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先の副将軍・水戸光圀

2008年07月31日 22時38分29秒 | Weblog

            
 水戸黄門は、中年以上の年齢層では、特に人気の高いドラマなのですね。TVドラマの中で、これ程、国民にうけたドラマは、無かったのではないでしょうか?徳川家の家系を継ぐ水戸藩主ではあるのですが、なんで、幕府の要職に明記されていない「副将軍」を名乗ることが出来たのでしょうか?ご存知「江戸幕府」の階層は、トップはもちろん、将軍であり、それを補佐するのは老中という地位の人間なのです。臨時に大老とう臨時役職を設置することもありましたが、幕府の階層に、将軍を補佐する「副将軍」と言う役職は無いのです。副将軍とは、征夷大将軍の副官として軍を統率する武官であり、古くは「日本書紀」にも見られ、701(大宝元)年に制定された大宝律令にも明記されている職責です。江戸時代では、徳川家康が1615年に定めた「公武法制応勅十八箇条」が根拠となります。この中に、「尾張徳川家、紀伊徳川家、将軍家を御三家という。将軍があるまじき悪政を布いた場合、尾張、紀伊から将軍を立てることが出来る。水戸家からは、将軍を立てることは出来ないが、副将軍という職責をもって、将軍を交代する際には、その指図を行う」と記載されている。御三家には、含まれていない水戸家は、将軍の監視、いわばお目付け役の責務が「副将軍」として与えられていたのである。これが、今日まで、幕府の要職にない「副将軍」という職責を、水戸家が名乗ってきたいわれである。
 「黄門」とは、中国の秦・漢時代の官職名「黄門侍郎」のことであり、その職場であった宮廷の門扉が黄色に塗られていたことを語源としている。そして、日本では、この「黄門侍郎」に職務内容が酷似していた中納言のことを「黄門」と呼ぶようになった。つまり、水戸黄門は、水戸の中納言の意味なのである。古来の日本では、特に目上の人に対して本名で呼ぶことがタブーとされていたので、徳川光圀のことを、藩名である水戸と、官位である黄門とを組み合わせて、「水戸黄門」と呼称していたものと思われる。光圀の死後、「天が下 二つの宝つきはてぬ 佐渡の金山 水戸の黄門」という狂歌で庶民が称えていたことも事実なのである。


・水戸黄門主題歌「ああ、人生に涙あり」の映像はこちら>>http://jp.youtube.com/watch?v=9Iy4RlwWQ-0&feature=related


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