「笑いの源流」とはなんだろうか?笑うことの真髄は何か?と言うことに行き着くことになるのだろうが、トルストイの「人生論」のように、真髄をあまりにも追及することは、かえって真理を見間違うことになってしまう。まさに、木を見て、森を見ずの世界に入ってしまう。
笑いの源流は、本当に色んなものがあるが、しかし、その真髄は、共通のものがあるようだ。笑いのツールは、落語、漫才、手品、しゃれ、漫談等色んなものがあるが、この追求もおもしろいものがある。番組では、「爆笑!レッドカーペット」「M-1グランプリ」「エンタに神様」「落語寄席」等があるが、どの番組が、笑いの源流足りえるのだろうか?「笑い」には、瞬間的な笑いと真髄的な笑い、言うなれば、心のそこからの笑いである。どの笑いが自身にとって、ふさわしいかは、それぞれの人によって異なるのだろうが、瞬間的な笑いより、心底笑える真髄の笑いが素晴らしいのではないだろうか?この、本当に心底笑える真髄的な笑いを、やはり追及したいし、常にこの笑いに接していたいのである。瞬間の笑いでは、ナイツ、どきどきキャンプ、エドはるみ、サンドウィッチマン等が好みであるが、真髄の笑いは、古今亭志ん朝なんかが大好きであった。しゃきしゃきんの江戸っ子の本格落語である。
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