アッくんの長岡京新聞社

アッくんの周りで起きる小さくて明るい話題を贈ります。

徳川家康〔23〕蕭風城の巻 (山岡荘八)

2017年11月24日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年11月24日(金)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「そう。山岡荘八さんの『徳川家康』シリーズ第23巻
 蕭風城の巻!」
「なんて読むの?」
「しょうふう
 物悲しい風が吹く城という意味で
 大阪城の去就のことだ」
「そういうことね」
「家康の願いは豊臣家存続
 しかし 徐々に大坂城での戦いへ時代は向かって行く
 そのときのシーン

 すでに新しい世代は、戦がどのように悲惨なものか忘れ去っている・・・
 忠輝、義利、頼宜、頼房・・・いや、大阪城の秀頼も、秀康の子の忠直も、
 みんなもう家康ののぞいて来ている地獄をまるで知らない者ばかりだった。

(戦争を駆けくらべだと思っておる・・・)

 そこで(松平)忠直には山城の西岡、東寺に陣し、利光には淀と鳥羽に陣して、つとめて兵を休めるように厳命した。

 とある。」

「西岡でてきましたね」
「だろ!
 サ!12月から忙しくなるゾー」
「だから・・・何の仕事を掛け持ちしてるの?

 おしまい
≪アッくんの長岡京新聞

徳川家康〔16〕日触月蝕の巻(山岡荘八)

2017年11月10日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年11月10日(金)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「そう。山岡荘八さんの『徳川家康』シリーズ第16巻
 太閤秀吉が亡くなり 朝鮮からは兵が撤退
 石田三成と敵対・・・と続く時期の伏見で
 家臣の井伊直政が徳川家康に進言したシーン

『しかしこの屋敷では、万一無思慮な暴徒が現れましても・・・』
『お許がいる。鳥居父子もいる。それに康政もやって来る。いざとなったら、結城(秀康)のもまさか手をこまぬいてはいまい。それに・・・』
 と、いって家康は声をおとした。
『細川忠興が、万一のときには、きっと加賀どのを諫止(かんし)しよう。案ずるな」
 直政は、はじめて大きくうなずいた。
 細川忠興の嫡子与一郎忠隆のもとへ、前田利家の六女千世姫が嫁いでいる。千世姫は長兄の利長と同腹で、利長と細川忠興ともまた年齢も近く特に親しい間柄だった。

 とある。」

「・・・ぜんぜん出てきません。長岡京市
「それより 明後日の11月12日は長岡京ガラシャ祭りだゾ」
「市民のまつりですね
「ガラシャウィークの今日から当日まで勝竜寺城公園の2階で
 細川忠興さんのパパ
 細川幽斎さんの古文書を特別展示してる」
「それを紹介したかったンですね・・・
「そう。
 サ!特別展示の準備だ!準備!」
「だから・・・何の仕事を掛け持ちしてるの?
 つづく
≪アッくんの長岡京新聞

徳川家康〔14〕明星またたくの巻(山岡荘八)

2017年10月05日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年10月5日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「そう。山岡荘八さんの『徳川家康』14巻サ
 登場するシーンは 太閤の豊臣秀吉が朝鮮出兵で出陣するため
 後陽成天皇や上皇の儀式を終えたあとのシーン

 ・・・秀吉は、再び馬上で姿勢を正して向明神の社前にすすんだ。
 このあたりはもういっぱいの見物人で、彼らはただその行列の豪華さに讃嘆するばかりであった。
『-ーいったい太閤殿下はどのくらいお黄金をお持ちであろうかの』
『--わかるかそのようなことが』
『--悪口を言う人はの、日本中の検地なども、みな税を取り立てる下調べだったというのだが、これがみなそうして取り立てられた黄金であろうかの』
『--阿保なこと・・・』
ちょっと待って!長岡京市は出てきそうにありません!
「ちょっと脱線したかな?
 向明神は向日神社のことなんだ。

