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自然の力に驚愕!!

2014年11月23日 21時26分48秒 | Weblog

 昨日の午前中に、長野を震源とする震度6弱の地震が発生した。この地震値影響で、長野の白馬村等で家屋の全損・半壊などの大きな被害が出ているようである。長野の、しかもアルプスの山々に近いところで、このような巨大地震が発生するとは・・・・、非常に自然の驚異を感じ得ないのである。2011年に発生した「東日本大震災」。あの処理や復興が終わっていないのに、またこのような巨大地震が発生するとは、本当に日本という国は、地震の巣窟の上に乗った国なのだと実感してしまうのであるが、これがまた悲しいのである。もうすぐ年末を迎えるこの時期に、家を失った人たちは、どのように思うのか・・・。実に切ない、息苦しく悲しい自然災害なのである。
 先週の木曜日は、この長野にいた。しかも、善光寺の参拝まで行っていたのである。国宝の素晴らしい建物に感動して東京に帰ってきたばかりなのに、この善光寺の灯篭の大半が破損してしまったという。この地震によって・・・。なんとも驚きであるのと同時に、やるせない気持ちでいっぱいである。あの、荘厳にして素晴らしい古代建築の善光寺も、今回の地震で影響を受けたことに、無念さがこみ上げてくる。こんな自然災害は、本当にいらないと感じてしまうのである。



【善光寺の歴史】

善光寺は、特定の宗派に属さない特別な寺院(単立寺院)で、天台宗と浄土宗に属する寺院によって運営されています。
浄土宗側の本坊である大本願は、創建当初からの尼寺であり、皇室関係者が代々上人(住職)を務め、天台宗側の本坊である大勧進の貫主(住職)と共に、善光寺の住職としています。

善光寺縁起によると、本尊の一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)は、欽明天皇期における仏教公伝の際に、百済の聖明王より献上された仏像で、当初は奈良の向原寺に祀られていましたが、後に疫病が発生したため、廃仏派の人々によって寺は焼かれ、仏像は難波の堀江に破棄されます。
その後、信濃国司に従い都へやってきた、本田善光によって信濃国に運ばれ、皇極天皇元年(642)現在の地に遷座します。皇極天皇3年(644)皇極天皇の勅願により伽藍が造営され、寺名は本田善光の名から善光寺としました。

文禄5年(1596)の慶長伏見地震により、豊臣秀吉が発願とされる方広寺の大仏が倒壊し、秀吉は大仏の代わりに善光寺の本尊を遷座しますが、翌年秀吉が病に臥したため、善光寺に戻されます。

本堂(国宝)は、宝永4年(1707)に建立されたもので、高さは約30メートルあり、内陣には、秘仏とされる本尊の他に、本田善光と妻の弥生、子である善佐の像が安置されています。
山門(重文)は、寛延3年(1750)に建立され、高さは約20メートルあります。善光寺と書かれた扁額は、中御門天皇の第二皇子で、天台宗座主の公遵法親王によって書かれたものです。

本堂


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