Movieな空間

映画大好き人間の気ままな空間です!!

根源

2010年03月07日 15時33分29秒 | Weblog
        
 最近の科学は凄い。DNA鑑定等遺伝子情報を元に、かなりの深い情報を探り当てることが出来る。DNA鑑定では、犯人の僅かな体液によってでも、ほぼ完全にその人間を特定できてしまう。やはり、遺伝子等の極微細な分子情報の配列で、このようなことが可能となってきているのである。ヒトゲノムでは、人間の遺伝子情報をほぼ解析できたとのことで、膨大なミクロの世界の情報地図を取得できたことになるのでである。人間には、この種の情報により、進化の過程を特定できるのである。どの年代に、どんな遺伝子が作られたのかが分かるので、過去の状況が把握できるのである。まさしく、タイムマシンに乗って、過去の情報を得るのと同様である。ダーウィンの「進化論」は本当に正しいかも、まもなく結論が得られるのかもしれない。本当に、驚きのことである。
 人間の遺伝子の持っている記憶を、根源までたどっていくと、どんな世界が見えてくるのか?こんなテーマの映画があった。「アルタード・ステーツ -未知への挑戦ー」(1980年アメリカ制作)が、それだ。゛アルタード・ステーツ゛の意味は、変性的意識とか幽体離脱の意味。1人の若い精神心理学者が自ら実験台となり、人類の記憶の世界をたどって生命誕生の根源を探ろうと試みる姿を描くSF映画。製作総指揮はダニエル・メルニック、製作はハワード・ゴットフリード、監督は「バレンチノ」のケン・ラッセル。パディ・チャイエフスキーの原作を基にシドニー・アーロンが脚色。撮影はジョーダン・クローネンウェス、音楽はジョン・コリグリアーノ、編集はエリック・ジェンキンスが各々担当。出演はウィリアム・ハート、ブレア・ブラウン、ボブ・バラバン、チャールズ・ハイド、ティオ・ペングリス、ミゲル・ゴッドローなど。
 エドワード・ジェサッブ(ウィリアム・ハート)は、25歳で博士号をとった有能な精神心理学者だ。学生時代に彼はエミリー(ブレア・ブラウン)と結婚する。彼は、今、ある実験に没頭している。全ての人類は、地球上に出現した生命体の進化によって生まれた。すなわち人類を形成する細胞も、原始の生命体からの細胞の記憶を引きついでいる。従って細胞の記憶をたどることで人類の生命誕生の根源に戻ることができるという説に基づいて、10%の硫酸マグネシウム液に浸り、強力な幻覚作用を持つ薬を併用し、永遠の真理を探ろうとしていた。大学の同僚アーサー(ボブ・バラバン)とメインン(チャールズ・ハイド)の協力を得て、実験は進められる。一方、実験に没頭するエドワードを完全には理解できないエミリーは、愛情を残しながらも娘を連れて、彼から離れていった。水漕に浸ったエドワードは、体験する様々なことをアーサーたちに語る。そして人類の発生時に逆のぼり、遂に類人猿と化す。実験は動物園の山羊の檻の中で、羊たちを喰い散らした後全裸のまま倒れていたエドワードが警察に保護されたところで終わった。しかし彼の意志は固く、さらに最終実験が進められる。そのうち凄まじいエネルギーの放出が始まり、モニターテレビには青白色の光線が発せられ、水漕は大音響と共に破壊した。すべてを吸い込むような霧の渦の中で、エドワードが必死にもがく。その時、その場にやってきたエミリーがエドワードを呼んで手をさしのべる。やがて、粒子の中からエドワードが形成される。1度は平静さをとり戻すが、再び凄まじいエネルギーの変化がエドワードとエミリーをも襲う。懸命に元に戻ろうとするエドワードは、作用に包まれているエミリーを抱きしめるのだった。まるで愛こそ、すべての根源であることを象徴するかのように・・・。

変らないもの

2010年03月04日 23時27分41秒 | Weblog
 社会や環境が変ろうとも、決して変らないものがある。そのものは、非常に大事なものである。それは、自分自身の思い出と変らない価値を持つものである。当然にして、自分が経験した思い出は、変るはずがない。また、非常に大事な普遍的な価値があるものも変らないのである。大事なものにして、価値が変らないもの・・・、それは、人生にとっても非常に事なものなのである。

栄光の所在

2010年03月03日 21時39分25秒 | Weblog

 



