里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

携帯の目覚まし

2015年03月26日 | 日々のつぶやき
朝、目を覚ますために、今までは、携帯電話で、「ピピピッ・ピピピッ・ピピピッ」と、普通のアラームにしていました。

今度は音楽に変えてみようと思い、アラーム代わりにメロディの中から選んでみました。

8曲のメロディが書かれていました。

どの曲も知らない曲ばかりでした。

おまけにすべての曲名が、アルファベットで書かれていました。

どれも知らない曲だから、どの曲でもいいわ。

それで Syamisen ・・・と書かれた曲を選びました。

知らない曲ばかりだから、三味線音楽でもいいかなと思い選んでみました。

            


朝、この音楽が鳴ってビックリしました。

まるで津軽三味線の音のように力強い大きな大きな音で鳴り始めました。

「ああ、うるさいな」と思いましたが、音楽が鳴る時間を1分に設定していましたので、そのうちに止まるからまぁ今止めなくてもいいわと止めない事にしようと思ったその時

「オーイ、早よ止めて、ウルサイ!」と言う主人の声が聞こえ、ビックリして止めました。

ふと我に返って、おかしいなぁ、入院中の主人がここにいるはずがないのに・・・

でも私には、はっきりとその主人の声が聞こえ、目覚まし音楽より、主人の声で起きたような状態でした。

しかし、この三味線音楽は、本当にうるさい三味線の演奏でした。

しかもよく聞くと、この三味線は、一人の奏者の演奏ではなく、複数で演奏されています。

音量調整はしていません。

どんな時も、低いと、高いの中間に設定しています。

まあ、あえて言うなら、目覚ましには、最適な曲かも知れません。


こんな曲は明日から止めにしようと思い、もう一度選曲しなおそうと、メロディの中から今度は「Nocturne」に決めました。

さてさて明日の朝はどんなふうになるかな?

今朝の曲を選んだように、あえて聞いて確かめることなく、この曲にして見ます。

明日の朝からなる曲を選ぶときに気が付いたのですが、候補に挙がっている曲をよく見ると Ssyamisen Rock となっていました。

私の早とちりで、三味線音楽と思ってしまったのが失敗の素でした。

        


Syamisen と読んだだけで、私は京都の祇園か何処かの一室で芸子さん、あるいは舞子さんとお客さんが、三味線の曲を聞きながら、しっとりとした四畳半ムードを想像しながらこの曲を選びました。

私が想像したイメージは、全く外れていました。

Syamisen の後ろにRockがついていたなんて!

Rock では、リズム的にもうるさいなと言うイメージがわきますね。

しかも演奏者が複数では・・・

私の早とちりによる迷惑な目覚まし音楽でした。


帰りを待つ猫

2015年03月25日 | ペット
昨日の夕食後に、「あれっ恵太郎がいない、何処に隠れたんかな」と長男が言うので、私は即座に「お父さんのベットにいると思うよ」というと、確認に行き、「ああ、いるいる」と。

近頃昼間も、お昼寝をするのに、いつもの猫専用の場所ではなくお父さんのベットで寝ています。

猫なりに、入院中のお父さんが帰ってこないのが気になっているようです。

   


長男が、「この状態を写真に撮って、病室にいるお父さんに見せたら、喜ぶと思うよ」といいますので、

長男、長女、そして私が、3人揃って携帯で恵太郎にカメラを向けると、

「何するの?、やめて」と言う感じでやや不満そうでした。

家紋

2015年03月23日 | 日々のつぶやき
ベランダに干していた洗濯もので、夕方取り込んだとき、少し生乾きのようだったものを何点か、室内に干しました。

長男が、その干してあった中に家紋入りのタオルを見つけて、「このタオル、おばあちゃんの家から持って来たタオルか?」と聞きました。

「そうやけど、なんで?」

「抱き茗荷の家紋が入っているから」

「ええっ?、おばあちゃんの家で、家紋などわざわざ入れたものは、何も無いけど・・・」


指摘されたタオルをよく見ると、確かに抱き茗荷の家紋が入っています。

              

さらによく見ると、ハンガーに二つ折りにしてかけていたのですが、半分に折った状態で見えていた面に抱き茗荷の紋だけ見えていました。

見えていない方の半分の面を見ると、仕出し・割ぽう・宴会 ○ ○ ○ とお店の名前が書かれていました。

「あぁ、解った、これは、おばあちゃんが、8月14日のお祭の日に、みんな大勢来るからと言う事で、おばあちゃんの作る料理だけでは到底足りないので、このお店から、大きな船盛りを取ってくれた時に貰ったタオルやわ」

村の人が、いつもはお年寄りばかりの淋しい村ですが、この日ばかりは、それぞれの家から出て行った若者たちが、みんなそれぞれの家族や、友達を連れて帰って来ますので、この日ばかりは、村中が普段の何倍になるか解らないほど人口が増え、活気づく日になります。

私が結婚して村を出る時点では、137所帯の村でしたが、いまは、後継ぎがいなくて廃墟になった家などが増え、実際には、今何所帯の村になっているか、私は解りません。

段々活気がなくさびれていく村を見るのはさみしいです。


今年のお正月から家中のタオルをみんな新しいものに取り換えましたが、今まで私は、このタオルを台所用の手を拭くタオルとして使っていたのに、実家と同じ家紋が入っていたなんて、全く気が付いていませんでした。

