里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

猫のまりです

2007年06月28日 | 日々のつぶやき
今日ブログで文章の途中に写真を入れる方法を習いましたので、復習で入れて見ました。
まりは図々しく勝手にこの家に入り込んで、今ではこの家で天下を取っています。だけど家族にとってこの猫はかわいいかわいい大切な存在になっています。


まりの目はこの写真では解りにくいのですが、右は赤に左の目は青に光ります。丁度キャッツアイと言う宝石のようです。この猫が我が家に来てからゴキブリと霊らしきものが出なくなりました。


今は誰も住んでいない実家の家にもこの猫を連れて行って、ゴキブリや霊らしきものが出ないようにしたいなと思いますが・・・


この猫は霊感のある猫のようで、私たちには見えないが、時々ある一点を見て、何かに向かって「う~ぅ」と怒っています。猫が我が家に来るまでは、5人家族のうち3人が、時々誰かが今ここを通ったとか、窓から入って来たとか、霊らしきものが見えていたのが、全く見なくなりました。

同姓同名

2007年06月25日 | 日々のつぶやき
病院で会計待ちをしていたら、「○○ ○子さ~ん」と妹の旧姓が呼ばれた。思わず呼ばれた人を見た。年は50代後半か60代前半くらいと思える小柄な上品な叔母さんだった。

全く妹とは似ていなかったのでやれやれと思った。妹は小さい時から気が強く、何でも自分が一番と思っているし、自分の思うようにならなかったらすぐ怒るタイプだった。

いい年の大人になってもその性格は変わっておらず、何事も自分が仕切り、自分の欲だけで行動している感がある。

子供の頃から自分の好きなおやつやおかずの時は、私の分まで取った。私が抵抗すると、私の分をぐちゃぐちゃに手や箸で崩したり、取り上げて一口かじってから私のところへ戻したりと言う嫌がらせをよくされた。

私は生まれた時から病弱で、体は小さく、がりがりで、縁の下のもやしと言われていた。それに比べ、妹は健康優良児で、勉強もよく出来、スポーツも万能で、いつも私の事を見下していた。

普通の家では洋服などは、姉から妹へお下がりが行くが、我が家では私の方が体が小さかったので、いつも妹のお下がりの服を私が着ていた。

大きくなって勤めに出るようになってからも、妹は頭がよくて、美人でと村の人たちには評判だった。妹は天狗になり自分で「ミス○○(村の名前)」と言っていた。

それに対抗して、末っ子で、のほほんと育った妹が、「私はミス家の中」つまり三姉妹の中では自分が一番と言い返していたのが面白くて笑えた。

気の強い妹は、外ずらがよく、スタンドプレイが上手で、他人さんからは本当によく言われていた。近所の娘さんが結婚され、嫁がれた先が、我が家と同じ姓(旧姓)になった人が、女の子が生まれて、妹のように美人で頭のいい子になるようにと、同じ名前をつけさせて貰ったと言われた事もあった。

親の期待で妹と同じ名前をつけられたお嬢さんに、どうか顔はペテン師、心は詐欺師(車で走っている時、前を走るトラックに書いてあった言葉)にならないで下さいねと心から願っています。

今でも妹は私に対しては、何でも負けずと見下したり、敵対心を持ち、私の主人の前でも「あんたその服似合わんは」とか、私が持って行った手土産を「こんなのおいしないで」と平気で言う。

学校卒業するまでは、成績もよく、器量もまあまあだった妹を、親も私たち三人の子供の中では一番自慢の子であったが、母が倒れる少し前くらいから妹の言動に少しづつ不信感を持ち始め、私たちが実家へ行った時、「あんたたちは知らんやろけど、○子は鬼やで」と言った。

母が言っていたとうり、母が倒れてから亡くなるまでの3年間に、妹は鬼と化していた。母の遺産分割で鬼になっていた事が証明出来た。まさに顔はペテン師、心は詐欺師だった。



千の風になって

2007年06月23日 | 日々のつぶやき
今日は梅雨の中休みと言った感じで、朝からいい天気だった。朝起きて台所からベランダに出るドアを開けたら、とても気持ちのいい風邪がス~ッと入って来た。

