里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

ただ死を待つしかなかったのだが隣の大工のおっちゃんが助けにきてくれた【阪神淡路大震災の泣ける話】

2017年01月31日 | ペット
死を覚悟したときに、命を救ってもらえた感動動画を見つけましたのでUPしました。


          
          ただ死を待つしかなかったのだが隣の大工のおっちゃんが助けにきてくれた【阪神淡路大震災の泣ける話】
          

おっちゃん助けてっ!友達が鎖でつながれてる【虐待のひどい実話】

2017年01月30日 | 日々のつぶやき
今日は、記事にしようかどうしようか迷いましたが、こんな事が、今後起こって欲しくないからとの願いを込めて載せました。

友達と優しいおじさんに助けられて、本当に(´▽`) ホッとしました。




          おっちゃん助けてっ!友達が鎖でつながれてる【虐待のひどい実話】
          

子猫の猛アピール『いっしょに暮らそうニャ!』、勢いに負けた男性

2017年01月23日 | ペット
猫の勝ち!という動画を見つけました。

聖書のことばに「叩けよ、さらば与えられん」と言うのがあったように思いますが、この動画に出てくる猫は、まさにその言葉を実行したように思いました。



       子猫の猛アピール『いっしょに暮らそうニャ!』、勢いに負けた男性。
       

感動 子猫 保護 小さな体で生まれ、母猫に育児放棄された子猫を救った血の繋がらない家族の愛

2017年01月22日 | ペット
捨てる神あれば、拾ってくれる神もありますね。

そんな動画を見つけましたので入れてみました。

        


          感動 子猫 保護 小さな体で生まれ、母猫に育児放棄された子猫を救った血の繋がらない家族の愛
          

感動 子猫 保護 廃材にしがみつき必死に助けを待っていた子猫の鳴き声が7時間の救助活動へ

2017年01月21日 | ペット
今日も、猫ちゃんが、助けられて「あぁ、良かった」という動画を入れました。
          


          感動 子猫 保護 廃材にしがみつき必死に助けを待っていた子猫の鳴き声が7時間の救助活動へ
          

今日で22年

2017年01月17日 | 日々のつぶやき
今日、1月17日は、阪神・淡路大震災から22年になります。

22年前のこの日、私は夜中の3時ごろ、何となく眠りが浅く、熟睡していないような状態でした。

その時、何か変な音「カタン」という音がして、同時に、閉め切っていた窓ガラスのカーテンが「ピカッ」と赤い色を発しました。

今の音と赤い光は何だったんだろうと不気味に思い、その後、朝起きるまでもう少し時間があるから寝ようとするのですが、なかなか寝られませんでした。

でもそのうち、寝てしまったようです。

そして、朝の5時46分に今までに経験したことがない大きな揺れを感じました。

寝ていた部屋の押し入れの上にある高さの低い押し入れ(正式名称が解りません)の襖が落ちてきました。

とっさに掛け布団を頭からかぶりました。


少し時間が経ってから、夜中の3時ごろに聞いた「カタン」という音と、カーテンを通してまで、不気味に赤い光を見たのは、この地震の前触れだったのかなぁと思いました。

完全に起きて、その辺を見ると、キッチンの流し台の横に置いていた冷蔵庫が、廊下を歩いて動いたらしく、所定の位置からだいぶ出張していました。

完全に家族みんなが起きてから、テレビを付けて、この地震の大きさと、被害状況にビックリしました。

この地震でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。


               
     

     猫も祈ります。

人生いろいろ

2017年01月16日 | 日々のつぶやき
今年頂いた年賀状から、私の心に引っ掛かったのを引っ張り出しました。

💑一枚目

私より2歳年上の慶応大卒の才女より

介護生活大変です。(ご主人の介護)

私自身も字が書けなくなりました。

また、おしゃべりしたいです。


この方は、本当に何事にもさえた方で、どんな場所でも、「Tさん、挨拶して頂けますか」と言われれば、すぐに二つ返事で、皆さんの前で、堂々たる態度で立派な挨拶をされます。

また、「Tさん最初に一曲歌って頂けますか」と頼まれれば、これまたすぐさま立派な喉を披露されます。

料理の腕もすごいです。

この方が、年賀状で少し弱音を吐いておられた。


💑二枚目

この方も、私より2歳年上の友達より

ご主人が亡くなられて、ご主人の弟さん夫婦に(弟さんのお嫁さんから)「お姉さんは、もう実家に帰るか、何処か安い家賃の所を探して、出て行って下さい」「この家は私たちが継ぎますから」と言われたそうで、お兄さんのお嫁さんは、とうとう、隣の市にある実家に帰られました。

帰られた実家は、もう誰も住んでおられませんが、家だけはまだ取り壊さないで残されていたので、そちらに帰られました。

大きな家に一人住まいとは、何とも寂しいことでしょう。心が痛みます。


💑三枚目

この方は、小学から高校までの同級生です。

高校を卒業して、地元のちくわ製造工場へ事務員として務め、その工場の跡継ぎの息子さんと結婚し、幸せな生活でしたが、一昨年ごろから、経営が下降線になったようで、昨年のお正月用にと、毎年ここで注文していたちくわを注文しようと、電話をかけようとしたのですが、今までかけていた電話が、何回かけても、「この電話は、「現在つかわれておりません」と言う。

104へかけて、聴いてみましたが、やはり同じことを言われました。

おかしいなと思って、ネットで調べてみると、なんと「倒産」の文字が目に入りました。

何ともやるせない気持ちになりました。

最後の104で聞いたとき、「他のちくわ屋さんの番号を教えましょうか」と言われましたが、私は、「あぁ、いいです」と言いました。

それで、去年と今年のお正月用につくるお節料理からちくわを使うメニューが消えました。

毎年、ちくわを適当な長さに切って、切り口の片方を斜め切りにして、そこに緑や他の色のものを細く切って詰め、それを門松に見立てた自己流のお節料理の一品にしていたのですが、昨年のお節料理からそのちくわの門松は無くなりました。

そのちくわ屋さんに嫁いだ同級生から、去年は、年賀状も来ませんでしたが、今年は年賀状を頂き、「いつもお買い上げ頂きありがとうございました。残念なことになりました」と書かれていました。

差し出された住所を見ると、西舞鶴の工場があった場所ではなく、東舞鶴の住宅街の住所になっていました。

あの広かった、工場と、本宅があった場所は、今どうなっているのかなぁと思いました。