里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

また会う日まで

2015年10月31日 | 日々のつぶやき
昨日、娘が仕事がお休みの日でしたので、一緒に主人のお墓参りに行きました。


賛美歌405番(神ともにいまして)



お墓の帰りに、家の近くにある100円寿司のくら寿司に行き、お寿司は勿論、茶わん蒸し、デザートのケーキ、コーヒー等も取りましたが、2人での代金は、1814円でした。安い!

わたしたちの斜め向かいのテーブルに老夫婦が入って来られました。

お年のせいか、なかなか注文方法が解らないらしく、レーンに流れてくる以外の品を注文したいらしいのですが、書いてある文字をおじいさんとおばあさんが立ったり、座ったりして、しかも、二人とも虫眼鏡で、文字を読んでおられました。

見かねた隣の席に座っておられた中年のおばさんたちの二人が、その老夫婦の所へ行って手助けしてあげられました。

やはり、お年寄りだけでは無理なのかなぁと、誰か若い人と一緒に来なければ、なかなかスムーズに食べたいお寿司を選ぶことが出来ないらしいと解り、気の毒に思いました。

チゴイネルワイゼン 

2015年10月29日 | 日々のつぶやき
今朝目が覚めた時、あのステレオ、今どこに置いたかなぁ等と、一瞬考えました。

そんなもの、もうとっくに、家と共に処分してあるはず等ないのに・・・

何を寝ぼけたこと言っているのだと、自分で自分に言い聞かせておりました。

確かに、実家に置いたままにしていたステレオや、レコードなど一切家を取り壊してもらう時、家の中に残っていた物は、全部処分してもらいました。

急にチゴイネルワイゼンが聴きたくなって、あのステレオ今どこに・・・等と思ってしまいました。

今は便利ですね。家で聴くためのステレオもレコードも要りません。


チゴイネルワイゼン Zigeunerweisen by Sarasate



小指が痛い

2015年10月28日 | 日々のつぶやき
小指が痛いと書けば、先ずこの文字を見た人は、♪あなたが噛んだ 小指が痛い♪と頭に浮かぶかも知れませんが、全く違います。

噛んだと言うか、噛ましたのは、私自身で、私の左手の小指を噛んだのは、キッチンの床です。

最近、私は、長い時間台所に立っているのがしんどく感じますので、キャスター付きの椅子に座って用事をしております。

私自身が、何を考えていたのか、ボ~ッとしていたのか、よく解りませんが、一昨日冷蔵庫から水2リットル入りのペットボトルを出し、それをキッチンの流し台の方へ置こうとして、キャスター付きの椅子のまま移動しかけた時、途中で向きを変えるために、右手を電子レンジを乗せている台に置いて向きを変えようとしました。

        


体の向きを変えるために、その電子レンジを乗せている台に右手を着いたつもりが、実際には右手はその台に届いていなくて、そのまま前のめりに、椅子もろとも、床に落っこちてしまいました。

瞬間、あ~っやってしまったと思いました。

その時、右足の親指と、左手の小指に痛みを感じました。

今日になって見れば、右足の親指に感じた痛みはもう無くなっています。

しかし、左手の小指は、少し腫れて太くなっており、内出血の跡もまだ薄くはなっていますが残っています。

この小指が痛みます。骨は折れていないと思うのですが・・・

折れていたら、こんな痛みではないだろうと思います。

次、11月5日にいつも行っている病院に整形外科と循環器内科の予約がありますので、その時に、整形外科の先生に、この左手小指の事は聞いてみようと思っています。


故郷はいいなぁ

2015年10月26日 | 日々のつぶやき
娘が仕事がシフト制のため、土・日や祝日でも何でもない日に、休みが入る時があります。

先週その休みになった日に、「お父さんのお墓の花が、もうそろそろ枯れている頃かも知れないので、取り替えたりしに行って見ようか」と誘ってみたら、快く「行く・行く」と言ってくれましたので、急にお墓参りに行って来ました。