思わずここから100キロ少々離れた、今は誰も住んでいない実家の部屋の隅々まで千の風になって吹き渡っておくれと願った。

我が家の猫

2007年06月22日 | 日々のつぶやき
こんにちは 猫のまりです。


8年前にこの家に生みたての子猫2匹を連れて無断で入り込んで来ました。

来た当時は、「来ないで」と何度もお兄ちゃんに棒で追っ払われたが、猫のねばり勝ちで、とうとうこの家で飼って貰えることになった。

子猫の1匹は、外で遊んでいる時、誰かに持って行かれたらしく、突然いなくなった。もう1匹は、我が家に来て約1年経った頃、近辺に野良猫が沢山いたので、誰かが毒をまいたらしく何匹かの猫が血を吐いて死んだ。その時、死の仲間に入ってしまった。

棒で追っ払われた事などを忘れているのか、お兄ちゃんとお姉ちゃんが大好きで、この二人には声まで猫なで声を出して甘えています。

猫のまりは我が家のアイドルです。みんな猫を中心に動いています。


風鈴の音

2007年06月13日 | 日々のつぶやき
台所の流しで夕食後の洗い物をしていたら、アレッ母がご詠歌の練習をしているような音がした。あたりをキョロキョロして見ると、知らない間に主人が電気の紐に風鈴をつけていた。

扇風機の風に当たって、その風鈴がなったのだ。その音が丁度母が生前近所のおばさんやおばあさんたちと一緒に土曜日の晩にお寺に行き、ご詠歌を習っていた。そのために家で時々一人で歌いながら所どころチーンと鈴を鳴らしていた。

風鈴の音とは知らずに、私の体の後ろの方でこの音を聞いた時、在りし日の母の姿が浮かんだ。あの頃の母はいきいきとしていた。年に1,2度ご詠歌の大会があると言って、名古屋や京都の妙心寺に行ったりして楽しそうだった。今も天国でご詠歌を歌っているかなぁ。夢の中でもいいから出て来て歌って聞かせて欲しい。

サツマイモの芽

2007年06月07日 | 日々のつぶやき
先日サツマイモのミルク羊羹を作った時、芋の切れ端を空き容器に少し水を入れ、つけておきました。そして2,3日で芽が出て、だんだん伸び、やがて水の中に根も出て来ました。

これが結構観賞用になります。じっと見ていると愛しさを感じ、思わず「いつまでも生き生きした緑の葉っぱでいてね」と話しかけます。

母の一周忌を終えて

2007年06月06日 | 日々のつぶやき
昨年の母の49日法要の時も今年の一周忌の法要の時も残念に思ったのは、田舎だから本家をはじめ、近所の何軒かある親戚の人や、母の妹2人(この2人は今施設に入っていて無理だが)同じ市に住んでいる母の姪っ子たち数人は、葬儀の時に来て下さっていたのだから、「法要には呼んで来てもらえば」と妹に言って見たが、「呼ぶ必要は無い、内輪だけでやればいい」と言って私の言うことなど聞きはしなかった。

葬儀の時も「相談して決めたいからとりあえずすぐ来て」と電話して来たから3時間掛けて飛んで行ったのに、葬儀屋さんとの交渉は、すべて妹が、ケチケチコースで押し切った。こちらの言うことは聞かずに自分が仕切るのであれば、何もあわてて呼びつけなくてもいいのにとその時は正直言って腹が立った。

お通夜の時と告別式の時の挨拶だけ、私に名前だけでいいし、喪主としてやって欲しいと言った。自分のいやな事だけ私に押し付けた。さらに腹が立ったことは、仮通夜の日もお通夜の日も妹夫婦は母に付き添う事無く、会場から歩いてでも5分くらいの自宅にさっさと帰って寝た事である。

妹は何でも自分の思うように事を運ばないと気がすまない性格の持ち主である。今回の一周忌法要も長女の私やもう一人の妹に何の相談もなく自分ひとりで勝手に父の50回忌も一緒にすると決めてしまった。

食事会の時、昨年の49日の法要の食事の時に、誰一人母のことを口に出さず、皆飲んで食べるだけだったので、今年はみんなが席に着いた時、私は長女として皆に「食事をしながらでいいですから、母を全く知らない人はパスして貰っていいですが、一言づつ母の思い出話をして下さい」と言おうと構えていた。