 つづきのシーン

 ・・・向明神の社前へ来ると(太閤秀吉は)また馬から降りた。
 そして、わが後を譲った関白秀次を社前にさし招くと、そこでうやうやしく千成ひさごの馬印を秀次に授けた。
 これで、天下の権は一応秀次に渡したという意味なのであろう。
 しかしそれは必ずしも実体を伴うものではなかった。兵馬・賞罰・財政の三権は、まだ秀吉の手中にあると、きびしく申し渡してあるのだから、いわばこれは看板だけとも言えた。
 ・・・
 向明神の社前を出ると、行列は粛々と山崎街道をすすみ、その夜は摂津の茨木城に一泊・・・

 とある。」

「向日神社でのシーンね
「そうなんだ。
 サ!市民大運動会の準備だ!準備!」
「だから 何の仕事を掛け持ちしてるの?
 つづく
≪アッくんの長岡京新聞

徳川家康〔9〕碧雲の巻(山岡荘八)

2017年09月21日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年9月21日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「そう。山岡荘八さんの『徳川家康』9巻サ
 登場するシーンは 羽柴秀吉が織田信長の葬儀の手配を行っているところ

『あの、五百石…でござりまするか』
 と、幽古はわが耳を疑ってきき返した。
『そうじゃ、すでにその米は続々と淀川をのぼっておる。・・・』
『は…はいッ』
『五百石でもまだ少ないかも知れぬ。なにしろ五山十刹の僧徒はむろんのこと、洛中洛外の禅律八宗の僧侶が雲のごとく集まるのじゃ』
・・・
『むろん、これだけの葬儀を見るのは京童ははじめてのことであろう、いや、それでもまだまだ秀吉の心では弔い足りぬ。・・・』

 とある。」
「でてきませんよ 長岡京市
「続きだ!

『この盛儀の執行中に、つまらぬ邪魔が入らぬよう、その手配りは充分につけてある。
醍醐、山科、船岡、梅津、東寺、四つ塚、西の岡などの地に、
黒田、蜂須賀、浅野、大谷、神子田、仙石らの兵を分ち遣わし、万一の場合にはただちに大徳寺を囲ませる手はず、さすれば蟻一匹寄りつけまい』

 とつづく」
「西の岡・・・登場しましたね」
「だろ?
 サ!長岡京市議会議員選挙だ!選挙!」
「だから 何の仕事を掛け持ちしてるの?
 つづく
≪アッくんの長岡京新聞

徳川家康〔8〕心火の巻(山岡荘八)

2017年09月07日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年9月7日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「うん!山岡荘八さんの『徳川家康』8巻サ
 登場するシーンは 明智光秀が山崎の合戦に敗れ 勝竜寺城に逃げ入ったところ・・・

 光秀は茫然として勝竜寺城の、畳をあげて囲んだ広間のうちの床几にあった。
 溝尾勝兵衛が、御牧三左衛門の死を無駄にするなと無理にここへ伴って来たのであった。
 光秀が入って来たとき、勝兵衛は退いて城にこもった者約九百と告げたが、九百の兵があれば、この小城の内は相当人数が濃いはずなのに、妙に森閑と静まり返って、聞こえるものは城外を駆け交う敵の人馬の音だけであった。

 とある。」
「勝竜寺城内の明智の兵は少なかったンだ
「そう。で・・・

 光秀は三宅孫十郎と、村越三十郎に抱えられるようにして立ち上がった。
 光秀が落ちることを聞き入れたと知って、比田帯刀と三宅藤兵衛は城内の残兵をかり集め、南口へ陽動させた。
 そして、敵がその方へ気を取られている間に、光秀主従六騎は、二騎ずつ三組に分けて、こっそりと久我縄口へ忍び出た。

