組の若いお母さん達で、それぞれにスーパーのカートに子供を乗せて、最初のお母さんが乗られて、その人があとの二人の方が乗られるのにドアが閉まらないように、開くのボタンを押しておられた。

最後の3人目が乗られたとき、ドアが閉められました。行き先ボタンは私が押した2と、他の方が押された1が付いていました。

ところがエレベーターは動きませんでした。皆がどうしたのだろうと思っていたら、最後に乗った人がカーとの手で押す所に傘をかけておられ、その傘が真っ直ぐに掛けられておらず、斜めになっていたため、その傘の先がドアに挟まっていた。

傘を引き抜こうとされたが抜けず、ドアを開けようと開くのボタンを押しても開かず、あとから子供を乗せて、カートを押して乗られた3人の人たちがどうしようと相談され始めた時、突然エレベーターがガタガタガタッと大きな音と共に横揺れし、次の瞬間ストーンと一気に落ちました。落ちた時の衝撃は大きくなかったので助かりましたが、2Fは泊まらず、1Fまで一瞬に行ってしまい、止まってドアは自動的に開いてくれました。

ホッとしましたが、2Fで降りようとした人や、他の人たちに、ビックリさせた事や迷惑かけた事など、全く我関せずという様子で一言も無く、3組のお母さんたちはさっさと自分たちの向かう方へ去って行かれた。

買い物

2007年08月29日 | 日々のつぶやき
おばあちゃん(母のことを、子供が生まれた時から、子供と同じようにおばあちゃんと呼ぶようになってしまいました)今日は○○○○へ買い物に行こうかと誘い、(実際に母がいる訳ではありません)昨年の5月に亡くなった母を、生きていた時よりもより身近に感じ、買い物に誘い出したのです。

車の助手席に母を乗せているつもりで出かけた。食材を2日分くらい買い、買い物から帰ってお茶を飲む時のおやつも買った。

おやつは子供用と、母の好きなわらびもちを買った。わらびもちは○○には無かったもの。私も結婚して京都に来てからわらびもちを知りました。

母が未だ生きていた頃は、実家へ行くとき、時々わらびもちを買っていった。母は○○には無いし、美味しいと言って喜んでくれた。

田舎のだだっ広い家に一人でいましたので、何度か「迎えに来てあげるし、帰りも送ってあげるから1週間くらい京都に遊びにおいで」と言いましたが、母はいつも「猫ちゃんがいるから」と言って来てくれませんでした。

もし来てくれていたら、今日のように、お買い物やお食事にいろいろ連れて行ってあげることが出来たのにと悔やまれて、それがかなうことが無かったので、母がいなくなってから、よけいに身近に感じるようになりました。

買い物が終わって帰るとき、母が言うであろう言葉が耳に入りました。「帰るのに何で上に上がるんや」(3階の駐車場に止めていたのに、4回の駐車場に上がったため、母が不思議に思ったらしい)「あんな、ここへ入る時も、ここから出る時も右折は禁じられているので、入った時と同じ所からは出られないので、左折で出る所へ行かないとダメなので、3階から4階へ上がって別の所から出るんやで」「ふ~ん」(解ったのか、解らないのか・・・)

4階へ行って、そこから降りていく途中で、母は又「ここで二つに分かれているけどどっちへ行くんや」「書いてある通り、左は○○○○へ行くし、右は出口の方へ行くから、こっちへ行くよ」「ふ~ん」

又少し下りて行くと、分かれ道が3つになった。「今度は3つも行く所があるのか、さっきよりややこしいやん、間違わへんか?」「大丈夫やで、ちゃんと書いてあるやろ、右は○○方面の出口に行くし、真ん中は○○方面の出口へ、左は1階の駐車場へ入るようになっているんやで、だから私はこのまま真ん中の道を行って出口で左折したら、間違いなく帰る事が出来るよ」「ふ~ん、迷路みたいやなぁ、さっぱり解らんわ~。よう間違わんと走れるなぁ」

バカ見たいでしょう。実際にはいない人と会話しながら買い物に行って来ました。

お盆休み

2007年08月16日 | 日々のつぶやき
13日から15日まで3日間だけでしたが、仕事で東京に行っている次男がお盆休みで帰って来ていた。

この子が帰って来ると、おやつとおかずと洗濯物の量がぐ~んと増える。3人の子供の中でこの子だけが、学校や勤め先が遠方で、家を離れて行く時は寂しくて、悲しくて、時々一人で涙した事がありましたが、近くにいない事に慣れてしまうと、今度は帰って来る事は嬉しいのですが、あぁしんどいと言う感じも正直言ってあります。

ゴメンネ。親ってかってな者ですね。


お墓参り

2007年08月15日 | 日々のつぶやき
11日の日に100キロ少々離れた実家のお墓参りに行って来ました。前日の天気予報では、京都も行こうとしている実家の方も気温が37度になると言っていました。

行く途中に道路の所々に只今の気温はと表示が出る所で、既に37度と出ており、途中40度と出た所もあり、目を疑う感じで何度も見ましたが、40度と言う表示に変りはありませんでした。

