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さくら

2010年03月27日 10時39分21秒 | Weblog
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 「桜(さくら)は、日本の国の花である。この「桜」と言う花は、本当に日本人の感性を表している花であると感じる。白でも赤でもなく、何処かぼやかされ淡い「ピンク色」の花。このはっきりとしない色が、奥ゆかしさを感じさせるものでもある。しかも、満開になって1週間程度で散り始めてしまう短命に、哀れみを感じざるを得ない。
 
歌人の馬場あき子氏は、読売新聞の「さくら考」に、「古代の桜は『農』の花です。・・・桜は初め山の花でした。・・・それが王朝時代には山から里へ、貴族の庭へと植えられます。そして美の象徴となっていく。・・・近代百年で軍の花にもされてしまった。終戦後しばらくは桜を詠む気になれませんでしたが、古典と能に桜を再発見できたのです。」と綴っている。流石に当代一流の歌人である。氏は短いエッセイの中で見事に桜と日本人の関係を、自己の人生の感慨も含めて記されている。確かに、日本において桜は、人の手をへて、山から里へ、里から都へ植えられていった。やがて日本中に繁茂した桜は、日本列島に住む人々の魂を象徴する「花」にまでなった。
 桜の起源は、朝鮮半島の済州島にあるという故小泉源一氏の説(1939)もあるが、これには異論もあり定かではない。「櫻史」(1941年初版)という書の中で、山田孝雄氏は、「櫻はわが国自生の樹木なれば太古よりありしこと疑うべからず」と、やや熱っぽく語っている。日本においては、花といえば、桜のことであり、桜を語る時、山田氏同様、日本人は訳もなく熱くなる傾向がある。
 「農の花」の意味は、桜の咲く頃に、稲の種をまく習慣があったためと思われる。日本中に「種まき桜」と呼ばれる桜の古木が分布しているのは、その名残である。桜が咲く頃、日本人がそわそわする理由は、美しい桜の花が咲いてあっという間に散っていく儚さもさることながら、一年の収穫の優劣を決定する種もみを急いでまいて苗を育てなければならないという、農の国日本の歴史的民俗的な経験も根底にあるのではないかと思うのである。
 また、桜には、日本人の感性に符号する点もある。奥ゆかしく、自分を前面に出さない日本人の恥じらいに、同一性を感じるのである。日本人が大事にする「ワビ、サビ」の世界観に通じるものがある。淡く目立たないが、優しいたたずまい。しかも、香りもうっすらとさりげない。また、花が咲き誇り、散った後に葉が出てくる。本当に珍しい花なのである。こんな花は、世界を観てもあまり無いのではないか?

 世界の国の花は、原色に近いものが多い。イギリスは薔薇、オランダはチュ-リップ、スペインはカーネーション、オーストラリアはアカシア等(アメリカは州花はあるが、国花は定めていない)華やかな色の花が多い。はかない花を国花にしている国は少ないのである。
 桜の時期は、「春」。この時期は年度替りでもあり、日本でも色んなことが変化する。TV番組の再編もこの時期。長年放映されていた番組も、終止符が打たれる時節なのである。しかし、色んなものの始まりでもある、この時期が、桜が象徴するように、楽しさが待つ四季の始まりを表すことも、また、真実なのである。

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