 とつづく」
城から抜け出たのは北門でしょ?
 久我縄口って・・・どこだろう
「う~ん・・・アッ!
 今週末は勝竜寺城で名月の宴なんだ
 サ!仕事!仕事!」
「だから 何の仕事を掛け持ちしてるの?
 つづく
≪アッくんの長岡京新聞

徳川家康〔1〕出生乱離の巻(山岡荘八)

2017年08月03日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年8月3日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「うん!山岡荘八さんの『徳川家康』サ」
「徳川家康の小説?めっちゃ長いヤツじゃないの?
「そう。山岡家康と言われるほど有名な作品
 昭和25年から新聞に連載されて
 完結まで18年
 四百字詰め原稿用紙で17,482枚
 単行本26巻というから半端ない」
「ワープロ・パソコンのない時代だシ
 全部手書きでしょ?キツッ!
「その作品に長岡京市が登場してるンだ」
「教えてください。どこですか?
「さっそく第1巻

 ・・・やれ藤原の 橘の、源氏の平家のと申しているうちに、
 世の中はあらぬ方へ歩いている。
 美濃の斉藤道三めは京の西岡あたりで素性の知れぬ香具師であった。

 とある。」
「京の西岡って 出てるけど
 斉藤道三は大山崎町では?
「アッ!こんな時間だ
 花火を仕込まないと!」
「何の仕事を掛け持ちしてるの?
 つづく
≪アッくんの長岡京新聞

日本の伝説(柳田国男)

2017年07月20日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年7月20日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「うん!柳田国男さんの『日本の伝説』サ」
「伝説?
「そう。伝説と昔話は
 どこが違うと思う?」
「それは・・・
「伝説は土地に根を生やす植物のようなものだけど
 昔話はどこに行っても同じ姿を見かける動物の如くと
 記述してある」
「なるほどー
「で
 長岡京市が登場する伝説は・・・

 温泉ではなくとも、念仏を唱えると水がわくという池は方々にありました。
 京都の西の友岡村では、百姓太右衛門という人の屋敷の後に、いつもは水がなくて、岸に立って念仏を申すと、忽ち湧き出すという池があって、それで念仏池といっておりました。
 近頃はどうなったか、私はまだ行って見たことがありません。
(緘石録。京都府乙訓(おとくに)郡新神足村友岡)

 とある。」
「友岡の念仏池って どこだろう?
「この本は昭和4年に書いてて本人も見たことないらしいシ
 昭和10年の資料によれば
 友岡には ため池が二つあったそうだから
 それなのか 今じゃわからん」
「気になるー
 念仏を申せば 念仏池はココって出てこないかな?
・・・次の仕事に行くわ」
 つづく
≪アッくんの長岡京新聞

歴史都市・京都の超再生 町家が蠢く、環境・人権・平和の ための都市政策(リムボン)

2017年07月13日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年7月13日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「うん!リムボンさんの『歴史都市・京都の超再生』だ
 登場する記述は
 京都の本質を述べるところで
 平和を希求する都市の段 

 京都という都市は、1200年にわたる歴史を振り返ってみると、一貫して、平和と安寧を求め続けて来た都市であったことがわかる。そもそも、その成り立ち自体がそうであった。平城京での政治に行き詰まりをみた桓武天皇は、即位後ただちに遷都を考え、784年に平城京から長岡京への遷都を行った。
 ところが、「長岡京遷都は、早くから揉め事が絶えず、いわば失敗の兆しが見えていた。遷都後一年も経たない延暦四年(785年)九月、造営使の藤原種継暗殺事件が起こり、その無実の罪で早良(さわら)皇太子を廃太子とし、皇太子は餓死した。それでも造営は続いていた。延暦十一年(792年)、洪水が長岡京を襲い、天皇は皇太子・皇后・夫人の病気や死亡が廃太子早良親王の祟りといわれて悩んでいた。この年、天皇はたびたび付近を遊猟して洪水の危険のない土地を探していた。
 こうして桓武天皇は遷都後10年で長岡京を放棄し、再度の遷都を実施し新たな都を自ら「平安京」と命名した。
 とある。