今日もニュースで群馬で40.2度になったと言っていましたが、こんなに気温が上がり暑くなると、以前テレビで2039年ごろに日本の温度は63度くらいになり、世界地図から日本と言う国は消えてしまうだろうと言っていましたが、本当にそうなるのではないかと言う気がしてきました。

夏休み

2007年08月05日 | 日々のつぶやき
朝から蝉がうるさいくらいないているのを聞くと、あぁ夏休みだなぁと思います。
今は子供たちが皆大きくなって、直接我が家の夏休みと言うのはなくなりましたが、子供たちが小さかった頃は一週間くらい田舎の実家へ遊びに行きました。

私たちが母の家に遊びに行っているのが分かると、母の家から車で10分くらいの所にいる私の妹が、「うちの子供たちが姉ちゃんとこの○○ちゃんたちと遊びたがっているので連れて行くわ」と言って、2人の子供を預けに来た。

妹夫婦は勤めているので、子供を私たちが母の家に滞在している間ずっと預けっぱなしにする。

妹は二人の子供を生んで、それぞれ産休が終わると、子供の着替えやミルクを持って母に朝預けに来て、夕方母に子供をお風呂に入れて貰って、勤めを終えて子供を引き取りに来て、あとは連れて帰って、寝かすだけ、そして又翌朝母に預けに来ると言う、全く母を頼りきりで勤めていた。(今も勤めている)

私たちが母の家に滞在している期間中はずっと妹の2人の子供も母の家に泊まっている。朝起きると妹の子供が私に「おばちゃん、今日の10時のおやつ何? お昼ごはん何?」と聞く。お昼が終わると「3時のおやつ何? 晩御飯は何?」と聞いてくる。

毎日こんな質問を受けるので、子供と言えども私は毎日ウンザリしていた。私は内心保育園や幼稚園の保母さんでもないし、学童保育の職員でもないわと腹立たしかった。

いったい妹の子供たちは家で何を食べさせて貰っているのだろうかと疑問に思った。あまりにもうっとうしかったので、ある日の夕食にオムレツを作った時、我が家ではオムレツの上にケチャップで、3人の子供の分にはそれぞれ天才、秀才、美人と書くのですが、この時は5人の子供の分に、アホ、バカ、ブス、マヌケ、ヒョットコと書いた。

母は「こんなことしたらあかん」と言いましたが、私は「かまへんかまへん、遊びや遊び」と言って、押し通した。子供も気にしていなくて「お前アホやって」等と言って笑いあっていた。

母の家に滞在中に妹夫婦も勤務を終えて夕食を食べに来た日もありました。大勢が一度にテーブルに着くには狭くなったので、母と私はあとから食べることにして、妹夫婦と5人の子供たちに先に食べてもらった。

私の娘が「お母さんの食べる分ないよ」と小さい声で言いに来た。本当に妹たちは何も作らずに食べにだけ来て、遠慮もなく、殆ど食べた。母と私は残っている分と冷蔵庫に入っている残り物を足して食べる羽目になった。

妹夫婦は、自分たちが食べ終わると、「明日も仕事に行かねばならないし、今から帰って、お風呂に入り、それから洗濯もしておかないと」と言って、さっさと何もせず、又自分たちの子供も置きっぱなしで帰っていった。

せめて子供のおやつの差し入れくらい買って来てくれてもよいのにと、私は勝手気ままな妹に又々腹が立って来た。

こんな苦い夏休みも何回か経験しました。その妹の子供も今は結婚して、それぞれ母になっています。

線香の香り

2007年08月01日 | 日々のつぶやき
お盆が近くなったので、仏壇で使う線香を少しいい香りのするのに変えて見ました。すると、子供が仕事から帰ってきた時、「おばあちゃんの家みたいないい匂いがするなぁ、お香でもたいたんか?」と言いました。

確かに今まで使っていた線香とは違い、いい香りで何となく気持ちが和みます。私が未だ小さかった時、「親に仏壇の線香の匂いが好き」と言っていた。

又線香の匂いだけではなく、田舎では今こそどの家でもガスを使っていますが、台所にはおくどさんがあって、薪でご飯などを炊いていた。お風呂も薪を燃やして沸かしていました。

だから台所やお風呂場からは外に煙突が出ていて、夕方になれば各家の煙突から煙が立ち昇っていました。その煙の匂いがまた好きでした。

線香の匂いが好きと言ったり、煙の匂いが好きと言う私に、父はそんな事言うたらあかん、はよ死ぬでと叱った。

今にして思えば父のその言葉は、私は生まれた時から病弱で、何度も生死をさまよったから、私の事をこの子は長生き出来ないだろうと心配していたのではないかと思います。

天国のお父さん、お母さん、心配かけてゴメンネ。大丈夫ですよ。今はとても元気です。結婚してから、そして3人の子供を生んでから本当に元気になりました。

母は強しと言う言葉を実感しています。まあ年とともに多少の体力の衰えは出て来ていますが・・・