里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

蒸しパン

2008年08月31日 | 日々のつぶやき
今日は朝から気持ちのいいお天気で、お布団を干したり、いつもの洗濯物が洗い終わってから、敷布や、夏物の薄い掛け布団などを洗濯して、気分的にスッキリしました。

朝8時から大学の時の先生が作っておられるソフトボールのチームの練習試合に来て下さいと声をかけられて、宇治の小学校へ行っていた長男が、午後3時半くらいに帰って来て「何かおやつないの」と催促しました。

朝からあまりにもいいお天気でしたので、普段あまりしない用事を張り切ってしていて、買い物に出るのも止めて、夕食のおかずは冷蔵庫などに残っている材料を使って出来るものにしようと思っていました。

長男におやつの催促をされて、それらしきものが今日は何もないのに気が付きました。

もう買い物に出る気もなかったし、「子供に何か買って来たら」と言うと、「今帰って来たばっかりやしイヤヤ」とのこと。

仕方なく、何かあるもので、簡単に作れるものは・・・と考え、蒸しパンを作ることにしました。

蒸しパン粉200グラム、水140CC、ココア大さじ1杯、甘納豆大さじ2杯を全部一緒に混ぜて、プリンカップ8個に入れて蒸し器で蒸しました。

今日のおやつはこれで我慢我慢!


一人分です。


私の分1個を母の仏壇用に


大本山蘆山寺

2008年08月30日 | 日々のつぶやき
今年(2008年)は、源氏物語が記録の上で確認された時から丁度1000年になるため、源氏の年と言われています。

その源氏物語を書いた紫式部のゆかりの寺院・大本山蘆山寺を参詣された友人が、写真を提供して下さったので、ブログに使わせて貰いました。

「むらさき」とあって、庭の桔梗が大変美しかったと書き添えてありました。


大本山蘆山寺 源氏物語執筆地 紫式部邸宅址




紫式部顕彰碑




源氏庭
平安朝の庭園「感」を表現した白砂と苔の庭で、紫の桔梗が6月~9月末頃まで静かに花を咲かせます。






老若男女を問わず、参詣者が絶えません。



今年は源氏の年と言う事で、お琴の演奏会でも源氏物語の中に登場する夕顔や桐壺などの女性を扱った曲がよく演奏されます。

これらの曲は、この女性たちが源氏との別れの様子を歌にしたもので、追善演奏会などに良く使われます。

紫式部については、“めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな”と言う句と、紫式部の父が、彼女の弟に、歴史などの勉強を教えていた時、弟はなかなか覚えることが出来なく、そばで聞いていた紫式部は、何でもさっさと覚えたので、父が、この子が男の子であったらどんなに良かったろうと嘆いたと言うことだけは、学校で習って覚えていますが、私には残念ながらそれ以上の知識はありません。









わらび餅

2008年08月29日 | 日々のつぶやき
今日わらび餅を作りました。

私は、わらび餅なるものを京都へ来るまで知りませんでした。舞鶴では売っていませんでしたし、勿論食べたこともありませんでした。

京都へ来てからは毎年夏になると食べています。母がいた頃は、舞鶴へ行くとき買って行くと母も喜んで食べてくれました。

スーパー等では1パック(約2人分)88円くらいの手ごろな値段で売っていますが、贈答品や、ホテルなどのデザートとして出されるわらび餅は、作り方も違うのか、食感や値段もかなり違います。

家で作ったわらび餅は、スーパーで売っているタイプのわらび餅です。

わらび餅粉1袋(88円)を買って作りました。作り方はいとも簡単です。

鍋に1袋180グラムのわらび餅粉を入れて、これに720CCの水を加えてよくかき混ぜる。(この時は白くにごった液)

よく混ざったら火にかけ、煮ながら白い濁りが消えて透明になるまで良くかき混ぜる。(固まりだして混ぜるのがかなり重くなる)

固まって透明になれば、スプーンですくって水の中に落とし、10分くらい冷やす。

砂糖を混ぜたきな粉をかけて食べます。8人分くらい出来ました。母もこのわらび餅が好きでしたから仏壇に供えてあげました。


市販の180グラム入りのわらび餅粉1袋(88円)


出来たわらび餅

わらび餅とは・・・昔より浪華の都では、春や夏の味覚として、甘しょを原料として作られた餅をわらび餅と名付けられ広く庶民に愛好されてきました。

現在ではわらび餅と言う名称は固有名詞になっています。

よく他の地方では蕨(わらび)を原料とした餅との誤解があるそうですが、蕨(わらび)は使っていませんと書いてありました。


生活の知恵

2008年08月28日 | 日々のつぶやき
見かけた光景から3点抜てきしました。

その1
買い物帰りのおばあさんが、買った荷物が手に持って歩くのに重いのでしょう。自分の杖にスーパーの袋のもち手を通して、それを肩に担いで歩いておられました。昔の飛脚のようでした。