 脇田修・脇田晴子さんの「物語 京都の歴史」からの引用して記述されたそうだ。」
「長岡京から平安京への移り変わりが良くわかりますね
「だろ・・・で

 京都は・・・戦禍の舞台となってしまった。それゆえに、京都の人々は平和と安寧を希求しあるいは尊ぶ人々であった。平和を尊ぶ、これが京都が継承すべき伝統であり、世界平和に貢献する、これが京都に課せられた新たな役割の第一点目である。
 
 と記述している。」
「なるほど
「サッ!
 祇園祭に行かないと!」
「そういえば17日ですね
「そう。17日は山鉾巡行
 ほら本の表紙を見て山鉾が写ってるだろ?」
「ほんとだーなんていうの?
 長刀(なぎなた)鉾
 33の山鉾の中で1番は長刀鉾に決まってるンだ」
「じゃあ2番目は?
「くじサ!京都市役所の議場でくじ引きするンだ
 2017年の山一番は占出(うらで)山
 早く行って準備しないと~」
「いったい・・・
 何の仕事を掛け持ちしてるの?
 つづく
≪アッくんの長岡京新聞

賤ケ獄(岡田秀文)

2017年06月29日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年6月29日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「うん!岡田秀文さんの『賤ケ獄』だ
 登場するシーンはココ

 ここにいたり、明智軍は総崩れとなった。
 伊勢貞興、御牧景重ら明智方の有力武将が前線を支え、ついに討取られる間に光秀は勝龍寺城へ引き下がった。
 ・・・こうして秀吉は勝利を決定付けるとともに、明智光秀を追い詰めるべく、旗下の兵をもって勝龍寺城を囲んだ。
 勝龍寺城には二千ほどの兵が戦場より逃げ戻っていた。
 しかし、日が暮れ落ち、篠つく雨が帳となって夜の闇をいっそう深くすると、前途を悲観して城から逃亡する兵が相次いだ。
 光秀もここに拠ってさらに秀吉軍と一戦を交えるのは難しいと判断し、深夜、わずかな供回りだけを連れて城を脱出した。

 とある。」
「逃亡できたのは雨だったからなんだ
「さらに・・・

 天王山の頂に堂々たる三重の天守閣を構える城の姿を目の当たりにした時はおどろいた。
 天守閣ばかりでない。天王山の山腹を削り、いくつもの段々に重なった曲輪が、複雑に入り組み、建造物の白木の匂いこそ初々しいが、万の軍勢で寄せても小揺るぎもしない、一山全体が難攻不落の大城郭のよそおいであった。

 とある。」
「あれ?勝龍寺城って天王山にあった?
「記述は山崎城の話だ
 光秀を討った秀吉が天王山に設けた城なんだ」
「そういうことか~
「サッ!
 あじさいの世話をしないと!」
「いったい・・・
 何の仕事を掛け持ちしてるの?
 つづく
≪アッくんの長岡京新聞

花と火の帝 下(隆慶一郎)

2017年06月22日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年6月22日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「うん!隆慶一郎さんの『花と火の帝』の下巻だ」
「上巻のつづき?
「そう!
 まずは上巻
『古今伝授』は『古今集』の秘儀の伝授の意であるが・・・日本学というべきものだった

 そうで

 関ケ原合戦当時、『古今伝授』を保持していたのが、細川幽斎ただ一人だったことは間違いないようだ。
 幽斎はこれを八条宮智仁親王に伝授することになっていたらしい。
 それがこの合戦で無に帰そうとしたのである。

 とある」
「八条が池の八条宮ですね
「そう。
 で下巻
 登場するシーンはココ

 後水尾天皇は八条宮智仁親王、並びに中院通勝から細川幽斎より伝わった『古今伝授』をさずけられ、そこに御自分の御意見を加えられ、いわゆる『御所伝授』を完成されたお方である。

