AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

生きて行こうと決めた日

2010-11-23 03:52:59 | Weblog
 先にお断りしておくが、このエントリはAKB48とはまったく何の関係もない話で、単なる個人的な感傷に過ぎない。

 今からもう7年も前の11月22日、友人の一人が自ら世を去ったという知らせを受けた。私よりいくつか年下で、まだ30代の前半だった。彼も私も20歳前から同業の個人事業主で、お互いに一時は良い時期もあった。けれども、私は業界構造の変化に乗り遅れて、その頃はもう完全に負け犬だった。彼はまだずいぶんましな状態だと傍目には見えていたのだけれど、なぜか彼はさっさと逝ってしまった。だからその知らせを受けた時、私の脳裡によぎったのは、ああ、次は俺の番かな、という思いだった。

 その頃の私は、10代から追いかけ続けた夢に破れながら、30代の半ばになってなお、自分の負けを認められず、心と身体と生活をぼろぼろにしながら、泥沼の中をのたうち回っていた。かつての仕事仲間や友人たちに、幾度も幾度も立ち直るチャンスをもらいながら、それをことごとく裏切り続けていた。そうして、いつこの暮らしを終わりにしよう、どうすれば去り際をきれいに消えて行けるだろうと、そんなことばかり考えていた。

 けれど彼の葬儀に参列して、彼を見送りに集まった友人たちと会い、彼の遺した妻(彼らが結婚する前から共通の友人でもあった)に言葉をかけ、そして彼の親御さんの顔を見た時に、ああ、残る人たちにこんな切ない思いをさせて去ってはいけないのだと知った。その人と関わり、大事に思い、愛して来た人たちがいるのならば、たとえどんなことになっても、自ら死を選ぶことだけはしてはいけない。私の今が、これからが、どれほどみっともなく、恥ずかしく、みじめであろうとも、とにかく生きなければいけないのだと。

 若い日に抱いた夢を追いかけても、誰もが勝者になれるわけじゃない。己の力足りず、あるいは時の利を得られず、負けることだってある。かつて良い時を経験していればなおのこと、敗残の日々は厳しく心身を苛むものだ。しかしそれでもなお、人はその負けを抱きしめながら、生き続けなければならない。物語を止めてしまえば、関わった人たち、愛してくれた人たちに悲しみを残すだけだ。生きていればこそ、いつかまた、陽だまりにくつろいで語り合える日が、きっとある。