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ラーメン道32 餃子の王将の逸品「牛骨ラーメン」

2012年10月14日 13時47分11秒 | Weblog

 今月も、王将大好きな家内と食事に出かけた。いつもの通り、餃子を注文するのであるが、今回は、それに続き、期間限定の「牛骨ラーメン」を選定。私は、最近の定番になっている「五目そば」を注文した。王将の料理は、どれもまあまあの味であるが、どの店舗に行っても「五目そば」は格別にうまい。さっぱりとした塩スープは野菜のエキスで充満しており、美味しいコクのあるスープに仕上がっている。その上、麺もラーメン専門店に引けを取らない弾力のある歯ごたえの麺である。しかも、野菜がこれでもかといった感じで乗っかっている。野菜は、油っこくなく、しかもシャキシャキ感を十分に残しているので、野菜だけでも十分に堪能できる。
 今回新規で注文した「牛骨ラーメン」は、期間限定割引商品。10月15日までなら通常480円のところ380円で食べれるのである。これは安い。最近のラーメンは、人気店であればあるほど、高価な料理になってきてしまっている。1杯が800円以上ととても庶民の味ではなくなってきているのである。ラーメンが人気になり、各店が自前の独自のラーメンを開発することによるコスト高が反映してしまっていることは、やむを得ないのであろうが、ラーメンという庶民の食べ物であれば、500円以下に抑えたい。でも、安かろう悪かろうでは意味がない。安くてうまいところにラーメンの真骨頂があるのである。そんな意味からすれば、王将の「牛骨ラーメン」は価格から言ってみれば及第点の料理である。味はどうか・・・?これが、素晴らしくしっとりとしたクルーミーな味のスープなのである。チラシには、牛骨はもちろんであるが、豚肉・鶏肉の味もスープに混在しているらしい。ハイブリッドなスープなのである。パイタンスープに近いが、コクや旨みは、その上を行く。実に輝かしい味のスープである。また、麺もシコシコしたもので、十分な食感である。その上、チャーシューと半切りにした煮玉子が2個(実際には1個分)付いている。これで380円は、相当なレベルのラーメンである。この価格で、この味のスープに麺、しかもトッピング内容からすると、最高に近いラーメンである。これなら、いつでも食べたくなる、極めつけのラーメンである。しかも、庶民の味方のラーメン価格。
 王将は、常に多くの客が並んでいる。これは、どこの店も同じである。食事時に、王将にすんなり入れたことがない。それほどの人気の秘訣は、料金が安い割に味が良いところにある。王将の餃子に匹敵するものは、この価格帯では他に見たことがない。安かろうまずかろうの餃子では、到底太刀打ちできないのも事実。その王将が、今回は画期的なラーメンを作ってしまった。これほどの出来栄えでは、他の店も、当然にラーメン専門店も太刀打ちできないだろうと思う。それほど、価格から言った完成度が高いラーメンである。「牛骨ラーメン」は最高!!