 後水尾天皇の『御所伝授』に至って、その内容が単なる古今集の解釈にとどまらず、神道と結合して、いわば日本学の如きものになったと云われる。
 これによって後水尾天皇は『古今伝授』の総元締の如き地位を獲得され・・・
 『古今伝授』は完全に皇室のものと化するのである。

 とある。」
「長岡京市出てきませんが・・・
「フフッ
 実は細川幽斎さんが『古今伝授』を授かった場所は勝竜寺城と言われいる」
「へぇーそうなんだ
「で 細川幽斎さんが京都御所で八条宮智仁親王に『古今伝授』を授けたンだけど
 智忠親王が授かった場所の建物を
 長岡天満宮の境内に移築したンだ
 で 明治になって その建物はさらに熊本県水前寺公園へ移築されていく」
「『古今伝授』は『建物伝授』になったと!
「。。。
 つづく

花と火の帝 上(隆慶一郎)

2017年06月17日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年6月17日(土)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「うん!隆慶一郎さんの『花と火の帝』の上巻だ
 で 登場するシーンはココ

 (後陽成)天皇は御位を(弟の)八条宮智仁(ともひと)親王に譲りたい、と云いだされたのである。
 だ」
「?八条宮智仁親王?
「つづきにこうある

 現代の人々にとっては、八条宮智仁親王は桂離宮を造られた宮さまだと云った方が、わかりは早いかもしれない。もっとも八条宮が造られたのは、桂川のほとりの小ぢんまりとした別荘であり、今日の桂離宮の形で完成されたのは、宮の嫡子智忠(としただ)親王によるものである。
 だ」
「長岡京市出てきませんが・・・
「フフッ
 長岡天満宮の八条が池という名前は
 天満宮の境内に八条宮家の別荘があり
 池は桂離宮と同じ智忠親王が造られたもの
 明治時代になって八条宮家の名前にちなみ名づけられたのザ」
「ここで登場するンだ
「で・・・
 結局のところ譲位はできず
 慶長3年に当時3歳だった3男
 のちの後水尾天皇に譲れらたンだ」
「そうなんだ
「サッ!
 きりしまつつじの世話をしないと!」
「何の仕事を掛け持ちしてるの?
 つづく

戦国の女たち(司馬遼太郎)

2017年06月08日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年6月8日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「うん!司馬遼太郎さんの『戦国の女たち』だ
 短編7話の中に『胡桃に酒』というのがある」
「クルミにサケ?
「そう。食べ合わせが悪い例なんだ
 小説では細川忠興とたまの関係をさしている」
「たま?って 細川ガラシャさまのこと?
「そのとおり
 で 登場するシーンはココ

 嫁御料人は、丹波からくる。
 亀山城からくる。
 しかし京には入らず、丹波高原からそのまま老ノ坂をくだって
 山城平野に入り、桂川の流れを渡し舟でわたって河畔の勝竜寺城に入られる。

 とある」
「嫁は ガラシャさま?
「そのとおり で・・・

 京の南郊にあるこの勝竜寺城というのは細川家発祥の城だが、いかにも草深く、中世ふうで、その規模は後年の細川家の居城である熊本城とはくらべものにならないほど小さい。
 堀は一重で、しかも空堀である。
 本丸のほかに二ノ丸などなく、それに相当するものは松井、中村、沼田といった細川家の譜代の重臣の家で、その家の作りもそのあたりの農家と大差がない。
 本丸御殿の大玄関には、二引両の拝領定紋の幕がうちめぐらされ、門からはいってきたままの駕籠はその式台までのりあげられた。
 これをもって「輿入れ」という。

 とある」
「『輿入れ』って長岡京ガラシャ祭の行列だよね
「そう。
 サッ!
 出前を配達しないと」
「何を配達するの?
「天ぷらとスイカだけど?」
「。。。食べ合わせ 悪いですよ
 つづく

