アッくんの長岡京新聞社

アッくんの周りで起きる小さくて明るい話題を贈ります。

打ち出と小槌(宝寺へ行く最終回)

2009年12月26日 | □ 宝寺へ行く
平成21年12月26日(土)
    の4人は 目的の場所についた・・・

キ~
「ほら!ついたワよ 打出と小槌のある宮に!」バタバタ
「トリはんには 悪いが あにサンとワシは美味いもん食うために
 ココへ来たンとちゃうねん
「ドー言うことよ
「。。。実は宝寺は一寸法師が修行した寺。。。
「それがドーなの?ワタシには関係ないワ
「。。。だろうけど 関係あるねん。。。
「さっぱり わからないワ
「オス。実はワシのじいさまと ばあさまは鬼にいじめられておる。
 そのため宝寺の打出と小槌で一寸法師のように大きくなって
 鬼の退治に行くため ココまで来たのだムッシャクッシャ

キ~
「だましたワねーゆるさなワよー」バタバタ
「すまんなあ~ 悪いけどこの帽子を被ったってぇな
「なんなのこれ?
「皿や あんたは今日からカッパや 
「はあ~・・・?
「では行くゾ!天王山から天竺ヘ
「え?天竺?ワタシがカッパで・・・
 ブタにサル・・・
 西遊記じゃないの!
 やめてちょうだい!バタバタ
「バタバタすな(≒じたばたするな)

 おわり

らっきぃの予言 当ったかも・・・
 写真の場所はココです
 2年間ありがとうございました)

秀吉の出世石

2009年12月16日 | □ 宝寺へ行く
平成21年12月16日(火)
    の4人は ついに宝寺でについた・・・
「あ~つかれた 腰掛けるには ちょうどエエ石があるヤン
 よっこらせット
「。。。それは豊臣秀吉さんの出世石やで。。。
「出生石?え?秀吉さんの生まれた石かいナ そらスンマヘン」
「。。。ちがうシ 天王山の戦いのとき 秀吉さんがそこに腰掛けて 勝利し
 その後 天下人となったから『出世』した という意味で
 出世石 言うンだ。。。」
「口べたのオマエが よーしゃべったなあ~
「。。。ほっとけ!。。。」

「オウ。それより ワシらがココへ来る本当の意味は何かわかってるよなナ?ムッシャクッシャ

キ~
「そりゃー美味いもんを 食べさせてくれるからでしょ?」バタバタ
「。。。それもあるが ボクは あにサンの じいさまとばあさまから 頼まれてココに来たンだ。。。 」
「エー何ソレー
「次回で全てが わかるムッシャクッシャ

 つづく

写真の場所はココです!)

十一面観世音菩薩さま

2009年12月06日 | □ 宝寺へ行く
平成21年11月26日(木)
    の4人は ついに宝寺でについた・・・
「あ~怖かった~
「。。。さすがに閻魔さま 迫力あったな。。。
「オス。それより ついに着いたゾ!宝積寺にムッシャクッシャ
「あにサン。ほら ご本尊さまが おられる本堂に『天王山』って書かれてまっせ」
「オウ。十一面観世音菩薩さまヤ 鎌倉時代の作で重要文化財だぞ」
「えらいこっちゃ ちゃ~んと拝ましてもらいまひょ」
ところで あのワンちゃん どないしとるやろ

キ~
「それより うまいもんはイツ食わしてくれるのー」バタバタ
「オウ。もうすぐヤ!ムッシャクッシャ
 つづく

写真の場所はココです!)

閻魔大王

2009年11月26日 | □ 宝寺へ行く
平成21年11月26日(木)
    の4人は宝寺に向かっている・・・
「え?ココに閻魔(えんま)さんが おらはるンか?(≒おられるのですか?)
「。。。そう もともとは西観音寺(椎尾神社)におられたけど ココにこられたンだ。。。」
「そうかいなあ・・・閻魔さん言うたら地獄の裁判官やもんなあ・・・」
「。。。まあな 閻魔さん以外に4人の冥官もおられるけど。。。
「ご・・・ごあいさつ しといたほうがエエやんなあ・・・」
「。。。どうしたン?急に腰引けてるけど?。。。」
「こわいやん やっぱり」
「。。。だったら ご尊顔に配しましょう
 拝観料400円払えば お会いできますよ。。。」
「そや・・・そやな・・・あにサンはドー言うか知らんけど・・・」
「。。。すっごいビビってない?。。。」
「ビビる?そんな・・・こーと・・・あるかい!ぃいぃ・・・」
「。。。だったら行くよ ほら

キ~
「何?あのサル 閻魔さまにあったとたん コビ売って」バタバタ
「。。。よっぽど地獄に行きたくないンだ。。。」

 つづく

(さすがに国の重要文化財 ド迫力でしたよ
 写真の場所はココです!)