江戸っ子気質 粋で鯔背な・・・。

2012年10月13日 23時18分55秒 | Weblog

 東京人と言えば、すぐに思い浮かぶのが ゜粋で鯔背な「江戸っ子気質」゜というフレーズである。江戸っ子の行動パターンでは、「宵越しの金は持たない」「細かいことにこだわらない」「正義感が強く、意地っ張りで喧嘩っぱやい」「そのくせ、人情家で涙もろい」ということになる。ラッツ&スターの名曲「め組のひと」の歌にも、゜♪ 鯔背だね 夏を連れてきたひと・・・・♪゜というフレーズがある通りである。とにかくこの、鯔背(いなせ)という評価がぴったりなのである。
 因みに、鯔(いな)とはボラの幼魚のことであるが、江戸時代、日本橋の魚河岸の若者の間で流行した髪型が、鯔の形に似ていて「鯔背銀杏」と名付けられたことから、粋で勇み肌の人を゜粋で鯔背な゜という呼び方をしたのであった。
 しかし、東京に住んでいからといって、江戸っ子と名乗るわけにはいかない。よく「チャキチャキの江戸っ子」というが、このチャキチャキは、長男の意味である嫡男の゜嫡(ちゃく)゜を重ねた言葉で、江戸時代から長男→長男と続いた家(つまり3代続き)の者こそ、正真正銘の江戸っ子なのであり、明治以降に代を重ねたからと言って、江戸っ子を称することはできないということなのである。
 東京は、大きく変容し始めている。世界最大の電波塔「東京スカイツリー」が完成したし、100年前の赤レンガの東京駅の駅舎も大きな改装工事を経て蘇った。丸の内には、丸ビルや新丸ビルが建ち、巨大なビル群に囲まれている東京。このような東京にも、色んな謎があるのである。そんなことを考えながら、東京を歩いてみるのもまた、楽しいのである。ここに「東京都謎解き散歩 23区編」(樋口州男著、新人物文庫)という本がある。この本を手にとって読み始めると、色んな驚きに遭遇する。そんなことがあったのか、そんな意味からこの地はあるのだ・・、と感嘆することが多い。
 後楽園球場は、今では「東京ドーム」と称して、読売ジャイアンツの本拠地になっている。この地も、歴史がある。日本における職業人野球は、大正9年(1920年)に「日本運動協会」が設立されたのが始まりで、「読売ジャイアンツ」の前身である「大日本東京野球倶楽部」が結成されたのが昭和9(1934)年である。昭和11年に「東京巨人軍」に改称された。そのジャイアンツが文京区の後楽園球場を本拠地として使うようになったのは、昭和12年のこと。第二次世界大戦末期には、軍に接収されて高射砲が設置され、グランドは畑になったこともあったが、戦後間もなく野球が再開され、プロ野球は国民的人気を博した。日本初のドーム型野球場「東京ドーム」に生まれ変わったのは、昭和63年になってである。
 一方、現在、新宿区の明治神宮野球場(神宮球場)を本拠地としている「東京ヤクルトスワローズ」もかっては、後楽園球場を本拠地としていた時期があった(当時は、国鉄スワローズ)。昭和25年のことではあるが、翌年、武蔵野市に東京スタディアム(武蔵野グリーンパーク野球場)が建設されたのに伴い、本拠地を移転した。だが、都心から遠く観客に人気がなかったことなどから、翌年には後楽園に本拠地を戻し、さらに昭和39年からは神宮球場を本拠地としている。
 また、「大映ユニオンズ」が昭和23~32年まで後楽園球場を本拠地としていたほか、「ロッテオリオンズ」(現・千葉ロッテマリーンズ)は昭和25~37年までは後楽園球場を、昭和38~47年までは東京スタジアム(荒川区、通称・東京球場)を本拠地としていた。
 「北海道日本ハムファイターズ」も、元は東京のチーム。「急映フライヤーズ→東急フライヤーズ」時代に後楽園球場(昭和23~28年)を、「東急フライヤーズ→東映フライヤーズ」時代に世田谷の駒澤球場(昭和28~36年)と神宮球場(昭和37~38年)を、そして、「東映フライヤーズ→日本ハムファイターズ」時代は再び後楽園球場(昭和39~62年)→東京ドーム(昭和63~平成15年)へ本拠地を移した。北海道の札幌ドームに移ったのは、平成16年である。
 このように、野球チームでも本拠地の移転が繰り返されていた。こんなことも感じながら、今を見つめると、また、楽しいものなのである。


名作アニメ「科学忍者隊ガッチャマン」が実写映画化!

2012年10月12日 20時33分11秒 | Weblog

 今回実写映画化される「科学忍者隊ガッチャマン」は、大人気だったヒーローものアニメである。タツノコ・プロ原作のこの作品は、実に精巧にできたアニメだったと思う。科学忍者隊ガッチャマンは、世界征服を企む悪の組織ギャラクターを倒すため組成された精鋭部隊で、科学力を駆使した武器を持っている。ガッチャマンである(G-1号)大鷲の健を主人公に、コンドルのジョー(G-2号)、白鳥のジュン(G-3号)(メンバー中唯一の女性)、燕(ツバクロ)の甚平(G-4号)、みみずくの竜(G-5号)の5人で組成されている。この科学忍者隊に指令を出すのが、科学技術庁の天才科学者・南部考三郎博士である。戦闘機である「ゴッドフェニックス」は、゜火の鳥゜に科学忍法で変様するのである。
 