その2
団地内の細い歩道で、私と反対側から老夫婦が手をつないで歩いて来られました。手をつないでおられるので勿論横に並んでおられますので、私とすれ違うのには3人が横並びになると狭いので、立ち止まって体を横向きにして、先にそのご夫婦に通って貰おうとしました。
その時そのおばあさんが「すいませんね。おかしいでっしゃろ、私らええ年して手をつないで歩くなんて、こうする事でお互い杖代わりになって、シャキット歩けるんですわ」と言われました。

その3
スーパーで車椅子に乗った人が買い物をされている時、車椅子の傘や杖をさすところに、U字型の火箸をさして持って来ておられました。
陳列棚の高い所や低い所に置かれている商品を取る時に、そのU字型火箸を使って、商品をはさんで取り、ひざの上に置かれている買い物かごに入れておられました。

3件ともなるほどと感心し、納得しました。

夏の落し物

2008年08月26日 | 日々のつぶやき
今年の夏は、昨年のように気温が40度と言う日はありませんでしたが、梅雨があけた頃からは殆ど35度を超える暑さでした。

その夏も、ようやく秋へとバトンタッチしようとしています。ここ2,3日は涼しく感じるようになりました。

赤とんぼが飛んでいるのもよく見かけるようになりましたし、風や空の雲にも秋だなぁと感じます。でも日中の暑い時間帯にはまだ蝉の元気な鳴き声も聞こえています。

今年の夏に特別経験したのは、かなり雷がよく暴れたと言う事でした。

7月28日には、お昼頃から少し雨と共に遠くでゴロゴロと聞こえていましたが、たいした事ないだろうと、家族のものに頼まれた用事があって、京都駅の近くまで行くため出掛けました。

途中でスコールのような雨になり、車のワイパーをフルパワーにしても視界は殆どダメな状態になり、引き返す事も出来ないし、仕方なく車を止めて少し雨が弱まるのを待つことにしました。

その時、あっ光ったと思うと同時くらいに、大きな雷の音がして、その時、車を止めていたすぐ近くの電柱が、異様な赤い光を出しました。

その時、すごくビックリし、恐怖を感じ、車に一人でいる孤独感や、心細さなど、いろんな思いが頭の中で交差しました。

ふと、外に目をやると、車の右側のスーパーやお店などが停電して真っ暗になっていました。この道路の左側の店舗は電気がついていました。

さっき光ったと同時くらいに大きな音がしたのはこの近辺に雷が落ちたらしいと、そして電柱から異様な赤い光が出たのは、雷が落ちて大量の電流が流れたのだろうと思いました。

車は雷には大丈夫と聞いていましたが、こんな光景を実際に見たら、とても怖くなりました。

次は8月に入ってから、夕方教室から帰る途中に、又雷ときつい雨になってきました。この時は、家のだいぶ近くまで帰って来ていましたので、もう止まらないでライトを点けてゆっくり走りました。

すると後ろから関西電力の車が赤色灯を点けて、サイレンを鳴らしてきました。消防車も続いてきました。

さらに家の近くまで来ると、又コンビニが真っ暗になっていて、従業員が数人入り口あたりに不安そうに立っておられた。

あぁ、また雷が落ちたんだなと、それで関西電力の車や消防車がその辺を走り回っているんだと解りました。

このとき我家は大丈夫でしたが、同じ団地内でも電話が通じなくなったところがありました。電話の復旧に一週間くらいかかったそうで、この時はNTTも点検や復旧に大忙しだったそうです。

そして2日前には、近くの醍醐寺に雷が落ちました。

雷が落ちた観音堂は全焼しましたが、本堂や他の建物などは難を逃れました。

本当に今年の夏は、雷と激しい雨に悩まされました。

オリンピック終了

2008年08月25日 | 日々のつぶやき
新聞の見出しに、星野J・シンクロ、メダル届かずと言う文字が目に入りました。

メダルが取れなかったからと言って、こんな書き方しなくてもいいのに・・・と思いました。

メダルが取れた時は大いに盛り立てて報道されますが、それがかなわなかった時は、あまりにも冷たい書き方のように思います。

選手はみんな、出来る事ならメダルをとって、今まで指導して下さった方や、応援して貰っている皆さんの期待に応えたいと、力いっぱい頑張っておられるのに、結果がどのようであれ、労をねぎらって上げるべきではないでしょうか。

選ばれて出場した以上、プレッシャーものしかかることでしょうし、どの選手も負けたいと思って演技やプレイをする人はいないでしょう。

勝つことだけが目的ではなく、参加する事に意義があると習ったように思いますが・・・

メダルが取れても取れなくても、感動を与えて下さった選手は沢山おられました。

由美さん

2008年08月24日 | 日々のつぶやき
近所の奥さんが、お盆に実家へ帰られたときの話をして下さいました。

実家には二人の息子さんがおられ、お盆でそれぞれ実家に帰ってこられました。

長男のお嫁さんも、二男のお嫁さんも、どちらも名まえが由美さんで、長男のお嫁さんは、小柄で色白でおとなしく、すべてに控えめでかわいらしく、床の間の飾り物のようなお嫁さん。