十七士の墓

2009年11月23日 | □ 宝寺へ行く
平成21年11月23日(月)
    の4人は宝寺に向かっている・・・
アッ! 十七士墓ってあるゾ?これはなんや?
「。。。十七士とは坂本龍馬が活躍した幕末の時に出てきた長州の烈士たちのこと。。。
「長州?プロレスの?」
「。。。ちがう!長州とは藩のこと!
 京都の御所であった禁門の変
 京都を追放された長州藩が
 ここ山崎の離宮八幡宮
 長岡京市の光明寺などに布陣して
 朝廷や幕府と話し合おうとしていたのに
 戦うことになり負けちゃうンだ。。。」
「そっちのチョーシューか」
「。。。なんかチャーシューみたいに聞こえるけど?。。。」
「ちがうワ」
「。。。で 真木和泉さんら十七人の長州藩は
 追ってきた新撰組などの幕府軍に押され
 ココで自害したンだ。。。」

キ~
「サルに何を言っても聞いてなさそうよ!」バタバタ
「聞いとったワ!ラーメンの話やろ?
「やっぱり!
 今日11月23日は冬至祭よ
 陰が極まって陽に向かう一陽来復の日

 明治維新の志士たちの心
 もういちど思い出してみれば?」バタバタ
「・・・エーこと言うた感 あるやろ?

 つづく

本当の墓はこの上に・・・
 
 写真の場所はココです!)

豊臣秀吉の一夜の三重の塔

2009年11月16日 | □ 宝寺へ行く
平成21年11月16日(月)
    の4人は宝寺に向かっている・・・
アッ! 三重の塔や
「。。。この三重の塔は『豊臣秀吉の一夜の塔』と言われている。。。
「一夜の塔?」
「。。。うん。明智光秀との合戦 大山崎の合戦に勝利した豊臣秀吉さんが一夜で建立したという伝説が残っているのだ。。。」
「いくら秀吉さんでも そりゃムリやろ・・・」
「。。。一夜で城を造った人。不可能ではないかも。。。」
「ホンマかいな・・・でその後 秀吉さんは どないしやはったン?」
「。。。合戦の後 一年間宝寺におられたようだ。そして山崎宝寺城を築城したそうだ」
「城は1年かいナ」

キ~
「さっきから文句多いワヨ
 ビックリするようなことがあるから伝説なの!」バタバタ
「おかしいと思わんか?
「思わないワ
 それよりアナタはサルのくせに
 秀吉さんのこと悪く言うのは
 おかしいワ」バタバタ
「秀吉さんがサル顔や言うて 関係ないやろ?

 つづく

写真の場所はココです!)

聖武天皇勅願所

2009年11月06日 | □ 宝寺へ行く
平成21年11月6日(金)
    の4人は宝寺に向かっている・・・
「ついにきたで~宝寺
「。。。仁王さんににらまれてないか?。。。
「怖いほどにらまれてるけど?」
「。。。だろうナ ところでココは聖武天皇勅願所なんだぜ。。。」
「直岩所?」
「。。。ちょくがんしょ!時の天皇さんが国のために祈願した寺だ。。。」
「なるほどー・・・っということは この宝寺を祈願した天皇さんは聖武(しょうむ)天皇ってワケだ」

キ~
「この前も言ったでしょ?宝寺は『しょうむ』天皇さんが行基さんに命じて建立したといわれてるのよ」バタバタ
「知ってるワ!事務所の庶務(≒聖武)が頼んだンやろ?
「・・・ちがうやろ・・・」

 つづく

写真の場所はココです!)

歴史街道と宝玉

2009年10月26日 | □ 宝寺へ行く
平成21年10月26日(月)
    の4人は宝寺に向かっている・・・
「オッ!大きな玉があるやんけ
「。。。宝寺だけに宝の玉?だったりして?。。。
「オモローなこと言うやん。こっちに何か書いた看板あるぞ」
「。。。宝積寺や天王山の紹介のようだ。歴史街道って書いてある。。。」
「下のほうは英語で書いてあるゾ」
「。。。Hosyakuji was built in the Nara period by the monk Gyoki at the order of Emperor Shomu。。。」
「はあ?ほう~しゃくじぃが何て?」

キ~
「宝積寺は奈良時代 聖武天皇がお坊さんの行基さんに命じて建立したといわれてるって読むの わかる?」バタバタ
「ムムム・・・
「オウ!それより先に進もうムッシャクッシャ

「おー   

 つづく

写真の場所はココです!)

宝寺の階段

2009年10月16日 | □ 宝寺へ行く
平成21年10月16日(金)
    の4人は宝寺に向かっている・・・
「オッ!この階段は?
「。。。そう。この階段が宝寺だ。。。
「ついたやん!やっと ついたやん!(≒やったあ 着いたんだ 長かったー)」
「。。。関西弁の通訳あってるか?。。。」
「おーてるやろー(≒十中八九 あってると思うよ)」
「。。。階段の先にゴールがある。。。」

キ~
「やっと 着いたのねー」バタバタ
「オウ!いくぞ!皆の者ムッシャクッシャ

「おー   

 つづく

写真の場所はココです!)