タツノコプロが制作した伝説的アニメ「科学忍者隊ガッチャマン」が、日活製作、東宝配給により「ガッチャマン」として実写映画化されることが明らかになった。同プロ史上最大のヒット作といっても過言ではない名作が、佐藤東弥監督のメガホンのもと、総力を結集して10月15日のクランクインに臨もうとしている。主人公の“大鷲の健”を演じるのは、映画、ドラマと引っ張りだこの松坂桃李。さらに、綾野剛、剛力彩芽、濱田龍臣、鈴木亮平といった若手実力派が顔をそろえ、世界征服を企む悪の組織“ギャラクター”との激闘に身を捧げる。
 
1972年10月に放送がスタートしたアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」は、平均視聴率21%という驚異的な数字を記録。2クール(半年間)の放送予定が延長され、最終的には8クール(2年間)で全105話が放送された。その後、熱狂的なファンの再放送嘆願書がきっかけとなり、映画化やテレビシリーズの続編が実現。シリーズ最高視聴率27.1%を樹立するなど、漫画原作のないオリジナル作品でありながら、旧作と合わせて4年もの長期シリーズとなったことでも知られている。
 
日活100周年、タツノコプロ50周年記念作品という位置づけで製作されるだけに、若手実力派キャストのみならず、豊富な実績を誇るスタッフもずらり勢ぞろい。脚本を「GANTZ」シリーズの渡辺雄介が執筆し、アクション指導をハリウッドでも実績のある小池達朗、キャラクターデザインをフルCGアニメ「APPLESEED」で知られる荒牧伸志が担当する。また、今作一番の見どころといえるVFXは、山崎貴監督作などで定評のある「白組」が手がける。
 
オリジナルでは、松坂扮する“大鷲の健”の称号がガッチャマンだったが、今作では幼いころから過酷な特殊訓練を受けてきたISO(国際科学技術庁)のエージェントである5人の総称となる。主演の松坂は、「これだけ有名なアニメーションの実写映画化に参加することができるのは、身震いするぐらい楽しみです。僕は戦隊出身なので、レッドを務めさせていただいた経験を生かすとともに、全く新しいヒーロー像を作り上げていきたいと思っています」と並々ならぬ意欲。健のライバルで、クールで破天荒な“コンドルのジョー”を演じる綾野も「正義とは何なのか。悪とは何なのか。自身の真に潜む獣と闘い続け、牙なる精神で、チーム・ガッチャマン、漢、コンドルのジョーを生きさせていただきます。ガッチャマン世代の皆さま、そしてまだガッチャマンに触れていない世代の皆さまにも共感共鳴していただけるよう、真に迫り邁進させていただきます」と負けていない。
 
ガッチャマンのヒロインで、健に恋心を抱く“白鳥(しらとり)のジュン”に息吹を与える剛力は「誰もが知っているアニメなので、期待を裏切らないように格好よく、ガッチャマンらしく、新しいジュンを魅せることができたらなと思います! アクション初挑戦なので、とにかくとにかく楽しみです!!」と意気込む。オリジナルを知らない濱田は、役どころがマイナーチェンジされジュンと姉妹という設定になった“燕(つばくろ)の甚平”役。鈴木は、メンバーのムードメーカー役で、優しい心根を持ちながらも圧倒的なパワーを誇る“みみずくの竜”を務める。
 
映画の舞台は、近未来の東京。人類のテクノロジーを圧倒する力をもつ謎の組織「ギャラクター」が、全世界へ宣戦布告し、地球の半分を占領してしまう。ISOの南部博士は、人類最後の望みをかけ、5人の若者を招集する。本編では、最新のVFX技術を駆使したスピーディで力強いアクションシーンをふんだんに盛り込み、ガッチャマンとギャラクターの死闘、仲間との絆を描く。CGのカット数は、「ヤッターマン」(1300カット)、「GANTZ」(前後編で1000カット)を超えることになるという。
 
