里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

金閣寺

2009年11月03日 | 日々のつぶやき
今日、 で金閣寺が放火され、炎上した歴史を報道していたのを見ました。

私も、金閣寺が放火によって燃え、今の金閣寺は、新たに建て替えられたものであることだけは知っていました。

今日テレビを見て、今まで知らなかった、意外な事実を知り、ビックリしました。 

私の故郷である、舞鶴市の小さな漁村(20~30軒程度)のお寺の息子によって金閣寺が放火されたことを知り、驚きました。

私の実家は、山の中のど田舎(130軒ほどの山村)でしたので、漁村のほうのことは、子供たちには、よく解っていませんでした。

今日テレビで見て、ああ、あそこかと今は解りましたが、当時、全くそんな騒ぎになっていたらしい事は知りませんでした。

小さな漁村のお寺の息子であった少年が、中学生の時、お父さんである住職が、44歳で、肺結核のため亡くなった。

それで、お寺の後を継ぐために、中学を卒業すると同時に、京都へ修業に出されたそうです。

そして、彼が21歳の時、金閣寺に火を放った。

理由は、“美に対する嫉妬”等と報じられたらしい。(良く解りません。理解に苦しみます。)

彼も、27歳にして、お父さんと同じ肺結核で亡くなったとのこと。

金閣寺に放火したことが、実家に伝えられると、お母さんは、謝りに京都に来られたが、息子と会うことは出来なかったそうです。 

お母さんは、舞鶴へ帰る列車に乗り、その列車が、保津川にさしかかった時、列車から保津川に投身自殺をされました。

金閣寺に放火した修行僧であった息子は、放火したわけを、“美に対する嫉妬”等と、よく解らない報じ方をされましたが、本当の理由は、他にあったのではないかなと思います。

例えば、お母さんからの、立派な僧侶になって欲しいという期待の重圧とか、21歳という若者としての何か心の葛藤などがあったのではと想像しますが…

重要文化財に放火したという事は、勿論大きな罪ですが、今日テレビで知った、私が育ったのと同じ舞鶴の人であったこと、またこの小さな漁村のお寺の親子の、若すぎる死などを思うと、憎めなくて、むしろ哀れさを感じてしまいます。 

今もこの小さな漁村のお寺は、無人のまま、建物だけは残っていると映し出されましたが、私は、悲しくそのテレビに映った建物を見つめていました。

昨年の11月に金閣寺へ行った時、写した写真です。