街あかり(長岡中央商店街振興組合)

2017年05月25日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年5月25日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「うん!長岡中央商店街振興組合さんの『街あかり』だ」
長岡中央商店街振興組合ってアゼピーの?
「そうだ
 登場するシーンはココ

 アーチにはピエロが描かれている。
 ピエロはアゼリア通りにある長岡中央商店街のイメージキャラクターで、名前は『アゼピー』という。
 ゆるキャラブームの今ならアゼピーも着ぐるみを作ってもらい街の人気者になっていたかも知れないが・・・
 すっかり忘れ去られた存在だった。
 そしてもう一つ、商店街にはアゼピーの他にもこの街の人々から忘れられたものに、街のあかりの『物語』があった。

 とある」
「おもしろそう
「だろ
 手作りのLEDの街灯を商店街に灯していく感動の物語
 結局 この活動は教科書に掲載されたンだゾ」
「それってスゴイことじゃん!
「手作りのLEDランプが照らしているのは
 夜の長岡中央商店街だけではなく
 地域で育む子どもたちの明るい笑顔だった・・・
 ってこと
「大人も元気!もらいます!
「サ!LED作らないと!
 ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「そんな仕事もしてるの?
 つづく

光秀奔る(家村耕)

2017年05月18日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年5月18日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「そう!家村耕さんの『光秀奔る』だ」
「奔る?
「はしると読む
 で・・・
 登場するシーンはココ

『信長は・・・
 今宵の本能寺在宿は違いない
 これより軍議に入る』
 ・・・頼もしい大軍の将に蘇った光秀である。
『信長百人余りは四条西洞院本能寺にある。
 嫡男信孝二千は二条の妙覚寺に控えておる。
 夜明けを待たず同時に討ち果たすため、我軍を分けて都に入る。
 本隊は山陰道、老の坂越えで本能寺へ、
 利三は丹波衆二千でもって園部八木、神吉細野、岡山街道から妙覚寺へ
 秀満は保津から水尾松尾社へ二千

 庄兵衛一千は念のため、穴太善峰の巡礼道から向日町を経て勝竜寺に赴い、西国街道の警固に当たるのじゃ。

 とある」
「穴太善峰の巡礼道?
「西国三十三番の札所
 二十番が京都市の善峯寺

 二十一番が亀岡市の穴太寺を結ぶ巡礼の道だ」
「そうなんだ
「御朱印集め
 ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「忙しいのに巡礼に回ってるの?
 つづく

お役に立てますやろか(田中田鶴子)

2017年05月11日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年5月11日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 もうゴールデンウィークは終わりましたよ」
「終わってからが ぶり返しで忙しンだ~
 おっと また長岡京市ゆかりの本を見つけたゾ」
「なんていう本ですか?
「田中田鶴子さんの『お役に立てますやろか』だ
 田中さんは京都市で
 政令指定都市で初めて女性の教育委員長を務めた方なんだ」
「そうなんだ
「で・・・
 登場するシーンはココ

 私が生を享けたのは、現在の長岡京市の東端に位置する新神足村(しんこうたりむら)です。
 とある」
「そのまんまやん
「で・・・

 この地はいまも、全国に誇る筍(たけのこ)の名産地ですが、生家も広い竹林や田畑をもち、竹材商を営んでいました。

 とつづく」
「長岡京市の紹介ですね
「さらに・・・
 祖父の中野時太郎は・・・新神足村の村長をしていました。

 とくる」
「そうだったンだ
「田中さんから21世紀のキーワード!
 か・き・く・け・こ
 を紹介するゾ」
「それって?
「環境・教育・暮らし・経済・個だ
 おっと!こんな時間!
 先にいくゾ
 ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「ヨモギさんの
 か・き・く・け・こ
 か~・急に・来る・結構・困る
 つづく