ハリウッドのアメコミ実写映画を凌駕する超大作を目指す佐藤監督は、「原作のアニメの世界にリスペクトを捧げながら、若くて才能ある俳優陣、スタッフたちと、原作を知らない方々にも楽しんでいただけるような、そして今の時代だからこそ希望をもてるような、日本ならではのヒーロー映画を作り上げていきたいと思っております」と覚悟をにじませる。また、南部博士やアンダーソン長官、ギャラクター側のベルク・カッツェや総裁Xといった主要な登場人物を誰が演じるのかにも注目が集まる。さらに、オリジナルでジュンが経営するメンバーの溜まり場「ゴーゴー喫茶・スナックJ」や、メンバーが腕に装着するブレスレット、大型偵察・攻撃機ゴッドフェニックスなどがどのように描写されるのかなど、今後も細部にいたるまで目が離せない。撮了は、12月下旬予定だ。


基礎研究の賜物、ノーベル賞受賞の山中教授

2012年10月10日 20時57分24秒 | Weblog

                    
 世界最高の賞であるノーベル賞(医学生理学賞)が、京都大学教授でiPS細胞研究所の山中伸弥に贈られた。万能細胞と言われるiPS細胞は、どんな部位にも成長できる細胞。これからの細胞を形成するものに進展していく、夢の細胞なのである。これも、基礎研究の集大成と言えるのである。基礎科学がしっかりとできていてこその発見だったのである。

 あらゆる細胞に変化する「万能細胞」が、マウスの皮膚細胞にわずか4種類の遺伝子を入れるだけでできた。06年の人工多能性幹細胞(iPS細胞)の登場は世界を驚嘆させた。開発した山中伸弥(49)は、昨春新設された京都大iPS細胞研究所の所長として、約200人を率い、研究の最前線を走る。この5年で、ラスカー、ガードナー国際、京都、ウルフ各賞など、ノーベル賞登竜門とされる科学賞を総なめにしたのも事実。「普通なら、出て間もない成果は選ばれない賞ばかり。異例の評価ですが、僕自身ではなく技術そのものに対する評価だと思っています。その後、がーんと進んだことも大きい。研究の進展は、07年にヒトでのiPS細胞作成を発表したときの予想をはるかに上回ります」との弁。
 スウェーデンのカロリンスカ研究所は10月8日、2012年のノーベル医学生理学賞を、京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)と英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士(79)に授与すると発表した。授賞理由は「成熟した細胞を、多能性を持つ状態に初期化できることの発見」。山中氏は06年、マウスの皮膚細胞に4種類の遺伝子を入れることで、あらゆる組織や臓器に分化する能力と高い増殖能力を持つ「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を作り出すことに成功。拒絶反応の少ない再生医療や難病の仕組みの解明などにつながる革新的な功績が評価された。最初の成果が米科学誌に掲載されてから6年余りという異例のスピード受賞だ。
 山中教授はこの日、午後8時から京都市左京区の京都大で会見。「私たちの本当の仕事はしっかり研究を進め、iPS細胞の医療応用を果たすこと。これからも本当の仕事を進めていかなければならないと思った。難病を持っている患者さんには、希望を捨てずにいてほしい」と決意を語った。
 日本人の受賞は10年の鈴木章・北海道大名誉教授と根岸英一・米パデュー大特別教授の化学賞に続く快挙で、医学生理学賞の受賞は87年の利根川進・米マサチューセッツ工科大教授以来25年ぶり、2度目。今回の受賞で日本人の受賞者数は、米国籍の南部陽一郎氏=08年物理学賞=を含め19人(医学生理学賞2、物理学賞7、化学賞7、文学賞2、平和賞1)となる。授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金800万スウェーデン・クローナ(約9800万円)が両氏に半分ずつ贈られる。
 ヒトや動物は、1個の受精卵から体のすべての細胞を作り出している。受精卵は分裂を繰り返して数を増やしながら、心臓、筋肉、神経、皮膚などさまざまな臓器や組織の細胞に変化する。これが「分化(ぶんか)」だ。一度心臓や筋肉の細胞に分化した細胞は、分化前の状態に戻らないと考えられてきた。
 ガードン博士は、1962年、アフリカツメガエルの卵から遺伝情報を含む核を取り除き、代わりにオタマジャクシの体細胞の核を移植。この卵は、もとのオタマジャクシと同じ遺伝情報を持つ「クローンオタマジャクシ」に成長した。このことは、いったん分化した細胞でも、卵の中に入れることで再びあらゆる細胞に分化できる「多能性(たのうせい)」を持つように「初期化」ができることを世界で初めて示した。
 その後40年以上たち、山中教授らは、胚性幹細胞(はいせいかんさいぼう)(ES細胞)や、受精させていない卵子の中で働く24種類の遺伝子を特定。その中で多能性を呼び戻すのに必要な遺伝子を4種類に絞り込み、マウスの皮膚細胞に組み込むという方法で細胞を初期化し、多能性と増殖能力を持つ「iPS細胞」を作った。07年11月には、同様の手法でヒトの皮膚細胞からiPS細胞を作ったことも報告した。
 iPS細胞は、患者自身や白血球の型が同じ人の細胞から作ることで、拒絶反応の少ない再生医療が実現する可能性がある。病気の解明や新薬候補物質の探索への利用も期待されている。2氏の業績についてカロリンスカ研究所は「細胞や器官の進化に関する我々の理解に革命を起こし、教科書は書き換えられ、新しい研究分野が開かれた」と評価している。


