里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

2月29日生まれの人

2008年02月29日 | 日々のつぶやき
今日主人が(保険の代理店業)お客さんから保険の説明に来て欲しいと依頼を受け、行く事になりました。

主人が、今日行くところは車を置くところがないので、駐車違反になると困るから、一緒に乗って来て欲しいと言うことになりました。

11時にお客さんのところに行く事になっていましたので、付いて行き、私は車の中で待っていました。

用事が終わってから、よく行くお気に入りのホテルセントノーム京都のランチを食べに行きました。

私たちの少し後からこのレストランに10人の女子大生らしいグループがランチを食べに入って来られた。

この10人の中に今日お誕生日の人がおられました。9人が他のお客さんの迷惑にならないように静かに♪ハッピバースデーツゥユ♪と歌い、歌い終わったら9人からのお祝いのプレゼントをお誕生日の人に渡されました。

プレゼントを頂いた人は、中を開いて「ウワァ綺麗、ありがとう、うれしいわ、ありがとう」と何度も言っておられた。

若い人が10人も集まれば、たいていの場合、大きな声でおしゃべりをしたり、笑ったり、と周りの人たちにお構いなしと言う光景をよく見かけますが、今日の10人の若い女性のグループは、人の迷惑にならないように気を配った、とても感じのいいグループでした。

今日2月29日がお誕生日の人は、4年に一度しかない日なので、他の年には前日か、翌日にお祝いして貰われるのかなと思いました。

高校の時、2月29日生まれの友達がいて、みんなに「○○ちゃんはいいなぁ、4年に1歳しか年取らないものね」と言われていたのを思い出しました。

でも今思えば、4年に一度しか本当に生まれた日が無いということは、気の毒に思います。実在の日がなくても他の人たちと同じように年はとっていますものね。

2月29日生まれの人は、他の人たちより当たる確実が少ない確立で生まれて来たのだから、むしろ宝くじにでも当たったような幸運の持ち主だとでも思って、素晴らしい人生を送って下さい。

ブリザードフラワー

2008年02月24日 | 日々のつぶやき
ブリザードフラワーで作ったリースを頂きました。

バレンタイン用のハート型のリースを注文を受けて作られていた方が、花が余ったからと言って作って下さった物です。


私はハート型だったらバレンタインデーの頃しか飾ることが出来ないような気がしますので、丸形のを頂きました。

この花のリースを家の仏壇の上にかけている母の遺影の横に、母に花をささげる意味や少しでも母の顔が華やかになるようにとの私の思いでかけました。

母の遺影は実家の仏間にかけたままになっていて、誰もいない家では寂しいだろうと、私が黙って我が家に持って来たものです。仏壇に位牌もそしてこの遺影も置いたままになっていましたので、実家の近くにいる妹が、家を守り、村やお寺の付き合いもするからと言って、殆ど独り占めに近い形で遺産を自分の物にしておいて、結局は仏壇のもりも、一週間に一度実家に行って、花を変えたり、少しのお供え物をして来るような状態でした。私が母が亡くなって、半年くらい経った時、妹に自分の家に仏壇を買って、位牌をそちらに置いてあげて、毎日朝晩のお供えくらいしてあげてと言いました。

妹は「お寺さんが一週間に一度くらい家に行って花の水を変えたり、お供え物をして貰ったので充分です」と言われたといって、しぶっていた。(お寺さんが言われたと言うのは、私の感ではウソだと思います〉

それから間もなく自分の家に位牌を持って行ったようです。しかし遺影は未だ実家に置いたままでしたので、私が黙って我が家へ持って来ました。

遺影に使った写真も、妹が決めた写真ですが、何とその写真は最後に入所させて貰っていた施設に入る時の書類に貼った小さな証明写真を引き伸ばしたものでした。

寂しそうな顔をした暗い感じの母の顔写真でした。写真は沢山あったので、もっといい写真を選んであげれば良かったのにと残念に思いました。母が亡くなったと言う知らせを受けて私たちが、現地に行った時は殆どの事が妹と業者で決められてしまっていましたので、遺影が飾られるまでどんな写真が使われたのかも解りませんでした。

我が家へ持って来てからこの遺影の写真の母は、私が見慣れたせいかも知れませんが、少し穏やかな顔に見えて来たように感じます。この母に華やかさをと思い頂いたリースを母の横にかけてあげました。