宝寺への坂道

2009年10月06日 | □ 宝寺へ行く
平成21年10月6日(火)
    の4人は宝寺に向かっている・・・
「しっかし急な坂やのぉ
「。。。この坂を登れば宝寺だ。。。
「ほんまケー着いたんケー(≒本当ですか 着いたのですか)」
「。。。関西弁はやめてください。。。」
「やめられへんデー」
「。。。ところで宝寺は8世紀 行基さんによって開かれたそうだ。。。」
「行基さん?どっかで出てきたゾ」
「。。。山崎院だよ ココに来るまでにあっただろ?。。。」
「そやったかいなぁ・・・(≒そうだったっけ?)」

キ~
「忘れてるのよ バカザルねー」バタバタ
「もっぺんゆーてみぃ!
(≒もう1回いいなさい。ただし言えばゆるしませんよ。場合によっては暴力を使う可能性があります。さあ それでももう1回言う度胸はありますか?)
「。。。方言の解説・・・なが!。。。」

 つづく

写真の場所はココです!)

大念寺への階段

2009年09月26日 | □ 宝寺へ行く
平成21年9月26日(土)
    の4人は宝寺に向かっている・・・
「急な坂やないけぇ
「。。。この坂を登れば宝寺だ。。。
「そうかいな オッ階段やど!もー着いたンけ?」
「。。。これは大念寺へ行く階段だよ。。。」
大念寺?」
「。。。そう。できたのは1555年というから
 『天地人』で登場する目がシャキの上杉景勝が生まれた年のようだ。。。」
「目がシャキは余計やろ」
「。。。それが明治維新で焼けちゃって明治12年に再興したンだって。。。」
「焼けたのは大念寺(だいねんじ)だけに残念時(ざんねんじ)だね」

キ~
「なにをショーもないシャレ言ってるのよー
シャキっとシー」バタバタ
「うっさいワ!
 つづく
写真の場所はココです!)

山荘から戻ってきて・・・階段

2009年09月16日 | □ 宝寺へ行く
平成21年9月16日(水)
    の4人は宝寺に向かっていて 大山崎山荘を後にして・・・
「しっかし・・・大山崎山荘は『美術!』って感じやったなあ
「。。。そうだね で どうする?。。。
「ドーするって 宝寺に行くにゃんなあ?(=行くんですよね)あにサン?」
「オウ!もちろんヤ!とりあえず来た道を帰ろうムッシャクッシャ
「もー食べるのやめなはれ(=やめましょう)」
「。。。こっちが近道みたいだね。。。」

キ~
「前も来たでしょう 鳥の看板のあるところよバタバタ
「知るか!
 つづく
写真の場所はココです!)

大山崎山荘 天王山悠遊

2009年09月06日 | □ 宝寺へ行く
平成21年9月6日(日)
    の4人は宝寺に向かっていて 大山崎山荘の中を歩いてる・・・
アッ!来たときにくぐったレンガのトンネルや!
 何ちゅうたかいなあ~
「。。。『天王山悠遊』って標識が掲げてある。。。
「そんなんちごたゾ(=そうではない)
「。。。エー廊下がなんとか言ってたような・・・。。。」

キ~
「『ろうかんどう』よ 前も言ったでしょ ダメねぇ」
「労感動?」
「? なんで感動なの?『琅扜洞』って書くの!」バタバタ
「書けるか!
 つづく
写真の場所はココです!)

中庭から見た大山崎山荘美術館

2009年08月26日 | □ 宝寺へ行く
平成21年8月26日(水)
    の4人は宝寺に向かっていて 大山崎山荘の中を歩いてる・・・
アッ!あの建物の2階からコッチをながめとったンやナ?
「。。。そう。三川合流と男山をナ。。。
「ココから見る山と建物もキレイやんか
「。。。加賀さんがココで造ろうとした思いがわかるようだ。。。」
「ところで宝寺はどっちヤ?」

キ~
「宝寺の隣に住んで桜哉」
「なんやそれ?」
「ココを建設中に訪れたことのある夏目漱石さんの句よ」バタバタ
「ホナ!宝寺は隣かい!
 つづく
写真の場所はココです!)

これが原種の藤袴です

2009年08月16日 | □ 宝寺へ行く
平成21年8月16日(日)
    の4人は宝寺に向かっていて 大山崎山荘の中を歩いてる・・・
「オッ!なんやあれ?
「。。。フジバカマですよ。。。
「藤バカな?何やソレ
「。。。キク科の多年草 秋の七草のひとつ。。。」
「草かいナ」
「。。。フジバカナは近年の環境の変化で 原種の藤袴は絶滅の危機に瀕している
 そこで2008年 源氏物語千年紀の事業として 『守ろう!藤袴』キャンペーンを進めているそうだ。。。」
「ほー」
「。。。で これが原種からさし芽をとり育てたフジバカナだそうだ。。。」

キ~
「同じ野の 露にやつるる藤袴 あはれはかけよ かごとばかりも」
「なんやそれ?」
「源氏物語三十帖『藤袴』よ オ~ホッホ」バタバタ
「なんで笑ってるねん!
 つづく
写真の場所はココです!)