信州ドライブ旅

2012年10月08日 17時38分19秒 | Weblog

 この3連休は、結婚記念日がそろそろということもあって、信州に家内と一泊でドライブに行ってきた。まだ暑い日が続く今日、紅葉にも、まだちょっと早い時期。しかし、この期間に信州に行くのは、中々の風情が楽しめたのである。これから紅葉になる山々の景色や、諏訪湖の雄大な景観、国宝松本城、そして、この時期に催していた「信州・松本そば祭り」が圧巻なのである。代々木公園にて、「北海道グルメ展」が開催されていたのであろうが、、信州そばに舌鼓を打つことも、これまた最高に気分の良いことなのである。

 
 まずは、ドライブの最中、休憩地点に選んだのが「諏訪湖SA」。ここは、下り線では山あいに、上り線では、諏訪湖の畔にテラス席が設けられており、ここから『諏訪湖』の雄大な景色を見るのは、最高なのである。昨日は、少々雨模様であった天気も午後には晴れだしたので、ちょうど天気の回復した時に諏訪湖を見ることができた。この諏訪湖を一望できる景観は、高速道路にある多くのSAの中でも、そんなに多くない名所であろうと思う。雄大な諏訪湖に、白鳥型観光船が行き来し、ボートが静かに湖上を滑っている。背景にはアルプスの雄大な山々が、一層景観を美しく見せてくれる。上り線のSA内テラス席は、スターバックスコーヒーを飲みながら、優雅に景色を楽しむことができる。これは、至極幸福感を与えてくれるひと時なのである。
       
 国宝『松本城』は、それほど大きな天守閣の城ではないが、お堀から見る景観は、これまた素晴らしい。松本城松本市のシンボルとも言える松本城はパンフレットによると「戦国の世の、権力の盛衰とともに城主を次々と変えた松本城。築城は永正年間(1504~21)と伝えられているが、小笠原貞慶が整備拡充し、城下町の形を変えたのは天正10(1582)年のこと。現存する天守を築造したのは石川康長で、文禄2~3(1593~4)年頃と言われている。天守は昭和25年から、文部省直轄の国宝保存工事第1号として修理された。装飾を抑えた破風、木と木の組み合わせによる造形、朱塗りの廻縁をめぐらせた月見櫓も美しく、質実剛健の威容を携え、国内外から訪れる人々を迎えてくれる。」とある。又、現地案内板によると「 江戸時代中期の松本城の様子-本丸と二の丸からなるこの地域は、松本城の中枢である。面積約2730㎡の本丸御殿(政庁)と五重の天守閣がそびえていた。二の丸には、東から面積約2330㎡の二の丸御殿(藩庁)、面積約700㎡の古山地御殿大天守(城主私邸)、松本藩の籾蔵、幕府の八千俵蔵(備蓄米2000石貯蔵)、焔硝蔵が並び、また、外敵に備えて5棟の隅櫓がおかれていた。なお、現在二の丸御殿跡は平面復元されている。」とある。松本城は天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が昭和27年(1952)に国宝指定になっている他、敷地全体が昭和5年(1930)に国指定史跡に指定、平成18年(2006)には日本名城100選の1つに選定されている。その後、松本城は二の丸と本丸御殿(黒書院)に続く枡形門である黒門一の門(楼門)を昭和35年(1960)、平成元年(1989)には黒門二の門(高麗門)を復元し、平成11年(1999)には三の丸と二の丸を繋ぐ枡形門である太鼓門が復元され、当時の松本城の威容を伺え知ることが出来きる。
 この松本城の城内も、実に洗練されている佇まいがある。松などが茂り、お堀によって守る城郭は、実に美しい。黒塗りの様子を見ると、加藤清正の熊本城を思い出す。しかし、城郭はそれほどの規模ではなく、東北の大名であるという格式通りなのであろう。城内を歩いていると、加藤清正がこの城に立ち寄った時のエピソードが碑文となっていた。「加藤清正がこの城に立ち寄ったとき、土産に駒(馬のこと)を寄贈することになった。2頭の内、どちらの駒がよろしいか選んでくださいという松本城の重鎮の申し出に、せっかくの申し出であり、私ごときが選ぶには荷が重い。選ばずに、どちらもいただくことにすると、加藤清正は言ったのだそうだ。流石に器の大きな強者であると、一同を感嘆させたということだ」。
              