このタオルに書かれていたお店の住所を見て、また新しい発見がありました。

このお店の住所の後ろに書いてある番地が72になっていて、私が勤めていた住所で、勿論このお店と同じ住所で、番地が69でした。

な~ンだ職場の向かいにあった社長の家の隣のお店から、料理を取ってくれていたんだなと、いろんな思い出が頭の中を駆け巡りました。

髄心苑の梅

2015年03月22日 | 日々のつぶやき
髄心苑の梅の写真を提供して下さいましたので、いつものように厚かましく使わせて頂きました。








見事に咲いている梅の花を眺めていると、誰かの句を借りて「匂いよこせよ梅の花」と写真に語りかけたくなります。

実家の舞鶴の敷地にも歴史を刻んだ立派な梅の木がありましたが、実家を壊して更地にした時、敷地の端っこにあった柿の木と栗の木、それにビワの木とグミの木だけを残し、他の木は全部根こそぎなくしてしまい、更地にしましたので、残念ながら梅の木はありません。

今の気持ちとしては、花が咲き、実を付けてくれた梅の木に「ゴメンね」と言いたい気持ちです。


もしかして・・・?

2015年03月20日 | ペット
住居の駐車場を出て、2番目の信号で赤になりましたので、私の車は、先頭車として横断歩道の前で止まりました。

するとその横断歩道を白い毛にところどころ黒の混ざった猫が上手に横断歩道を外れることなく、端から端まで渡り切りました。

何とお利口さんな猫と思いながら、その猫を見ていました。

今我が家で飼っている恵太郎よりは、少し大きな猫に見えました。

数か月前にも、この猫ではないかと思う猫がやはり、この交差点の横断歩道を同じようにわたりました。その時は、同じ交差点ですが、私が帰って来るときに見たので、対向車側の横断歩道を渡っている猫でした。

               


同じように、白い毛に黒がところどころ混ざっている大きな猫でした。

その時、もしかしてこの猫は、私たちが今の住居に引っ越しして来る前に、もと住んでいた公団住宅で飼っていた一太郎ではないかなと思いました。

               


夏の終わりか秋を感じるようになったころ、前の住居の長男の部屋で、机の下に置いていたナップサックの中に、子猫が2匹生まれていた。

ビックリしました。当時住んでいた団地の部屋は、一階でしたので、暑い日は窓を開けておりましたので、人間が気が付かないうちに猫が勝手に窓から入って、親猫が、机の下のナップサックの中に子猫を生んだらしいのです。

気が付いた長男が、慌ててその二匹の子猫を自転車小屋に置いている自転車のかごに敷物を敷いてその猫たちをそこに移しましたが、又しても親猫が子猫を加えて来て、我が家の窓から侵入し、机の下に置き、人間と猫のいたちごっこでした。

ある夜ベランダ側の窓に、親子三匹の猫が写り、「入れて頂戴」と懇願するような声で、三匹の泣き声に悩まされ、とうとう根負けして猫たちを部屋に入れました。

本当は、団地の規則で犬や猫を飼ってはいけないことになっていたのですが、もう飼ってやるしかないような状態で、仕方なく飼う羽目になりました。

飼ってみれば、三匹ともそれぞれにかわいくて、もう人間の方が猫にメロメロになってしまいました。

飼い始めて二か月くらい経った頃、三匹で外へ遊びに出ていたのですが、一太郎だけが夕方になっても帰って来なくて、家族全員でその日も翌日も、また次の日も探し回りましたが、見つからず、一太郎は、賢く、愛嬌が良かったし、誰かが持って行ったのだろうとあきらめました。

あれから数えて今8年目になるかな?

未だあの時の猫が生きているだろう可能性は十分に考えられます。

もし、本当にこの猫が一太郎であれば、「ボクは、この辺に飼われて住んでいるよ」と私に教えてくれたのかなと思いました。

一太郎であれば、「飼い主さんにかわいがられ、いつまでも元気で長生きしてね」と心の中で祈る思いでした。

親のまりちゃんは、今の住居へ引っ越して来る1週間前に病気で亡くなりました。

一太郎君と一緒に生まれたはなちゃんは、一太郎君がいなくなった2か月後のお正月の3日の朝、朝ご飯を食べて、外へ遊びに出て、その日探し回りましたが、見つからず、4日の朝、前日に何度も探し回ったところに、誰かが解りやすい状態にして下さって、白い布をかぶされて、横たわっているはなちゃんを見つけました。

車かバイクにはねられた形跡がありました。

今でも一太郎君たちの事は、はっきりと覚えていますからね。

もし、見かけた猫が、本当に一太郎君であれば、いつまでも幸せで長生きして下さいね。

強引ではあったけど一太郎君たちが、我が家へ来てくれたから、私たち家族は、みんな猫が好きになりました。

我が家の天下猫

2015年03月18日 | ペット
長いことブログをサボっていますので、何か入れようと心のどこかでは思っているのですが、あまりサボりすぎて、何を書こうかと思ってもなかなか書くようなことが閃きません。

人間は、やはり何事も継続していなければ、うまくいかないものですね。

とりあえずは、我が家の飼い猫・恵太郎の今日のふてぶてしい態度を1枚載せて見ます。



床暖房の上に人間みたいに仰向け状態でお昼寝している恵太郎です。