使われている花の色もけばけばしくなくて、上品な色合いで、母に「綺麗やろ」と声をかけています。

ちなみにこの花のリースを頂いた方に、クリスマス前に教えて頂いて作った私の作品を載せてみますが、これはあまりにもへたくそで、みすぼらしい物です。


やっとおさまったかな

2008年02月23日 | 日々のつぶやき
ここ約10日間くらい、主人の体調が優れず、家族みんなよく怒られるので、怒らさないようにとピリピリしていました。

もう約20年くらいC型肝炎と共存しておりますので、1日に10種類くらいの薬を服用し、まさに薬漬けの人生です。

1990年と2001年にインターフェロンも試み、2回とも6ヶ月間インターフェロンの苦しみと戦いましたが、結局どちらも効き目がなく、肝炎は治りませんでした。

それ以来ずっと薬と共に病気と仲良く付き合って行くしかなく、現在に至っておりますが、病気のある人は、すごく体調のいい日もあれば、その反対に最悪な日が続いたりと、なかなか体調や気分が安定しません。

1ヶ月に一度の検査や診察に行き、肝機能の数値が上がったり、下ったりに一喜一憂し、体重も増えても減っても気にするし、病院に行った時の検査結果が思わしくなかった時には、家に帰って来て「もうあかんのや」と何時も落ち込んでしまいます。

病気のせいか、体は大きいが、気はとても小さく、何事もマイナス思考で困ります。10日前くらいから体調が悪く、怒らさないようにと顔色を伺いながら、ちょっと何か聞けば、「何回言ったら解るんや、アホカ」と返ってくる。今始めて聞いたことなのに・・・

「ご飯にしませんか」と言っても「食べろ食べろと言って、いったい何を食べさせてくれるんや」とじろっとおかずを見ただけで、「食べるものあらへん」と言って不機嫌な顔して食べなかったり、食べても少し口にしただけで「もういらん」と投げやりにお茶碗や箸を置いてテーブルを離れる。

何か口に合うものをと思い、「何を作ったらいい?何か食べたいものありますか?」と聞けば「何もいらん、かまうな」とか「うるさい、黙れ」と叱られる。

この数日間は、ずっと不機嫌な怖い顔と大きな声で起こる声におびえていました。
何でこんな事を言われなあかんのやと、悲しくなって、料理を作っている時や、お風呂やトイレなど自分ひとりの空間にいる時、週3~4回の自分の習う教室と、ボランティアとしてサポートに入る教室に行くための片道約20分の車の中で泣いていました。

主人が悪いのやない、病気のせいなんや、一番しんどいのは主人なんやと自分に言い聞かせ、優しくしてくれた主人や、誕生日や母の日などに主人が買ってくれたものなどを思い出して、怒ったり悲しんだりしたらアカンと、思えば思うほど涙が出て来ました。

そんな主人もようやく昨日あたりから、C型肝炎のウイルスの活動がおさまったのか、少し体調と気分が良くなって来たようで、昨日の午後「しばらくゴロゴロしていたので、体と心のリハビリのために、クリーニング屋へ服とズボンを持って行って来るわ」と出かけていきました。

帰りに何か思ったんでしょうね。人数分のショートケーキを買って来てくれました。夕食後にそのケーキをみんなでコーヒーと共に食べ、やっとみんなピリピリ感から開放されました。

そして今日は、息子は大学時代のサークルのOBとして、3月に卒業する学生の追い出しコンパに行くから、昼も夜も食事は要らないと言い、娘も大学の時の友達とランチと買い物に行くからお昼ご飯は要らないと言って出かけました。

私は午前11時に車検のため車を持って行く事になっていましたので、その時、主人は自分の営業用の車で、私について来てくれて、帰りは主人の車に乗せてもらい、子供たちはお昼ご飯は要らないと言って出かけているので、私たちも外で食べて帰ることにしました。

2日前に新聞の折り込みチラシに、ベーカリーレストランの生誕20周年の新メニューとして、3月31日までの期間限定で、特別ランチメニューが格安値段で出ていましたので、それを食べに行きました。

写真を撮ろうと思いましたが、お客も多いし、店員さんもおおぜいおられ、何回もお客のところへ運んだり器をさげたりと動き回っておられましたので、写真を写す勇気が出ませんでした。それで、広告から食べたメニューの写真を撮りました。


スープ、サラダ、季節のミニグラタン、若鶏と彩り野菜のグリル、デザートのバニラアイス、パン、コーヒーで値段は1280円(税込み1344円)でした。

パンは小さいパンを何回か2~3種類の焼きたてを「いかがですか」と聞きにきて下さるので、その都度1個づつ頂き、6個まで頂きましたが、さすがにもうお腹いっぱいになりましたので7回目に来てくださった時は「もう充分頂きましたので」と言って辞退しました。