 そして、この時期は「信州・松本そば祭り」が、松本城の城内で開催されていた。この広い城内に、そばどころのブ-スが18、それ以外にステーキ串、ジェラード、おやき、手羽先等の専門店ブースも多く出店していたので、目移りしてしまった。その中で、新そばが美味しそうだった「そば処 小沢」に入り、山かけそばともりそばを注文。どちらも500円だったが、そばあんみつが300円プラスでセットできるため、山かけそばは、セットメニューとして注文した。新そばは実にうまい。細く茹で上がったそばを、いただく。コシがあって、風味が良い。この時期のそばは、最高である。また、とろろも絶妙で、粘り気が強く、香ばしい味に仕上がっている。城下町で蕎麦屋に入ろうと計画していたが、このイベントのおかげで、美味しい蕎麦を堪能できたのである。
           牛鮮厨房 代官山 - 料理写真:
 そばの次に食べたのが、牛鮮厨房「代官山」の゜牛串焼き500円である。この牛肉は、最高に美味しかった。こだわりのA5ランクの牛肉を、シェフ自ら焼いてくれる牛焼き串なのである。この牛肉にかかっていた塩と胡椒がまた、絶妙なのである。さらに、この牛串に、デミグラスソースをかけていただく。気分が最高!!これほど濃厚にして、うまい牛肉を、しかもこんな屋台風な場所で食べたことがない。これには、我々は仰天し、感動を覚えたのである。

 しかし、信州は東京から遠い。車で約3時間の道のりなのである。首都高速→中央高速→長野自動車道を乗り継ぎ、松本ICにて高速を降りるのであるが、この中央高速が実に渋滞が多い。この渋滞の40㌔を通過するのに2時間以上費やしてしまった。東名高速、東北自動車道、常磐道等色んな高速道路を使ってきたが、中央道ほどの渋滞はない。この高速は、渋滞が多過ぎると感じた。渋滞を体感した旅だったということである。
  ゜うーーーん、残念!!゜


異星人との友情に感動、『宇宙人ポール』

2012年10月06日 00時37分14秒 | Weblog

 中々コミカルなストーリー展開である。また、異星人とオタクな二人の友情が感動する、映画『宇宙人ポール』(2010年アメリカ制作)を見た。異星人は、侵略者であったりと、通常はコミカルな友人としては描きにくい。「E.T.」以来の友情を描いた映画と言えるのかもしれない。
 
