Movieな空間

映画大好き人間の気ままな空間です!!

大晦日の恒例

2014年12月31日 20時47分40秒 | Weblog

            乗誓寺 2011年大晦日
 
 大晦日は、恒例のことで平凡に過ごすのが良いのである。いつもなら、家で年越し蕎麦を食するのであるが、今年は大晦日から赤羽に繰り出し買い物に興じた。相当な人出があったことも、なんか年の瀬という感じがして感動した。その買い物のついでに、近隣の蕎麦屋「尾張屋」で天ぷらそばを食し、年越し蕎麦とした。こんなことも、本当に希なことである。大晦日に出かけることも、外での蕎麦も初体験のような感じ。しかも、年越しそばは自宅で作るものより、数段ダシが効いていて美味しかった。蕎麦も美味であった。これは、新しい大晦日の過ごし方なのである。
 しかし、その後は、恒例である「NHK紅白歌合戦」の視聴に終始したことで、これまでの恒例行事に興してしまっている。やはり、年末年始はTVを見ながら、酒でものみ過ごすことが良かったのである。人間、毎年行っている恒例なことをやることで、落ち着いて年越しを行うことが良いのである。徒然草の作者・吉田兼好ならどのように年末年始を過ごすことであろうか?是非とも聞いてみたいのである。徒然草にこんな一節がある。
 『今日はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先づ出で来て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人は来たり。頼みたる方の事は違ひて、思ひ寄らぬ道ばかりは叶ひぬ。煩はしかりつる事はことなくて、易かるべき事はいと心苦し。日々に過ぎ行くさま、予て(かねて)思ひつるには似ず。一年の中もかくの如し。一生の間もしかなり。予てのあらまし、皆違ひ行くかと思ふに、おのづから、違はぬ事もあれば、いよいよ、物は定め難し。不定と心得ぬるのみ、実(まこと)にて違はず』現代訳:“今日はあの事をやろうと考えていたら、思わぬ急用が出来てしまいそれに紛れて時間を過ごし、待っていた人は用事で来れなくなり、期待していない人が来たりもする。期待していた方面は駄目になり、思いがけない方面の事柄だけが思い通りになってしまったりもする。面倒だと思ってきたことは何でもなくて、簡単に終わるはずだった事には苦労する。一年というのはこんなものだ。一生という時間もこんな風に過ぎていくだろう。)
 こんなものなのかも知れない。だからこそ、決まったことをやることが年末年始において一番相応しいことなのであろうと思うのである。