二男のお嫁さんは、大柄で、力持ちで、長男のお嫁さんより年上で、豪快にしゃべったり、笑ったり、多人数の食事の準備や後片付けなど、一度に沢山のものを、運び、まさにダンプ母ちゃんと言うイメージだそうです。

皆さんが、この二人のお嫁さんを呼ぶ時に、長男さんのお嫁さんにはおお由美さん、そして二男さんのお嫁さんには、こ由美さんと呼ぶことになっているので、見ためと逆なので、つい間違って呼んでしまったり、呼ばれた二人のお嫁さんも、私の事?と、困惑される場面が数回あったとのことです。

同姓同名ですが、こんなにも正反対のタイプでしたと話して下さいました。

大きくなりました

2008年08月23日 | 日々のつぶやき
我家の長男が、以前保護して、里親を探して貰う保護施設に預けて、そこから九州の福岡へ貰われていった猫の写真が届きました。

この猫を貰って下さった方から、施設のほうに届いた写真を、長男へ送って下さいました。

元気でいたづら好きで甘えん坊な猫らしいです。お家の方みんなにかわいがって貰い、すくすくと成長している様子がわかります。

名前は、息子が施設に預けた時に名前を聞かれたそうですが、その時は名前をつけずに預けましたので、施設の方が、息子の名前を取って、はるきとつけて、里親さんに渡すまで面倒を見てくださり、里親さんはそのまま改名せずに、はるきとして飼って下さっているそうです。




お気に入りの遊具を買ってもらい、舌を出して愛嬌を振りまいています。


やんちゃ振りを発揮しています。


手のひらに乗る小さな猫でしたが、こんなに大きくなりました。

いつまでも元気で皆さんにかわいがって貰い、楽しい一生を送って下さいね。応援していますよ。 はるき君

納豆

2008年08月22日 | 日々のつぶやき
お盆休みに、仕事の赴任先から帰っていた二男の朝食用に買っておいた納豆が2パック、仕事先へ帰った後も冷蔵庫に残っていました。

今家にいる者は、家族全員がお弁当を卒業した頃から、朝の食事はパン食になってしまっています。

二男だけは、朝もご飯、味噌汁、納豆は欠かさず食べます。それで二男が帰省している時に買った納豆が残っていました。賞味期限を見ましたら、23日までになっていましたので、最初はみんな納豆は好きでないのでほかそうと思いましたが、今は何でも値上がりしていますので、とりあえず1パック食べてみる事に挑戦してみました。


二男はこの添付されているからしとたれをかけただけで、いとも簡単にペロリと食べますが、他の者はとても無理です。

それで少し目先を変えて、食べれないものかと、考えてこの添付のからしとタレは勿論使い、それに刻み葱、卵1個を加え、葱ととき卵を加えましたので、その分からしとストレートタイプのそうめんつゆを少し加えて全部混ぜあわせました。

それをフライパンで焼いてみました。


焼くと納豆独特の匂いと糸を引くのが、焼かずに食べるよりはましになって何とか私も食べることが出来ました。長男も食べましたが、主人と娘はやはり”くさい”と言って全く食べませんでした。

やはり不評のようですので、あと1パック残っている分は処分することにします。

2008年08月18日 | 日々のつぶやき
16日の午後、私が買い物から帰って来たら、団地の入り口に入る階段の下で、少し小さめの黒に白の筋が入った蝶が1匹いました。

とっさに「あっ、おばあちゃん?(母のこと)」と思いました。

そしてその蝶は、私を誘導するかのように、わたしの前を階段の上へ飛んで、玄関ドアのところまで来ると、さらに上に上がる階段の3段目に止まり、私が鍵をあけてドアを開けるのを待っているようでした。

ドアを開け、私が中に入ろうとした時、階段に止まっていたその蝶が降りてきて、ドアとわたしの足元に擦り寄って来て、そして又何処かへ飛んで行きました。

16日と言えば、京都では5山の送り火の日で、ご先祖様を送る日です。

7月27日に、父と母の位牌を舞鶴のお寺さんから頂いて我家にお迎えし、その時お墓参りも主人と私はしてきました。それで次は9月のお彼岸の頃にお墓参りはしようと考えていました。

お盆だからと言って、私が子供にお墓参りに行ってと頼んだわけではありませんが、長男も二男も自らお墓参りに行って来ると言って舞鶴まで行ってくれました。

ありがたいなぁと子供たちには感謝の気持ちでいっぱいでした。

主人が12日から足腰が痛くなって、お墓参りは出来ない状態になりましたので、7月27日にお墓へ行っておいて良かったと思いました。

京都のお墓も主人は行けませんでしたが、子供たちもみんなお参りしてくれました。家族ってありがたいなぁと思いました。

あの時私を誘導した蝶は、母が「ありがとう」と言うために来てくれて、そして又天の国へ帰って行ったのではと思えてなりません。あれから今までずっと蝶のことが不思議で頭から離れないのです。