さしていた花は、菊の花などはまだ綺麗でしたが、菊以外の花は、やはりもうだいぶ弱っていて、早く役目を交代したいと言っているような状態でした。

花をさしかえ、お墓全体を綺麗に拭いて、「又来ますからね」と言って帰って来ました。


ここの霊園墓地は、2年前に出来た墓地で、全部で950区画あり、まだ少し売れ残っている部分もあります。

帰るとき、今までになかった区画に2区画くらいの大きさを購入されたらしい大きな墓石の洋墓が、我が家のお墓のすぐ近くに出来ていました。

よく見ると、そのお墓の大きな横長の墓石に、青い空 青い海で始まっている、舞鶴の情景が詩で読まれたのが彫られていました。

この墓石に眠る人が読まれた詩なのか、又は故人の家族か誰かが読まれた詩なのだろうと思いました。

何となく舞鶴出身の人なのだろうなと思いました。

我が家のすぐ近くに舞鶴の関係者が来られたと言う、懐かしさや、親近感がわいてきました。

それにしても大きな区画に、立派なお墓、お金持ちさんか、立派な役職についておられた人なのだろうなと思いながら、その新しいお墓を眺めていました。

多分、舞鶴出身の人なのだろうと思います。



青葉の笛

2015年10月25日 | 日々のつぶやき
ここ2,3日、キッチンにいると、やたらと母の事ばかり考えている自分を感じます。

この年になって、母の気苦労を身に染みて感じるようになりました。

母がよく着物を縫ってくれたり、手袋やセーターなどを編んでくれたり、そんな姿をよく想い出します。

着物の縫い方や、手袋の編み方など教えて貰いましたが、今は、それさえすっかり忘れてしまって、一人では到底できません。

昔の人は、偉かったんだなぁ、何でも出来たんだなぁと感心します。

そんな母が、よく鼻歌のように歌っていた♪青葉の笛♪を思い出しました。

そんな歌、探し当てること出来るかなぁ、と思いながら探しましたら見つかりましたので、ラッキーでした。

     
     倍賞千恵子「青葉の笛」

誕生日

2015年10月23日 | 日々のつぶやき
新聞の折々のことばより

お母さんの誕生日じゃないのに。でも、今日は、お母さんの出産記念日でもあるんやな。
                                  
                                 作家の子ども

わが子の誕生日に子供の好物はもちろん、ケーキ類もたっぷり用意したが、自分より先に母親ががぶがぶ食べているのを見てあきれる子。

誕生日はたしかに母の出産記念日でもある。

こんなあたりまえのことにも人はなかなか思い至らない。   

               

相手の身になると言う事の難しさを改めて教わった。


この新聞の9月28日の夕刊の湊かなえさんの随筆「誕生日じゃなくて・・・」から。

                    

                                      

パソコン教室で

2015年10月22日 | 日々のつぶやき
昨日のパソコン教室で、11月1日(日)に、いろんな教室のある会館の秋祭りに、作品を展示するクラスは、その展示する作品の作製に皆さん力を発揮されました。

毎年、この秋祭りの日には、会館内に所狭しと各教室の作品が展示されます。

書道、水墨画、絵手紙、手芸、各パソコン教室の作品、それに華道教室さんは、前日の土曜日に各自花を活けこまれます。

作品作りに関係ない教室は、それぞれステージ発表をされます。(お琴教室、ウクレレ教室など)

昨日パソコンのワード教室さんが作られた作品は、コースターでした。

一人2種類のコースターを作られました。

     

早く作り終えた方のをパチリと撮らせて頂きました。

お客様用に作られた感じです。

普通の紙に印刷して、それをラミネート加工されて、出来上がりです。

これに飲み物を乗せて出されたお客様は、嬉しいでしょうね。


次のクラスでは、お正月用の箸袋の作製でした。

もうすぐお正月ですね。

あれもしなければ、これもしなければと・・・

何となく気忙しくなってきます。

     