ところが全員席に着くと同時に妹が妹の主人に向かって「お父さん挨拶」と言った。又私は無視され肩透かしに合い、何も言えず、昨年と同じように皆かってに関係ない事をしゃべりながら飲んで食べるだけに終わった。

なんだかむなしさと父や母がかわいそうと言う思いだけが私には重くのしかかった。こんな事を書いたら妹を悪者にして、私だけがおりこうさんぶっていると感じられるかも知れないけど、それはそれでもいいし、詳しい事情や今までの経緯を説明するのも難しいし、私は私なりに生まれてからずっと体が弱く、親には一番心配と苦労をかけたから父や母が生きている時よりも亡くなってしまった今の方がより身近に親を感じている。

そんな訳で折に触れ父や母の思い出を少しづつ書き残しておこうと思う。ついでに小さい頃から姉である私をいじめ続けた妹への不満もこのブログで少しづつ吐き出したいとも考えている。


母の一周忌 2

2007年06月02日 | 日々のつぶやき
お寺でのお経とお墓参りを済ませ、再び実家に戻り、一息つき、ホテルでの食事会まで未だ時間がありすぎたので、みんなで実家に置いたままの母や私たちの古いアルバムを見ていた。

私の若い時の写真を見て、思わずじっと自分の顔や姿に見入ってしまった。私と言うよりは、それは今の私の娘がそこにいると感じたからです。3月に小学校を卒業して初めての同窓会があった時にも、幹事さんが小学校時代の写真を大きく引き伸ばして、皆に見せて下さった時も自分が自分ではなく、やはりそこには娘がいた。

妹が食事をする所は「○○ホテルを予約した。丁度一週間前に新しくオープンしたホテルや」と言って新聞に入ったそのホテルの広告を皆にチラッと見せた。そして49日法要の時に食事をしたホテルを皆は希望していたのだが、妹は「そこは今回予約がいっぱいで取れなかったので」と言った。(またまたウソを言っている)
そのホテルは地元の人からも高くて料理はまずいと言われているので、まぁ予約でいっぱいになる事は考えられない。事実帰る時、通り道にあるのでそのホテルを見てみたが、閑散としていた。場所的に皆が行きやすい所にあるから私たちはそのホテルを希望しただけだが、やはり妹は少しでも安くと新しいホテルを予約したのだと思う。

ホテルだと聞いたから皆は、時間もあった事だし、ホテルに黒服の集団が行けば、一般のお客さんが、あまりいい感じを受けられないだろうと思い、着替えて行く事にした。妹夫婦だけは近いせいか着替えを持って来ていなかった。妹が「妹の主人に着替えに帰ろうか」と言ってはいたが、結局妹夫婦だけは黒服のままホテルに行った。

妹から「ホテルは国道に面しているけど、正面から入ろうとすると信号のないところで右折で入らねばならないので、一つ手前の信号で右折して、次の辻を左折すればホテルの裏から駐車場に入ることが出来る」と説明を聞いて行った。

ホテルに行って見ると何だか雰囲気が”ウン?”と思った。普通ホテルと言えば、1階に喫茶やレストランがあるのにそれが無い、従業員に案内されて3階へ行くと、廊下は迷路のように各部屋と言うか、広間と言うか、会場と言うらしきのがみな壁で仕切られていて、どの部屋もお互いに見えたり聞こえたりしないようになっているらしい。異様な雰囲気だった。

食事会も終わり、帰り道で考えて見たら、あのホテルは名前は確かに○○ホテルとなっていたが、あれは法宴会館だったのではないか、ホテルの裏から駐車場に出入り出来るようになっているのは霊柩車のための出入り口ではないのかなどと思った。それだったら服は着替えずに黒の服のまま行かなければ、このホテルの従業員の方に失礼だったと思う。妹の説明不足に恥をかかされたと腹立たしくなって来た。

母の一周忌と父の50回忌を一緒にした事も、ホテルをだまされた事も腹立たしさと不満がよりいっそう強くなった。(ほんまにもぅ~)家に帰りついたら遠路の疲れがどっと来た。