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「アッくんさん アッくんさん こちら現地リポーターのイチョウです。
私は今 勝龍寺城大門橋と刻まれた石の前にいます。
大門橋(だいもんばし)は小畑川に架かっている橋です。
この小畑川は南北朝時代に京都へ攻め上ってきた後醍醐天皇を擁する南朝方の基地 石清水八幡宮に対応するため
勝龍寺城が京都を守る前線基地とされ 小畑川を城の外堀とするため 別のところに流れていたものを ここへ流し入れる河川工事をしてできたものだそうです。
工事を担当したのは北朝方の細川頼春の弟で後に淡路守護となった細川師氏(もろうじ)さんでした。
勝龍寺城の外堀の小畑川を渡ったところに城の『大手門(おおてもん』があったため 大手門の前の橋で『大門橋』とよばれるようになったそうです。
以上 イチョウくんのリポートでした!」
パチン!(電源OFF)
「しかし・・・小畑川が勝龍寺城の外堀だったとは・・・」
「そうじゃ。小畑川はその昔『
ほうさい川』と呼ばれておった」
「え・え?なぜですか?」
「河川工事を担当したワシの別名である『宝財院(ほうさい院)』から名付けたそうじゃ」
「ふ~ん。河川工事を担当したあなたの名前ねぇ・・・・え?」
(写真の場所はココ
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