                       OSK201002260103.jpg
 バンクーバー五輪が終わってしまった。日本でのメダル獲得は、銀メダル3個、銅メダル2個の合計5個。前回のトリノ五輪では、女子フィギュアースケートの荒川の金メダル1個だけだった。今回は、5個のメダル獲得だが、金メダルは無かった。日本選手団が凱旋したが、いろんな声が聞こえてくる。韓国は、国家の強力なサポートにより、欧米並みのメダルを獲得したのに比べ、日本の冬季五輪の惨憺たる結果に、多くのマスコミから非難が続出している。何故、韓国のように国が支援しないのか、五輪選手が活躍できるように、設備を整備しないのか・・・、と。確かに、冬季五輪に向けた国のサポートについては、日本は非常に弱い。夏季五輪で、あれだけの活躍が出来るようになったのには、国立スポーツセンター等の設備の充実等国のサポートが挙げられる。しかし、冬季五輪では、選手の練習場でさえ、十分に確保できていない状況なのだ。こんな状況で、メダルを取れといっても、無理な話ではある。
 ここで、一つの疑問がある。メダルの帰属は、どこなのかということである。オリンピックは、国対抗なので、当然にして帰属は国であると言う主張も成り立つだろう。でも、本当にそうなのか?選手が頑張って獲得したメダルは、当然にして選手に帰属する。国ではないはずである。選手一人ひとりの努力で、メダルの獲得に繋がっているからである。最近の風潮なのだろうが、メダルを取ることが、国の威信であり、選手の使命であるように、マスコミに書きたてられる。確かに、メダルは多い方が良いし、この数が国の国力の発揚に繋がっているといえなくもない。そのため、メダル獲得が至上命題であるかのように称えられる。今回の女子フィギュアースケートでの韓国キム・ヨナと浅田真央の対決もそうだ。結果として、キム・ヨナが最高得点をたたき出し、金メダルを獲得した。浅田は銀メダルに甘んじてしまったのではあるが、インタビューを聞いてて腹がたった。キム・ヨナが、プロ転向を希望しているので、4年後のオリンピックは浅田の金メダルが有望ですとの話。全くバカな質問をするマスコミだと感じた。浅田は、「キム選手がプロに転向しても、キム選手の残した最高得点の記録は残ります。この得点を超えることが出来るように頑張りたいです。でも、キム選手には居て欲しいです。私の目標ですから」と話した。真の選手は、自分以下に失敗等で他の選手が落ちていくことを望まない。自分以上に輝く存在があってほしいのであり、それ以上に自分が成長することを目標に頑張るのである。これが、真のスポーツマンなのである。
 プロゴルファーの石川遼選手が、優勝をかけて外国選手と熱戦を繰り広げていた時、その外国選手がパターを僅かにはずした。周囲のギャラリーの中に、この時拍手をした奴がいたとのことで、石川が激怒したとの報道があった。紳士のスポーツでの理解も無い輩がいることに残念な気持ちになった。真の競技者は、相手の失敗を望まない。相手の成功以上に、自分が努力して勝ち取ることを目標にするのである。不倫騒動で渦中に居るタイガー・ウッズも、相手が勝利のパターを行なう時、決まって「入れ」と願うそうである。相手が最高の結果を出すことを歓迎しているのである。タイガーの強さの秘密は、最高の相手に自分がそれ以上の努力をして勝つところにある。これが、真の競技者である。真の選手は、最高の相手と戦うことを望む。くだらない邪見で、神聖なスポーツを見て欲しくないと心底感じる。


ラーメン道⑰ 最強の塩味「元(HAJIME)」

2010年03月02日 21時54分10秒 | Weblog
      元
 今回は実食したわけではないが、数々の番組から、間違いなくおいしいのだろうと思われるラーメンがある。TV東京の「最強のラーメン伝説」で、2009年開店した最もおいしいラーメンに、都営三田線「蓮根駅」近くのラーメン店「元(HAJIME)が選定された。これは、ラーメンの鉄人(山岸、佐野、池田他)が、「参った」と頭を下げたラーメンが栄冠を勝ち取る。
 最強ラーメン伝説◇今、東京で一番おいしいラーメンを決める。開店1年以内の東京圏の人気新鋭店を対象に、スープ入りラーメンとつけめんの2部門に分けてランキング。各部門1位の店が"ラーメン史に伝説として残るラーメン"を認定する審査を受ける。ラーメン評論家らが審査員となり、1位の店を訪れて試食する。スープ入りラーメン部門1位の店は、ミネラル豊富なモンゴル岩塩を使った塩だれのラーメンが看板メニュー。つけめん部門1位の店は、ネギと日替わりの薬味しかつけないシンプルなつけめんを安価で提供している。審査員はどんな判定を下すのか。ナビゲーターは石井正則。
         らあめん 元 - 料理写真:  らあめん 元 - 店内写真:L字カウンターのみ。

雛人形

2010年03月01日 23時09分30秒 | Weblog
            
 今年も我が家に、「雛人形」が飾られる時期が来た。昨日は、巨大な7段飾りの雛人形を出し、組み立てた。台座の上に、お内裏様、お雛様、三人官女等多くの人形と牛車等の道具が並ぶ。さすがに圧巻なのである。家内が出かけた昨日は、私ひとりで完成させたのである。毎年のことであるが、2時間以上の悪戦苦闘は、この頃では体に応える。可愛い娘の守護役である人形たちを、年に1回は出してやりたいのである。数年前、中々出すことにためらった頃があり、非常に人形たちに申し訳ないと感じる。
 しかし、いざ人形たちが勢ぞろいすると、壮観な眺めである。しかも、素晴らしい良い顔の人形たち。心なしか、非常に喜んでいるようにも感じる。
             120歓喜雛15人(雛人形7段飾り)