里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

加工食品

2008年01月31日 | 日々のつぶやき
夕べからテレビのニュースにビックリし、我が家の冷蔵庫にも未だ使っていない食品を点検して見ました。

テレビでこの食品は食べないで下さいと言っている商品と全く同じものはありませんでしたが、冷凍の餃子やロールキャベツがありました。

これらは今週の火曜日に、先週注文書を出して生協から配達して貰った分です。商品の袋に書いてあるのを見ると、中国加工になっていたり、原産国中国になっていたりする商品3点を、丁度今朝家庭ごみを出す日になっていましたので、ゴミと一緒に出しました。

食べる前に気がついて良かったと思いました。生ゴミとして今日捨てて、気持ちがすっきりしました。


お琴の演奏会

2008年01月28日 | 日々のつぶやき
昨日車で20分くらいの所にある文化会館で、お琴の先生の三回忌追善の会と名づけられた演奏会がありました。

私が直接習った先生ではありませんでしたが、以前から良く知っている先生でしたので、今私が習っている教室にもこの演奏会の案内が届いていましたから、教室のメンバー3人で聴きに行きました。

積もりはしないが、粉雪の舞う寒い中、大勢の人が会場に来られ、亡くなられた先生の偉大さを感じました。

出演者は殆どが大先生方で、素晴らしい演奏でした。それに司会をされたのが、亡き先生の娘さんで、原稿もなしに上手に曲の説明や、それぞれの曲にまつわる亡き先生のエピソードなどを説明されました。あくまでも自分の母としてではなく、先生として、そして自分は先生の弟子として話されました。

最後の演奏曲の時は、出演者総出の多人数での演奏でしたので、舞台にお琴や立奏台、譜面台などのセッティングに少々時間がかかりました。その時は、司会を勤められていた方は、亡き先生を母として、そして自分を娘としての話をされました。

その時は、その娘さんも聞いている観客も、みんな涙涙でした。この時、私も今年の5月に母の三回忌を迎えることが頭に浮かび、一層心に浸みました。

そして母のお通夜の時や、お葬式の日の事が蘇って来て、何もかも妹が仕切って、すべてケチケチコースでやり遂げ、一番いやなお通夜の時の挨拶とお葬式の時の挨拶だけは、私に「簡単でいいし、喪主としてやって」と押し付けられた事などを思い出して悲しくなりました。

妹は何でも私に対抗意識を持っていましたので、多分私が挨拶はようしないだろうと思っていたようです。

私が挨拶をしている時、この演奏会の司会を勤められた娘さんのように私自身も泣きながら母のことを語り、母や母のために来て下さっている方々に感謝の言葉を述べている時、会場のあちこちからすすり泣く気配を私は感じ取っておりました。

その日の事が演奏会の司会者と観客に全く同じになり、涙があふれました。

司会をされた亡き先生の娘さんは、未だ30代で、2人の小さい子供さんを育てながら、お勤めもしておられ、そしてお琴も続けられていて、演奏会にも1曲はお琴を弾かれ、又別の1曲はピアノを弾かれました。

最近和の楽器・お琴もフルート、ヴァイオリン、ピアノなど洋楽器と合奏する曲が多くなって来て、演奏も迫力のあるものになって来ました。

演奏会は心打たれるとてもいい会でした。会場を後にして、帰る道中でも未だ余韻が残っていました。

銀杏

2008年01月25日 | 日々のつぶやき
先月の29日に田舎へ行った時、途中の道の駅で銀杏を買いました。

その銀杏を10~12粒茶封筒に入れて、味塩もその中に振り入れ、封筒の口を2回ほど折り曲げて閉じ、電子レンジに入れて1分チンしました。

1分の間にポンポンと大きな音がしますが、封筒は破れる事無く、中の銀杏は、程よく硬い実に割れ目が入り、その中の緑色の実はやわらかく焼けて塩味も少し効いて、美味しく食べることが出来ました。

私が子供だった頃は、実家の近くのお宮さんへ良く銀杏を拾いに行ったり、お寺へお正月に行くと、銀杏を頂いたりしました。

今は電子レンジを使って簡単に焼くことが出来ますが、子供の頃はど田舎でもありましたし、未だ電子レンジは無かったので、銀杏を金づちで叩いて傷をつけてからゴマを炒る入れ物に入れて、それを火にかけて焼いていました。