唄を忘れたカナリヤ

2015年10月19日 | 日々のつぶやき
今日の新聞の折々のことばより

     歌を忘れたカナリヤは
     
     うしろの山に棄てましょか
        
     いえ、いえ、それはなりませぬ 

              西条 八十


 八十には若い頃、象徴派の詩人として出発しながら、老母、弟妹に妻と娘を扶養する必要があって、詩を離れ、ひたすら生計を立てることに傾注せざるをえない時期があった。

自らへの責めと憐れみが交錯する心の内を、歌を忘れたカナリアに託した。

                              と書かれていました。


◆Do18. かなりや 伴久美子



夕焼け小焼けで・・・

2015年10月18日 | 日々のつぶやき
夕方、キッチンにいるとき、キッチン、ダイニング、そしてベランダと、さらにその先に見える山並みと空を一直線上に見る事が出来ます。

その時に、きれいな夕焼けが見えました。

すると、自然に♪夕焼け 小焼けで日が暮れて・・・♪と口ずさんでいました。

口ずさんでみると、この歌に歌われている情景が、私が育った舞鶴の村の様子とそっくりだなぁと思いました。

そして、この歌の作詞をした人は、実にいい情景を織り込んでおられるなぁと感動しました。

季節によってお寺の鐘が、5時になる時と、6時になる時がありますが、このお寺の鐘が、約130戸の村に響き渡ります。

このお寺の鐘が、「おしまいなはんせ~」と言う合図で「ゴ~ン」と響き渡ります。

おしまいなはんせ~とは、田や畑で仕事をしている人たちに、又お外で遊んでいる子供たちに、もうお仕事や遊びをおしまい(終わり)にして、早く家にお帰りなさいと言う合図の鐘の音の「ゴ~ン」です。

懐かしい情景が、頭と耳と目に甦って来ました。


夕焼け小焼け フレーベル少年合唱団歌


母そして故郷舞鶴への思い

2015年10月15日 | 日々のつぶやき
一昨日娘と考え方が違い、ぎくしゃくしてから、なかなか気持ちが落ち着かず、一人で台所にいると、舞鶴で暮らした時の私たち姉妹3人の事や母の事が次から次へとビデオを早送りしているように浮かんで来ます。

今頃、舞鶴の実家跡には、コスモスの花が咲いているかな、彼岸花はもう終わったかな、柿や栗はもう採れる時期になったかな・・・

柿や栗を採りに行きたいな~

でも、もう私一人では行けない・・・

私のすぐ下の妹と、今の我が家の娘と全くと言っていいほど性格がよく似ています。

気が強くて、わがままで、何でも自分中心で、何事も自分が一番だと思っている感じがあります。

すべて命令口調で、人に指図します。

親に対してもぼろくそに言う時があります。

一昨日意見がかみ合わなくて、とうとう娘の言いなりになってしまったことで、台所で、誰にも知れずにこっそりと涙していた意気地なしの私。

こんな光景を、舞鶴の実家に未だ私たち3姉妹と母で暮らしていた時に、経験をしておりました。

母が、気の強い私のすぐ下の二女である妹から、度々罵声を浴びせられ、父も亡くなった後など、ぐちを言う者もなく、こっそり台所で泣いていた母を見ました。

母は、この二女の事は、子供3人の中で、一番成績がよく、体育、音楽など、何でも出来る子でしたから、一番自慢の子でしたが、大人になってからは、あまりのわがままに手を焼いておりました。

母は、この二女に、私はわが娘に育て方を間違ったのでしょうか?

私の妹の事は、子供の頃から健康優良児で表彰されたり、学校の成績が3姉妹の中で一番良かったから、一番かわいがって気ままに育てたのではないか・・・

私は、わが娘に対して、3人目にやっと女の子が生まれたと言う事で、かわいい・かわいいとわがままに育てたのかも知れない・・・と反省しています。

我が家は、反対に上二人の長男と次男は、親が褒めるのはおかしいですが、とても優しい子です。

私は子供の頃から父によく言われた言葉があります。

どんな時も、人のこころの痛みを解る人にならないとダメだよと。

何だか少し昔の、故郷舞鶴へ帰りたい思いがしてなりません。


ドボルザーク 「新世界より」 家路 From the New World - Largo.wmv