『ギャラクシー・クエスト』『ファン・ボーイズ』など、SFコミックや映画のファンを題材にした作品に、またひとつ傑作が生まれた。SFオタクの主人公2人を演じるサイモン・ペッグとニック・フロストは、ゾンビ映画のパロディ『ショーン・オブ・ザ・デッド』、アメリカン・ポリスアクションのパロディ『ホット・ファズ-俺たちスーパーポリスメン!-』に主演してきたコンビ。今まではアメリカンテイスト全開のジャンル映画の舞台をイギリスに持ち込んでいたが、本作では主に70~80年代のSF映画のパロディをふんだんに取り入れつつ、アメリカへの憧れとイギリス人らしい皮肉を全開。軸となるのはスピルバーグ映画『未知との遭遇』と『E.T.』へのオマージュ。監督は、本作が初の日本公開となるのグレッグ・モットーラ。
 
1947年、アメリカ、ワイオミング州のムーアクロフト。そこで暮らす幼い少女は、ある夜、怪しい光を放つ飛行物体が愛犬に向かって墜落してくるのを目撃した……。この不可解な出来事から60年。イギリス人のSF作家クライヴ(ニック・フロスト)とイラストレーターのグレアム(サイモン・ペッグ)は、世界中のマニアが集うイベント“コミコン”に参加した翌日、レンタカーでアメリカ西部のUFOスポット巡りに出発。その途中、ネバダ州のエリア51付近で1台の暴走車の事故現場に遭遇する。恐る恐る車内の様子を窺うと、姿を現したのは、“ポール”と名乗る宇宙人(声:セス・ローゲン)。地球を訪れた60年前、政府の秘密施設に拘束された彼は、解剖されそうになったところを逃げ出してきたのだ。故郷に帰るのを手伝ってほしいと頼み込むポール。宇宙人にもかかわらず、長年の地球暮らしですっかりアメリカナイズされた毒舌とフランクな性格のポールに驚きつつも、不思議な能力を持ち、人知れず世界中の大衆文化に影響を与えてきた意外な一面を垣間見たことで、2人は徐々に打ち解けてゆく。そんな彼らの前に現れたのは、ポールを捕えるために派遣された捜査官ゾイル(ジェイソン・ベイトマン)。凄腕のゾイルは間もなく、クライヴとグレアムがポールの逃亡を手助けしていることを突き止める。一方、ポール一行はひょんなことから、宿泊先のモーテルで働く敬虔なクリスチャンのルース(クリステン・ウィグ)を誘拐する羽目に。しかも、グレアムが彼女といい雰囲気になってしまう。ルースの父、モーゼス(ジョン・キャロル・リンチ)は怒り心頭。過激なキリスト教原理主義者の彼はライフルを手にその後を追う。ゾイルやモーゼスの激しい追撃を危機一髪のところでかわす4人。次第に固い絆で結ばれてゆく一行は、いよいよ目的地に到着。そこには、想像を絶する驚きの光景が広がっていた……。
 主人公たちが協力し、政府機関の裏をかいてエイリアンを故郷の星に帰すという、S・スピルバーグの「E.T.」とほぼ同じ展開なのだが、秀逸なのが、宇宙人のポールのキャラクターである。
60年も地球にいたおかげで、流暢に英語を喋るのはいいが、スラングは混じる、下品なジョークは連発する、タバコもマリワナも吸うなど、子供と心を通わせたE.T.とは大違いの、俗物的なアメリカ文化に毒されてしまってるわけで、それはまた、クライブたちイギリス人の目から見た、辛らつなアメリカ批判にもなっている

            


