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江戸っ子気質 粋で鯔背な・・・。

2012年10月13日 23時18分55秒 | Weblog

 東京人と言えば、すぐに思い浮かぶのが ゜粋で鯔背な「江戸っ子気質」゜というフレーズである。江戸っ子の行動パターンでは、「宵越しの金は持たない」「細かいことにこだわらない」「正義感が強く、意地っ張りで喧嘩っぱやい」「そのくせ、人情家で涙もろい」ということになる。ラッツ&スターの名曲「め組のひと」の歌にも、゜♪ 鯔背だね 夏を連れてきたひと・・・・♪゜というフレーズがある通りである。とにかくこの、鯔背(いなせ)という評価がぴったりなのである。
 因みに、鯔(いな)とはボラの幼魚のことであるが、江戸時代、日本橋の魚河岸の若者の間で流行した髪型が、鯔の形に似ていて「鯔背銀杏」と名付けられたことから、粋で勇み肌の人を゜粋で鯔背な゜という呼び方をしたのであった。
 しかし、東京に住んでいからといって、江戸っ子と名乗るわけにはいかない。よく「チャキチャキの江戸っ子」というが、このチャキチャキは、長男の意味である嫡男の゜嫡(ちゃく)゜を重ねた言葉で、江戸時代から長男→長男と続いた家(つまり3代続き)の者こそ、正真正銘の江戸っ子なのであり、明治以降に代を重ねたからと言って、江戸っ子を称することはできないということなのである。
 東京は、大きく変容し始めている。世界最大の電波塔「東京スカイツリー」が完成したし、100年前の赤レンガの東京駅の駅舎も大きな改装工事を経て蘇った。丸の内には、丸ビルや新丸ビルが建ち、巨大なビル群に囲まれている東京。このような東京にも、色んな謎があるのである。そんなことを考えながら、東京を歩いてみるのもまた、楽しいのである。ここに「東京都謎解き散歩 23区編」(樋口州男著、新人物文庫)という本がある。この本を手にとって読み始めると、色んな驚きに遭遇する。そんなことがあったのか、そんな意味からこの地はあるのだ・・、と感嘆することが多い。
 後楽園球場は、今では「東京ドーム」と称して、読売ジャイアンツの本拠地になっている。この地も、歴史がある。日本における職業人野球は、大正9年(1920年)に「日本運動協会」が設立されたのが始まりで、「読売ジャイアンツ」の前身である「大日本東京野球倶楽部」が結成されたのが昭和9(1934)年である。昭和11年に「東京巨人軍」に改称された。そのジャイアンツが文京区の後楽園球場を本拠地として使うようになったのは、昭和12年のこと。第二次世界大戦末期には、軍に接収されて高射砲が設置され、グランドは畑になったこともあったが、戦後間もなく野球が再開され、プロ野球は国民的人気を博した。日本初のドーム型野球場「東京ドーム」に生まれ変わったのは、昭和63年になってである。
 一方、現在、新宿区の明治神宮野球場(神宮球場)を本拠地としている「東京ヤクルトスワローズ」もかっては、後楽園球場を本拠地としていた時期があった(当時は、国鉄スワローズ)。昭和25年のことではあるが、翌年、武蔵野市に東京スタディアム(武蔵野グリーンパーク野球場)が建設されたのに伴い、本拠地を移転した。だが、都心から遠く観客に人気がなかったことなどから、翌年には後楽園に本拠地を戻し、さらに昭和39年からは神宮球場を本拠地としている。
 また、「大映ユニオンズ」が昭和23~32年まで後楽園球場を本拠地としていたほか、「ロッテオリオンズ」(現・千葉ロッテマリーンズ)は昭和25~37年までは後楽園球場を、昭和38~47年までは東京スタジアム(荒川区、通称・東京球場)を本拠地としていた。
 「北海道日本ハムファイターズ」も、元は東京のチーム。「急映フライヤーズ→東急フライヤーズ」時代に後楽園球場(昭和23~28年)を、「東急フライヤーズ→東映フライヤーズ」時代に世田谷の駒澤球場(昭和28~36年)と神宮球場(昭和37~38年)を、そして、「東映フライヤーズ→日本ハムファイターズ」時代は再び後楽園球場(昭和39~62年)→東京ドーム(昭和63~平成15年)へ本拠地を移した。北海道の札幌ドームに移ったのは、平成16年である。
 このように、野球チームでも本拠地の移転が繰り返されていた。こんなことも感じながら、今を見つめると、また、楽しいものなのである。


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