24 黄釈天 Blog 「My Days」by Oldman(吉住)

H14-25年、400名の集団を率いて、破綻銀行相手に11年戦い完全勝利した元原告団長の下り坂人生、日々の戯言、残実録。

ご様子

2018年05月17日 | 日記
10時少し前に施設に出かけて、衣類や夏のタオルケットの入ったケース二つと内ばきなどを持って出かけ、様子を見てきた。
ガラス張りの開放感溢れた大広間には、適度な植栽が配置され、4人掛けのテーブルが20あまり配置されている。そこに、朝の時間、ほぼ全員がジッと座っている。それぞれの目の前のテーブルには、プラスティックのコーヒーカップ一個が置かれていて、中に、薄い茶色の液体が入っていた。お茶だろう。

一番奥側のガラス横の席に二人とも、3日前の出かけた時の服装のまま座っている。足元も出かけた時と同じように、靴下に外履をはいている。親父から脱がせて、持っていった内ばきを履かせようとすると、親父は「あっちに、内ズックがある」と言う。確かに、隣のデーサービス施設に内ズックがあり、それが自宅に戻されてきたのだが、重いズックなので、簡単な軽量のものを持ってきたのだ。

驚くことに、少なくとも親父には施設の違いと、現在位置が分かっているのだ。しかも、記憶力は確か。びっくりするしかない。

で、ポケットから補聴器の電池を3パック渡すと、そればかり見ていた親父が「お金は?」といいながら顔を上げて私をみる。「おお、幸則さんか! 来てくれたんか。」と言って笑顔を見せながら、横の母親に「ゆきのりさんが来てくれた。」と伝える。私は今度は、隣の母親の足元にしゃがみこんで、靴を履き替えさせた。で、黒飴を4個、手に渡す。毎朝、決まってデーに出かける待ち時間に欲しがったからだ。「今から、仕事か? 行かなあかんのやろ。」と聞く。

二人はまた、数日したら、家に戻るものだと思っているようだ。どこかに出かけている気分なのだろう。とりあえず、「家に帰る」などという言葉が出なかったので、安心したが、1、2週間も経過し事態を理解すると、どうなることか分からない。

親父はこれまでデーに出かける時に必ず、首から皮の小さな物入れバックを下げているし、母親は黒い手提げを持っていく。今日の二人は、テーブルに座りながら、二人ともバックや手提げを手元に置いている。どこか、余所に来ている意識があり、終の住処などという思いはどこにもないのは、間違いない。


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3 コメント

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う~む・・・ (kyon)
2018-05-17 13:40:18
そかぁ・・・ご様子・・・目に見えるような・・・なるほどなぁ・・・
お金は?っつうところが笑えますが・・・あの年代って、お財布が手元に無いというのは何となく落ち着かない癖みたいなものなのかしらね・・・そう言えば、前の入院先で我が母もちょいちょいポケットに小銭とか千円札とか入れてたなぁ・・・取り忘れて一緒に洗濯してしまったりしてさ~(笑)
お金なんて・・ほぼ使う場所も無いのに・・・と思えば、ちょいと切ないが・・(苦笑)
慣れてくれるといいね。
不思議なもので、ちゃんと名前を憶えていてくれてるというのは、妙にホッとしたりしますよね・・我が家はどうだろうかなぁ~?・・・(苦笑)さて今から心配だわ~(^_^;)
不思議 (店主)
2018-05-17 17:25:16
親父は特に認知の度合いが、はっきり分かるほど改善されてきているから「不思議」というか、怖いというか、母親は、かなり物事の見境がつかなくなりましたが、どちらにしても、困ったことに、私の顔と名前は忘れてくれないようです。常に「えさ」を与えてきたからでしょうか?
あはは (kyon)
2018-05-17 19:25:55
思わず笑ってしまった・・・そそ、餌を与えてくれる人、安全に過ごさせてくれる人は忘れないね(笑)
ワタシでもきっとそうだろうと思う。偉大なことですね・・・続けてきたことの凄さを思いますわ・・・(^_^;)

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