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映画『アバター』のテーマ

2010年03月13日 08時51分44秒 | Weblog
              アバター

 映画「アバター」と言う作品のテーマは、生命を中心とした精神世界にある本質、言うなれば「魂」だと感じます。パンドラという衛星は、全てが生命体として一体化した「魂」の総称なのです。この魂は、この意識を持った生物や植物にもあるが、星や宇宙を形成する全てを包含しているのです。ナレーションの中に、「一体となった」と言う意味は、ここから来ているのです。また、ジェイク・サリーの意識をアバターに送り込んでいるアバターシステムは、本来、知覚等の意識感覚のみを繋げる役目だったのですが、サリーについては、意識を超えた深いところに位置する「魂」をも繋げてしまったのです。サリー扮するアバターとナヴィのネイティリの間に、「君が見える」「あなたが見える」という台詞が何回か出てきます。これは、単に姿かたちが見えるといっているのではなく、それぞれの着ぐるみ的肉体の奥に存在するもの、「魂」を感じているからこそ出ている言葉なのです。お互いが、本質である「魂」を認識していると言うことなのです。だからこそ、ネイティリは、クオリッチ大佐が操縦するロボットによって、アバター・システムが壊され、瀕死の状態にあった人間であるサリーを、アバターに存在していたサリーと同一視できていたのです。要するに、人間やアバターという肉体ではなく、その奥底に存在する「魂」をお互いが認識していたから、全く違う生命体でも、通じ合っていたのです。アバターとして、ナヴィ族の居住地に行った時、エイワ(万物の基盤となるもの)が集まってきたのも、サリーの魂が、存在していること(単にアバターシステムによる意識の注入ではない)を知覚したことを意味しているのです。だからこそ、この光景を見て「あなたは選ばれた」とネイティリは分かったのです。そして、最後に何故、人間としてではなく、ナヴィとしてでもなく、アバターとして、サリーはエイワの力によって復活したか?アバターというDNAで作られた着ぐるみ的肉体に、万物に繋がる魂を人間の肉体から分離し移行したからなのです。ここに、この作品のテーマとなっている「すべてのものには万物に共通の、一体となった精神世界の本質゛魂゛」が基盤となっていることを表しているのです。
 キャメロン監督は、宮崎駿を崇拝している。宮崎駿の世界は、この万物に存在する精霊的世界、要するに「魂」の存在を主張しているのです。そのために、これらと繋がる主人公を多く作り上げている。オームの意識が分かるナウシカ、トトロという精霊とコンタクトできるさつきやメイ、動物たちと会話できるもののけ姫等。これは、宮沢賢治の世界にも通じているのです。宮崎は、宮沢を心底尊敬していることからも、この事が分かるのです。万物に存在する精霊的「魂」を理解することが、この作品を理解することだろうと感じます。千尋が見えた八百万の神とういう概念も、ここから来ているのです。
 この思想は、欧米諸国のキリスト教という一神教世界では、分かりにくいと思いますね。アカデミーは、学術的と言う意味もありますが、ギリシャ語の語源「真理」と言う意味からきているのです。映像の表面的なものではなく、この真理を理解して欲しかったと感じます。

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