AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

どこかで噂されているようだったので・その2

2010-12-22 02:02:32 | Weblog
 どこか(笑)で私の名前が出ていた件について、続ける。

 ファンは少しでもAKB48の人気が出るように、みんなが歩み寄って、互いを認め合って行くべきだ、という。言葉の額面だけを見れば、まったくその通り、誰も反論できない正論だ。私もかつてこのブログで、さんざんそういうことを主張して来たし、基本線としては今もそういう考え方を持ち続けていたいと思っている。

 ただ現状、これには三つの落とし穴があることは認めざるを得ない。一つ目は、自分が努力しない人も同じことを言う、という点だ。むしろ、努力しない人ほどそういうことを言いたがる傾向がある、と言っても良いかも知れない。そして二つ目は、今となっては努力などしない人の方が圧倒的に多いということだ。そして三つ目は、こうした状況認識を踏まえつつ、そういう理想論が必要な時期は過ぎてしまったのではないか、ということだ。

 それでもぎりぎりのところで、私はまだ踏みとどまっているつもりだ。いや、落とし穴の隙間で、何とか踏みとどまろうとしている、と言うべきか。たとえ巨大なファン層の中で相対的には少数派になってしまったとしても、AKB48のために何かをしてあげたいと思うファンはまだまだいるはずだし、これからファンになる人の中にもそういう人はいるだろう。そういう人たちと一緒にAKB48を盛り立てて行きたいと思っているし、そういう気持ちがありながら「自分はファンとして何が出来るんだろう」と悩んでいる人は励ましてあげたいと思う。ま、ちゃんと自分で立ち上がる意思があるならば、ってことではあるが。

 そこから発展してもう一つ。扉は自分で開けるものだ、という。もっともだ。待っていれば誰かが扉を開けてくれるわけじゃない。自ら進んで扉をこじ開けようとしている姿勢を見せなければ、何も始まらない。だけど、扉を自分で開けて進んで来たと思っている人たちは、果たして本当に自分一人の力で扉を開けて来たのか。人は往々にして、ひとたび自分の前に扉が開かれると、それまで巨大な扉に孤独な体当たりを続けても微動だにしなかったことを、あっさりと忘れてしまう。それでも挑戦する自分を励まし続けてくれた人や、扉が開かれた時に力を貸してくれた人たちがいたことも。

 忘れていない、というならば、扉を開けたがっている人に、今度は力を貸してあげる側になってはどうだろうか。もちろん、相手に合わせた力の貸し方はある。自ら扉を開こうとする意志が足りない人に向けて「扉は自分で開くもの」と突き放してみせるのは、それはそれで親心なのかも知れない。ただ、私に言わせれば、そもそも「皆さんの発言を、たくさんの人が読んでいる私のブログで取り上げます」みたいなラジオDJ手法は、ともすると、自分で発言の場を切り開こうとしない人を甘やかしていることにもなっていると思うんだが、そのあたりはどうなんだろう。

 語りたい思いがたくさんある人は、自分で場を切り開くべきだ、と私は思っている。確かに、読んでいる人の多い場を選んで発言した方が、その時、その一言は多くの人の目に触れるだろう。だが、そうやって他人の軒先を借りて発せられる言葉は「弱い」のだ。読み流される雑多な言葉の一つとして、過去ログの中に埋もれていくだけだ。一方で、誰に届くかも分からない言葉を、淡々とネットの海に放ち続け、いつか、見る目のある人たちが気付いてくれれば良いのだ、というくらいの覚悟に裏打ちされている言葉には、それに触れた人の心を打つ強さがある。ちょうど5年前、AKB48の初期メンバーが、ガラガラの劇場で、目の前のごくわずかな客に向けて、必死過ぎる公演を続けていたのと同じように。

 幸いネットの世界では、ブログを始めるのも、サイトを始めるのも、ごく簡単だ。年齢も関係ないし、パソコンが使えれば、費用もほとんどかからない。ただし、始めるのは簡単だけれども、続けるのは意外に大変だ。特に、読者などほとんどいない頃から、それでも「誰かに読まれるべき言葉」を日々紡ぎ続けるには、かなりの精神力が必要だ。読者が増えれば増えたで、コメント欄での読者の意見に振り回されたり、意見の衝突があったりと、また別の困難を経験するだろう。

 もっと読者が増えれば、心ない暴言の書き捨てなどに傷つけられることも増えるし、逆に自分がいっぱしのアルファブロガーだと思い上がって失敗したりもするだろう。深刻な対立に巻き込まれてへとへとになり、何のためにブログをやっているんだろう、AKB48を応援するってこういうことだったっけ、という疑いに捕われることも出て来るはずだ。そうした日々の中で、それでもなお「頑張っているメンバーや研究生たちを応援し続ける」という初心を忘れず、自分のためでなく、彼女たちのためにできることを考え続けられるか。そうした困難に直面した時にこそ、ファンとしての本気が、覚悟のほどが問われるのだ。

 本気で彼女たちのことを応援したいのだったら「どうせ今頃ファンになっても出遅れているし」とか「まだ学生なんでお金もないし」といった「できないことの言い訳」を探すより前に、まずは「自分にできることは何があるのか」を考え、それを一つ一つ実行していくべきだ。つまり「♪君にできるすべてのことをやれ」ということになる。話はそれからだ。