今日は朝から身を切るような寒くて冷たい吹き飛ばされそうな突風が吹き荒れた天気でしたが、本当にようやく心は晴れました。夕方から雪に変り、積もり始めました。


バレンタインデー

2008年02月12日 | 日々のつぶやき
今から約20年前、娘が小学1年の時、おばあちゃんに(私の母)バレンタインチョコを送ると言って買ってきました。

おばあちゃんへのあて名書きを未だ自分では全部漢字で書けないので、私に書いてという事になりました。

私はB5くらいの茶封筒に書こうとしたら、娘は「そんな袋に入れないでこの綺麗な紙のままおばあちゃんに送って」と言いました。

「おばあちゃんが受け取った時、袋から出せば、この綺麗なままのチョコレートが出て来るよ」と言っても、娘は納得しませんでした。

それで娘に近くの郵便局へ、私がチョコレートの包装紙に宛名書きしたのを持って行かせ、「窓口でこのまま送れますかと聞くんやで、もしこのままではダメと言われたら持って帰って来なさいよ。そしたら今度は袋におばあちゃんの住所を書いてあげるからね」と言い聞かせて、もしこのままでも送って貰うことが出来るようだったら、「いくらかかりますか、と言ってこれで払って来なさい」と1000円持たせました。

するとやはりこのままでは送ることが出来ないので「おばちゃんが郵便局にある封筒に書いてその中にこれを入れてあげるね」と窓口のおばちゃんが親切に宛名書きをして下さって、料金270円の切手を貼って送って貰うことになりました。

翌日か翌々日に母から電話で「○○○ちゃん(娘の名前)ありがとう、マフラーとチョコレート届いたよ。マフラーぬくいし(暖かいし)早速おばあちゃん使わして貰ろとるで(貰っているよ)」???

マフラーなんか送っていないのに・・・ 

母に聞くと、茶封筒にマフラーが入って届き、それには270円の切手が貼ってあったそうです。

娘が730円のおつりを貰って帰って来ましたのでこれはあっています。私が母に「チョコレートもその封筒にマフラーと一緒に入っていたの?」と聞くと、「チョコレートはチョコレートだけで別に届いた」と言うのです。

「チョコレートに切手貼ってあった?」「いいや、切手なしで来たよ???

わけが解りませんでした。

「マフラーの入っていた封筒の裏側の差出人の名前は誰になっている?」「ちゃんと○○○ちゃんの住所と名前になっとるで(なっているよ)」???

「封筒の中に何か書いたものが入っていない?」「待ってよ、見てみるし。あっ、小さな紙が出て来た」

「その紙になんて書いてある?」「『ゆきお君、先日はありがとうございました。つまらないものですがこれ使って下さい』と書いてあるわ」

「それだけ?」「うん、それしか書いてないで」

う~ん 困ったな。

その翌日、娘が出しに行った近くの郵便局の窓口で、親切にして下さったおばさんに事情を説明して聞いてみました。

「確かに郵便局にあった封筒に宛名書きをして、それにチョコレートを入れて封をして切手270円分を貼って出しました」と言われました。

ゆきお君と言う宛名書きした封筒が残っていないか聞いて見ましたが、それらしきものはそこの郵便局には残っていないと言われました。

どうしよう?

マフラーの送り主の女性と、送られるはずだったゆきお君という男性が何処の誰だかわからず、お詫びのしようもなく20年の月日が流れました。

悪い事してしまって本当に申し訳ありませんでした。ゴメンナサイ

それ以来ず~っと、私の心の中にしこりとなって残っています。






2008年02月10日 | 日々のつぶやき
今日〈2月9日〉この冬初めてうっすらと雪が積もりました。


家の中から写した雪です。
今までは粉雪が舞ったり、一時的に吹雪いたりと言うことはありましたが、積もったのは今日が初めてです。

でも積雪量はここ数年少なくなりました。子供が小さかった頃は積もった雪を丸めて雪合戦が出来るくらい積もり、丸めた雪を大切に子供は冷凍庫に保存したりしていた時もありました。


ベランダから写したものです。

私が育った田舎では、冬になると大雪が降り、雪かきをして道路の両端に積み上げられた雪が、子供の背丈より高く、まるで雪のトンネルの中を歩くような感じを持ったものでした。



節分

2008年02月04日 | 日々のつぶやき
湯豆腐で名高い京都南禅寺の順正にパートでお勤めしているお琴教室の友達が順正特製の節分用の福豆を送って下さった。


送られて来た順正店主のお手紙と豆が入った封筒の絵


店主のまめにまつわるお手紙で、この手紙に小袋に入った豆が包まれていました。


豆腐にするための豆を節分用の福豆に加工されたものです。

子供たちにはそれぞれ年の数だけ与えて、残った分を主人と私で半分づつ頂きました。私たち夫婦は年が若返りました。