復活、東京の玄関「東京駅」

2012年10月01日 23時43分15秒 | Weblog

 戦災で消失されていた東京駅の3階部分が元通りになった「東京駅」が、再建されて本日、グランドオープンした。100年前の近代洋風建築の建物を、その当時と同じように復元した駅舎が完成したのである。本日は、この新・東京駅を見学してきた。外観、中のレリーフ等の装飾等、昔の荘厳な建築が再建されていた。
 大正3年12月14日に東京中央停車場として竣工した東京駅赤レンガ駅舎は、当時の建築界の第一人者・辰野金吾によって設計された。延べ床面積は2万3897平方メートル。一対のドームを備えた鉄骨煉瓦造3階建の建造物で、東京駅と改称して開業。その後、関東大震災では、ほとんど直接的な被害を受けなかったが、昭和20年5月25日の大空襲で炎上し、ドーム部も含む駅舎の屋根すべてを焼失。同年終戦後まもなく、東京駅戦災復興工事が開始された。被害の大きかった3階部分は、塔舎以外取り壊され、2階建となり、乗車口・降車口の塔舎ドーム屋根は、丸形から八角形に改められて再建。貴重な装飾を失ったドーム内部は、天井をジュラルミン板で半球形に修復。銅板葺だった屋根は、昭和22年3月、鉄板葺きで仕上げられ(数年後に天然スレートに葺き替)、駅舎は戦災前のイメージを残しながらも異なるスタイルで甦った。翌23年6月20日には、乗車口は南口、降車口は北口とする乗降分離方式の駅内一方通行が廃止。南口・北口のいずれからでも乗降ができるようになった。応急処置的な東京駅戦災復興工事でしたが再建された八角屋根の赤レンガ駅舎は、今日の復原工事に至るまで、戦災復興のシンボルとして、人々の暮らしと共に歴史を刻んできた。
 駅舎の南北両端にあるドームの天井には鉄道の車輪や動物の装飾が施され、荘厳なムードを醸し出している。中央部1階にある駅長室にはこれまで通り、福井県の曹洞宗大本山・永平寺から寄贈された書「無事」が掲げられた。
駅舎内に10月3日開業する東京ステーションホテルのラウンジなどには創業時の赤レンガの壁が生かされ、ロイヤルスイートルーム(1泊80万8500円)の窓からは皇居までまっすぐに延びる「行幸通り」を正面から眺められる。
 
復元工事を終えて10月1日に開業した東京駅。建築工事も含めると、今回が3度目の大規模工事となる。
       

 東京駅が開業したのは、98年前の1914年(大正3年)12月。すでに開業していた新橋駅と上野駅を結び、首都の鉄道網の中心駅として建設された。
駅舎の設計を担当したのは、日本近代建築の祖とされ、日本銀行本店などを手がけた辰野金吾(1854~1919)。赤レンガ造りの3階建て駅舎を6年9か月かけて完成させた。南北の駅舎にそれぞれ取り付けたドーム形の屋根が目をひく洋風デザインだった。重厚に作られた駅舎は、23年の関東大震災でもほぼ無傷だったが、終戦直前の45年5月、米軍機による空襲で駅舎が炎上。ドーム屋根と3階部分を焼失した。急きょ行われた修復工事では、ドームに代えて八角形の屋根がかけられ、3階部分は再建されなかった。
 
戦後長く、修復後の姿で利用され続けたが、駅舎復元を求める住民運動もあって、JR東日本は1999年に復元を決定。駅舎は03年に国の重要文化財に指定された。
 
復元工事は、07年5月に開始され、5年をかけた工事が完成、開業するのが10月1日となったのである。

                    復元された干支のレリーフ

 復元の目玉は、創建当時を再現したドーム形の屋根。高さは約35メートルで、これまでの八角屋根より約2メートル高い。戦災復興工事で八角屋根を設置した際、内部に残されたレリーフなどは見えない状態となった。今回の復元工事では、3階から天井にかけて創建時のデザインを忠実に再現。数少ない写真や文献などをもとに、2メートルを超える鷲(わし)の彫刻や花飾りのレリーフなどを復元した。戦火による焼失を免れた創建当時のレリーフも一部使われている。
 
レリーフの中には、方角を示す干支(えと)や、豊臣秀吉の兜(かぶと)をかたどった飾りなどもあり、和を感じさせる装飾が施されているのも特徴だ。ドームの天井部分には、ドームを歩きながら上を見上げると、この装飾を眺めることができる。
 
戦後の修復では再建されなかった3階部分も、67年ぶりに復元された。鉄骨レンガ造りの1、2階の構造をそのまま生かしつつ、3階部分は鉄筋コンクリートで構成し、外壁に化粧用のレンガをあしらった。化粧レンガは2階以下と比べて違和感が出ないように、顔料の調合を何度も繰り返したという。外壁の復元に伴い、柱に施された石の飾りも手直しした。戦後の修復工事で3階から2階に移された柱飾りは、本来の3階に戻し、創建時の駅舎の顔に近付けた。復元された3階には、06年から休業していた東京ステーションホテル(10月3日に新装オープン)の客室などが入る。