調子に乗って銀杏を食べた近所の子供が、時々ひきつけを起こしたこともありました。幼き日の懐かしい銀杏の思い出です。

ハンドクリーム

2008年01月24日 | 日々のつぶやき
最近手が荒れてハンドクリームが欠かせません。

今はチューブ入りのクリームを使っているのですが、絞っても出にくくなったので、チューブの中ほどをハサミで切りました。

切ったチューブの中には指でさらえたら、後3回くらいは使える量が残っています。こんな使い方を見た娘が「けちくさい使い方」と言いました。

私自身も「貧乏くさい使い方」と思います。でも絞って出にくくなった時、切って見たら未だ使える分が残っているので、ついもったいないと思ってこんな使い方をしてしまいます。

(貧乏育ちだから仕方が無いのかなぁ~)

仕事始め

2008年01月08日 | 日々のつぶやき
今年はカレンダーの曜日の関係で、家族みんな長いお正月休みだった。

やっと今日からみんな仕事に出てくれた。休みの間はみんな自由に寝ていて「ご飯やで」と起こしても「もうちょっと後で食べる」と言って、食事の時間がばらばらで、台所がやっと片付いたと思えば、又次誰かが起きてきて、「ご飯」と言う。

こんな調子で一日中台所から開放されないようなことが続きました。

子供たちは、職場で上司にはちゃんと「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と挨拶をするそうですが、若いもの同士は「明けおめ、ことよろ」としか言わなかったそうです。

何でも短く言うのですね~ぇ

年賀状

2008年01月06日 | 日々のつぶやき
3日の日に思いがけず、愛知県から懐かしい年賀状が届きました。小学校の同級生だった、同じ村に住んでいた初恋の人からです。

小学校だけ同じ学校に通い、中学からは私は父の勧めでミッションスクールに行きましたので、別々の学校になりましたが、同じ村に住んでいましたので、中学の時も高校の時も彼は時々私の家に遊びに来てくれました。

大学の時はもう村から出ていましたから、会うことは無く、年に2回か3回くらい手紙が往復しただけでした。

社会人になってからは、もう音信は無く、ただ風の頼りに聞く程度の情報だけでした。

昨年の3月に、小学校卒業から約半世紀の時を経て、初めての同窓会(同窓会と言うよりは、田舎ですので45名の1クラスだけでしたからクラス会と言うほうがあっているかも知れません〉があって、参加した時、会場でくじ引きで座る席を決めました。

その時偶然その人と私は隣どうしになりました。まず最初に「○○ちゃん今日来られるかなぁと思っていたんやで」と言われました。

同窓会の参加者名簿から年賀状を下さったのかな。自筆で書いてあった文に同窓会の時、若々しくて元気な○○ちゃんに会えて嬉しかったです。いつまでも元気でいて下さいねと書いてありました。

ドキドキしながら何度も何度もその短い文章を読みました。これって私はいい年をして変でしょうか。

お雑煮

2008年01月04日 | 日々のつぶやき
新しい年になってもう3日が過ぎてしまいました。

おせち料理は、私が作るのは毎年決まったものだけで、数の子、ごまめ(田作り)、栗きんとん、黒豆、それに蒲鉾にうにを挟んだもの、ちくわにきゅうりやいくらをつめたもの、そして千枚漬けにサーモンときゅうりを巻いたものだけです。

それ以外のものは、出来上がったのを買って来て重箱につめたり器に盛るだけです。

1日と2日にはお雑煮を作りました。まず長男が「このお雑煮美味しいなぁ、何でダシとったん?」、次に主人が[何年ぶりかに食べるお雑煮やなぁ」、今度は娘が「失礼やなぁ、毎年お母さんはお雑煮を作っているのに」

主人曰く「あれはお雑煮もどきや」・・・私は毎年同じ材料で同じ作り方でやっているのになぁと思いましたが、お正月からあまり言わないでおこうと思い、「そうかなぁ」とだけ言っておきました。

娘が「お父さんは味おんちなんや、それにその時その時の気分で言っているんや、お母さん、お父さんの言う事なんか無視したらいいで」と。

最終的には、主人も「このお正月はお雑煮が一番美味しかった」と言ってくれました。